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51 酒場のビアンカ1

 ビアンカ(女 年齢:秘密、酒場の主人)

 刺青を消したい。



 りん、りん、りん


 涼やかな音とともに部屋に現れたのは

 長い黒髪を豊かにウエーブさせ

 とろみのある色白の肌をきれいに化粧した、とんでもなく色っぽい女性だった。


「ビアンカと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「ソフィ=オルゾンと申します。……お美しいのですね、ビアンカ様」

「まあ、ありがとう」


 こういう女性は謙遜をしない。

 美しすぎて、謙遜まで嫌味になってしまうからだ。

 ふふふ、と女性にしては低い、だがこれまたたいそう色っぽい声で彼女は笑う。

 弧を描く赤い唇が魅力的だ。


 一見30代にも見えるが

 ソフィのおかんセンサーでは、おそらく40代の中頃か、あるいはもう少し上と見た。

 いわゆる美魔女である。たいていの男はころり、ぽろりと手玉に取られるに違いない。


 母シェルロッタが薔薇ならば、この方は百合だ。

 しっとりと濡れあでやかに香り、妖しい魅力で人を引き付ける。


「従業員もいないような小さな酒場の主人をしております。遅い時間にお申し込みをしてごめんなさいね。どうにも寝坊助なもので」

「いいえ、ちょうどおやつの時間でよろしいかと存じますわ」


 今日は少し苦めのお茶に、フルーツと花のあしらわれた軽めの甘い焼き菓子と

 小さな甘くない生地にチーズやハムがそれぞれ乗った軽食を用意してくれた。レイモンドいわく


「だいたいの酒飲みはしょっぱいものが好きですよ」


 とのことである。

 彼女は優雅にハムの乗った生地を口に運んだ。


「あら、美味しい」

「ありがとうございます」


 にっこりとソフィは笑った。レイモンド、大正解。


「塩加減が絶妙だわ。作り方を教えていただきたいくらい」

「教えてもいいものなのか、あとで料理人に聞いてみますね」


 レイモンドが直接教えたら、きっと教え終わるまでにぐにゃぐにゃに骨抜きされるだろうとソフィは思った。



「さて、ご相談なのですけれど」

「はい」


 するりと彼女はドレスの肩を抜いた。

 そのままするん、と艶のある肌をあらわにする。


 ごくり


 おっさんのような生唾を飲んでしまうほどに、彼女はセクシーだった。


「こちらを」

「ご立派ですのね!」


 向けられたほっそりした背中には

 シルバーのあれと遜色のないほど大きな、派手な色の骸骨の刺青が入っていた。


「私、海賊の(オンナ)でしたの」


 ほっそりとした指をセクシーに頬にあて、ビアンカは語りだす。



 小さな島に生まれ育ったビアンカは花のように美しい少女だった。

 島の中でビアンカの姿を追わない少年などどこにもいない。どこにいても、誰といても、ビアンカは常に男たちの熱い視線を感じていた。


 盛りのついた犬のようだと、ビアンカはその視線を嫌悪していた。


『そんなに足を出すんじゃない。髪ももっときっちりと結びなさい』


 父親はよくそうやってビアンカを叱った。

 海の仕事を手伝っているのだ。足くらい皆出している。髪なんか自然に乱れる。

 なぜ自分だけがそんなにも叱られなくてはならないのかと、幼いビアンカは不満だった。


「……相当にお美しかったのでしょうね」

「きれいな鏡もろくにないような田舎でしたから、わかっておりませんでしたの」


 ただ、なんとなく自分は特別なのだと思っていた。

 男たちはなんでもビアンカの言うことを聞いてくれる。

 女たちは目に嫉妬を宿しながら、諦めとともに媚びるように自分に接する。


 つまらないわ、と思いながら

 夕焼けに染まる赤い海を見ていた。


 いつか誰かがあの向こうから現れて

 私をさらっていってくれればいいのにと夢想した。


「16のとき、村長の息子との縁談が持ち上がったの」


 真面目を絵にかいたような少年だった。

 彼もいつも熱い目でビアンカを見ていた。


「つまらない、と思ったわ」


 彼に嫁ぎ

 彼の子を何人も産んで

 母になり、お婆さんになり、島の墓地に埋められる。

 私はこんなに特別なのに

 どうしてほかの女たちと同じ人生を歩まなければならないのかわからなかった。



 島の東に、海水と温泉が混ざる入江がある。

 ビアンカはそこが好きだった。その日も裸になって浮いていた。


 湯気の向こうから、誰かが現れた。影の大きさからして男である。

 ここは男性の立ち入りが禁じられている。島の掟を破る無法者はだれかとにらみつけると


 見たこともない顔の、精悍な男が立っていた。


 差し込む夕日の色と同じ

 赤い髪、やはり同じ色の鋭い瞳

 傷だらけの顔は、思ったよりも優し気で若かった。


『……』

『驚いた』


 男は呆然と、夕日に照らされるビアンカを見つめていた。


『美しい人魚のいる島だったとは』



「一目で恋に落ちたわ」


 甘やかに歌うようにビアンカは言った。


「目に焼き付いたの。その人しか見えなくなった。何もかもがどうでもよくなった」


 若き日のビアンカの胸のときめきが

 若いまっすぐな恋心が流れこんでくるようだった。


「水の補給のためにたまたま島に立ち寄った、小さい若い海賊団の船長で。ウィリアムと言ったわ。すがりついて、自分をさらってほしいと頼み込んだ」


『僕は女は盗まない』

『いいえ、もう私の心を盗んだわ。責任をとって』

『強引な人だ』

『あなたのせいよ』


 唇を奪った。


 少し離して、赤い目と視線を合わせる。


 今度は唇が自然に重なった。

 舌が絡んだ。

 いつまでもいつまでも、二人の影はひとつのままだった。


「キャー!」


 ソフィは頬を染めて体をくねらせ悶絶した。


 熱い

 甘い

 あまりも刺激が強い!


 鼻血を吹きそうになるのをどうにか堪えてソフィはくにゃくにゃした。


 うふふとビアンカの艶めいた目がそんなソフィを見る。


「そうして無理やりウィリアムの女になった。船に乗り込んで、島が小さくなっていくのを、私は爽快な思いで見つめていたわ。ざまあみろと思っていた。あんな陰気くさい墓に、入らなくていいのだと。私はやっぱり特別だったのだと思っていた」


 まだ当時のメンバーは10人にも満たず、ビアンカはさながら皆のお母さんだった。

 男ばかりの船はむさくるしく、臭く、汚い。

 甲板を磨き洗濯をし、料理をし

 夜はウィリアムと一緒に眠った。

 定期的に立ち寄る港街で有名な彫師に、ウィリアムと同じ刺青を入れてもらった。

 涙が出るほど痛かったが、彼の女になった証拠が欲しかった。


 海賊団のメンバーはどんどん増えた。

 船は新しくなるたびに大きくなって、立派になっていった。


 当初のどこかのどかなのんびりとした雰囲気から

 徐々に血の匂いのこびりついてふとした瞬間にぷんと香る

 刃の切っ先のような冷たいものに、変わっていった。



「身の程を知らなかった。ただ大きくすればいいと思っていた。ウィリアムは賢かったけれど、どこか繊細なところがあった。彼は自分の背で負い切れないものを、自ら背負ってしまったの」


 人の意見を受け入れなくなった。

 自分は強いのだと、キャプテンなのだとひけらかすようになった。

 たいして強くもない酒に、溺れ始めた。



 港に停泊していたとき、扉の外から騒がしい声がした。

 何事かと、横で眠るウィリアムをゆすって起こそうとしていたところにバンと扉が開いた。

 男たちが……海賊団のメンバーたちが、ドドドっと雪崩のように入り込んできた。


『何事なの!』


 船長の部屋である。許可もなく勝手に入るなど許されないことだ。

 布を体に巻き付けビアンカは叫んだ。ようやくウィリアムが目を覚ました。


 酒の抜けきらないどろんとした目で手下たちを見た。


『あ……?』

『ウィリアム、船長を降りてもらう。てめえじゃ器不足なんだよ、貴族崩れのおぼっちゃん船長。これ以上てめぇの尻ぬぐいはまっぴらだ』

『何を……』


 言い切らないうち、ウィリアムの首が飛んだ。

 血しぶきをまともに浴びた。

 さっきまで愛しい人だったものからそれが噴き出すのを、ビアンカは呆然と見ていた。

 ウィリアムの首を切り落とした男はビアンカに向き直る。


『姐さん、あんたにゃ飯を作ってもらった恩がある。荷物をまとめてさっさと船を降りてくれ』

『あんた……』


 創業メンバーのうちの一人だった。

 欠けた歯をむき出しにして笑う素朴な少年だった。

 いつの間にこんなにも荒々しく

 冷たい顔の男になっていたのだろう。


 前に奪ったお宝と、着替えの荷物を持たされて血まみれのまま港に放りだされた。

 ぺたんと地べたに座りながら


 海賊船が小さくなっていくのを、ぼんやりと見つめていた。


 島を出て13年

 ビアンカは30歳になっていた。


 自分が若くはなく特別でもないことを、もうビアンカは悟っていた。


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