47 門番クロロ・ロム・ムクロ1
「はげをなおしたい(クロロ・ロム・ムクロ(58歳)・門番)」
「不安だわ……」
今日もソフィはテーブルクロスをなでている。
が、その手にはいつもの元気はない。
はげ
はげだ。
オルゾン家にはあいにくハゲはおらず(シルバーは今長期の船旅に出ている)
はたしてソフィの力がハゲを治せるのか確かめようがなかった。
きっと期待して訪れるだろう客人をがっかりさせることにならないか、ソフィは不安で仕方がない。
りん、りん、りん
「どうぞ」
クレアの涼しい鈴の音に続きのっそりと現れた巨体を見て
「ヒョー!」
ソフィは叫んだ。
黒々とした立派な毛並みを持つ大きなヒョウがそこに立っていた。
「亜人、と書くべきところ、断られるかと思い伏せました。だまし討ちのような真似をし、申し訳ないことです」
亜人とは、魔族と人間の両方の血を受け継いだ種族だ。
人語を解しながらも足が速かったり、力が強かったりという魔族のもつ特性、外見を持っている。
魔族との取り決めの中に、彼らを厚く遇するという約定があるものの、国によっては差別の対象になっていたり、それこそ奴隷として売り買いされていたりと、その実情は様々だ。
この国は亜人に対する差別を禁じている。
先々代の国王のときはひどかった差別は、今はもう昔のものとなりつつある。表面上は。
「こちらこそはしたない声を上げまして申し訳ございません。クロロ・ロムム……」
かんだ
ふふっと黒ヒョウはかっこよく笑う。
左目を縦に切ったような傷跡が渋い。
座る前に彼はポケットから取り出したハンカチを椅子に広げた。
紳士的な方である。
「我々の名前は呼びづらいでしょう。お嬢さんさえよろしければ、どうぞ『クロ』とお呼びください」
「呼びやすいわ!では失礼いたしましてクロ様、生肉はお好きですか」
「大好物です」
「クレア!生肉をお持ちして!」
りんりんりん
「さて本日は――」
はげ、と文にはあったが
クロのきれいな毛並みはどこもはげているようには見えない。
しなやかに光る短めのモッフモフである。
わきゅわきゅ動きそうになる指を、ソフィは何とかしていさめた。
クロのいかつい腕が動き、着ていたシャツをまくり上げた。
「キャッ」
一応お約束のあれをやってからソフィは顔から手を外して、まじまじとそこを見る。
クロの黒々とした腹の、胸の下あたり
直径3cmほどの、はげがあった。
「どうなさいましたの?」
「……これは」
そうして黒ヒョウは語りだした。
クロはかつて冒険家だった。
13で仲間と一緒に閉鎖的な村を飛び出し、若さと勢いに任せて旅をした。
今から思えばありえないような無茶を繰り返し、運だけはあったようでメンバーの誰も欠けることなく中堅クラスのパーティに育った。
「まあ素敵!なんというお名前のパーティでしたの?」
クロが下を向いてボソボソ言った。
「はい?」
「血塗られし黒金剛石」
「……あー……」
結成時13歳だったのだ。仕方のないことだ。
恥ずかしそうにクロのしっぽがふんにゃりと垂れた。
「お気になさらないでください。皆が通る道ですわ」
よしよし、とソフィはクロを励ました。
厨二病。まことおそろしき狂気のときである。
「後半はもう『ブラブラ』で通しておりました。実際ブラブラしておりましたからな」
別に何か目的があっての冒険ではない。ただ食うために何となく始め、何となく続けられたので続けてしまっただけだ。
35歳のときに立ち寄った街で、クロは運命的な出会いをする。当時30歳だった妻だ。
「雷に打たれたようでした」
ナンパした。振られた。告白した。振られた。花を持って行った。振られた。宝石を持って行った。振られた。
押して押して押しまくり、ついに首を縦に振ってもらえたとき、このまま死んでもよいとすら思った。
「恋とは……」
「はい?」
「恋とはそんなに突然に、激しく訪れるものなのでしょうか」
ソフィを見るクロの黄金色の目が、ふっと娘を見るように柔らかくなった。
「いろいろな形がありましょう。私には激しかった。一目で、この人しかいないと思いました」
パーティを抜けたい旨を仲間に伝えれば、昔からの仲間たちは笑いながら許してくれた。
神速の前衛として名を馳せたころもあったが、すでにその速さが衰えていることを、皆も自分自身もわかっていた。
冒険を純粋な心で楽しめる若き日々は、もう過ぎたのだと
クロは自らの老いを受け入れ、一つ所に落ち着く安寧を選んだ
クロ38歳、妻33歳。
妻が出産した。そして死んだ。
「2人目の子供が産道につまり、ついぞ出てきませんでした。妻は苦しみ、苦しみ抜いて死にました。あとから子供は三つ子だったとわかりました。へその緒が首に引っ掛かり、ねじれ、出てこられなかったそうです」
少し涙声になった。
この方はまだ、奥様を愛しておられるのだわ、とソフィは思った。
帝王切開、などないのだろう。出産は命がけなのがどこの世界でも同じなのだ。
「父親になった実感もないまま、小さな小さな子が一人、このいかつい腕の中に。妻の死を悼む暇もありませんでした」
幸い近所でもらい乳をさせてもらえたが、これから何年も、子供の世話を一人でしなくてはならない。
当時ギルドで力仕事や用心棒の仕事を受けて生計を立てていたが、数日間家を空けたりするそれでは子供のそばにいられない。
必死で仕事を探し、今の門番の仕事にありつけた。
「朝から夕方まで、ただただ門の脇に立っている仕事でございます。夕方になれば門が締まりますので、夕飯までには必ず家に帰られた。亜人に公の職を与えるお上の策があったときだったようで、運がよかった」
昼の間は近所の家の人が面倒を見てくれる。
少しばかりの謝礼を払い、礼を言って、クロは娘と一緒に家に帰った。
「ミイ、ミイとよく泣く子だったので、ミイナと名付けました。ミイナは眠くなると私のここを」
とん、とはげのあるところを抑える。
「ちゅうちゅうと、乳など出ないのに吸うのです。ミイ、ミイと泣きながら、腕でふにふにと私を押して。ミイ、泣くな泣くなと言いながらそのままにさせておりました。小さくて、一生懸命で。可愛くて、愛しかった」
ミイ、ミイや 泣くな泣くな
おれを吸っても乳など出んぞ。ミイ、泣くな
なされるがままに吸わせていたらいつの間にか毛がはげ、新しい毛が生えてこなくなったのだという。
いとおし気にクロはそこをさすった。
小さな娘がくっついているような心持になるのだろう。優しい顔をしていた。
「……小さいうちはそれでよかった。だが13くらいの頃から、ミイナは荒れました。せっかくの美しい黒い毛を妙な色に染め、母親似の形のよい耳に穴をあけ、おかしな飾りをつけだした。良くない仲間とつるみ、朝になっても帰らないことがありました。注意をしても返事もしない。何度怒鳴りつけようかと思ったことでしょう。だが」
言葉を切り、クロはソフィを見た。
「お嬢さんは亜人を見るのは初めてですか」
「はい。引きこもって暮らしておりまして、恥ずかしいことでございます」
アニーはノーカンでいいだろう。
「亜人は、恐れられています。魔族の血を忌み嫌うのは、きっと人の本性なのでしょう。人より何倍も強い力を持ち、異質な風貌を持ったものが人語を解し、人の世界に混ざって暮らすことを嫌う人間は多いのです。今となってはほとんど見かけませんが、私の若いころは爪痕に大きなバツを書いた看板がどこの店先にも下がっていました。猫除け、『亜人お断り』の看板です。立ち寄った街でどの店にも宿にも入れずに、地べたで寝ることなど、当たり前だったのですよ」




