45 ピエロのピエール2 ★10/22追加
ピエールは人気者になった。
行く街行く街で笑い声に包まれた。
祖父はやらなかったボール回しや手品、歌を考え、次々にやってみた。
斬新な芸に目を丸くして人々はそれを見る。ピエールはますます人気者になった。
音楽の流れるカラフルな箱と祖父の骨を持ち、ピエールは国中を回る。
歌と音楽を響かせて、国中の人たちをいつも笑顔にする。
ピエールピエロは人気者だった。
「ええ、昔はでございます」
芸には、流行というものがある。
簡単に言ってしまえば、時代遅れになったのだ。ピエロのピエールは。
「今街では魔力持ちの若い芸人が、風で玻璃の板を割って散らしたり、薄布をさーっと巻き上げて魚のように走らせる芸が流行っております。派手で、見栄えが良くて、若者に受ける」
ピエロは遠い目をした。
「私だって流行に乗ったから食ってこられたんだ。文句をいう筋合いはございません。まあまあ今後食ってける分の金はあるし、もうそろそろ引退しようと思って化粧をさっぱり落とそうとしたんです。若いころはいちいち取ってましたがだんだん面倒になって、ザバザバ水で洗って、毎日上に重ねていたもので。ところが」
顔に乗せた色が染み込んで、落ちなかったのだという。
「まさか……」
「まさかまさかでございます。化粧屋に行って色々試しましたよ。何を試しても落ちないんですこれが。肌に、色が、ピエロの形に染み込んでいたのです」
ソフィは声を失った。
あるのだろうか、そんなことが。
「仕方がないとピエロのまま過ごしておりましたが、酒屋でこちらの広告を拝見しまして。ピエロなど嫌なものです。どこに行っても『きっと面白いことをするのだろう』と期待される。そう思われているのがわかるから、ついつい期待に応えようと滑稽なことをしてしまう。やめればいいのに」
突然ピエールがパッと飛び上がってハトを捕まえた。
暴れるハトを優しく撫で、箱の中に入れる。
そうしながらも指の中からボールを出して一つを二つ、二つを四つに増やしていく。
「もう私は人間に戻りたい。普通の顔で、悲しいときには笑わずに泣きたい。もうただのピエールになりたいのです」
「……わかりました。お顔をこちらに向けてください」
じっとソフィは目を閉じたピエールの肌を見た。
確かに、毛穴が見える。おしろいの乗っていない地の肌だ。
それなのに彼の顔は白く、赤く、青い。
目の下の涙のマークが印象的だった。
普通に考えれば、ただの色素沈着だろう。
だが、とソフィは思う。
きっとピエールピエロは、ずっと泣いていたのだ。
緊張したとき、祖父を亡くしたとき、人気者になったときでさえ
笑って人に笑われながら、ずっと泣いていた。
彼の流した涙で落ちないように、あるはずのないピエロの涙が人にはわからないように
これらは彼の顔に染み付いたのではないだろうか。
まさか、と首を振りながら
ソフィはピエールの顔に手をかざす。
『いたいのいたいのとんでいけ』
本当は泣きたかったピエール少年が
泣きたいときに泣けますように。
『とおくのおやまにとんでいけ』
ピエロの化粧から解き放たれて
一人の人間に戻って、また考えられますように
光のおさまったそこに
当たり前の、小男の
きょとんとしたおじいさんが現れた。
鏡を手渡すと、ピエールは覗き込み、頬を撫でた。
「私は……」
頬を涙が伝った。
鏡が震えている。
「私は祖父に似ていたんですねえ」
じいちゃん、じいちゃんとピエールは手鏡を抱きしめた。
見ててくれたかじいちゃん
褒めておくれじいちゃん
おれはちゃんといつでも笑ったぞ
笑ってみんなに笑ってもらったぞ、と
ピエールが腕を動かすたびに背中から出るシャボン玉が、ぽこん、ぽこんとサロンを漂っている。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
「いいえ。本日はとっても楽しかったです」
「時代遅れのピエロですよ」
「わたくしは初めて拝見いたしました」
そっとソフィは自らの頬を撫でた。
「あまりにぎやかな場所に行かれないものですから」
「ああ……」
目の前の男が悲しそうに眉を下げる。
なぐさめようとしているのだろう。手をソフィに伸ばしかけ、止めて、わきわきと動かして
彼はさっとハンカチを出す
中からステッキが出てくる。
それをくるくる回すと色が変わり
傘になって開いた瞬間に紙吹雪が舞った。
うふふ、とソフィは笑った。
パッとピエールの顔が明るくなる。
「はいお立合い、お立合い」
ぱんぱんと手を叩きながら帽子を取ってクルクル回す。
開いた傘を回し、その上に帽子を投げる。
とととととと……と帽子が傘の上で転がった。
「はい、ピッェエーール!」
「いつもより多いやつだわ!」
ピエールには伝わらないだろうリアクションをして、ソフィは笑いながら拍手をした。
ソフィの大笑いをピエールは目を輝かせて見ている。
ああ、とソフィは思う。
このひとは人の笑顔が、大好きなのだ。
「……ピエール様」
「はい?」
「ピエロのお客様は、にぎやかな道を歩く人達ばかりではないのではないでしょうか」
「……ほう?」
ソフィは考える。
「例えば病院、それに孤児院。お年を召した方がいらっしゃる場所。『楽しさ』や『にぎやかさ』を当たり前に得られない人は、きっとたくさんいらっしゃると思うのです」
ピエールはピエロが好きだ。
だってずっとやってきたのだから。6歳から、54年間、毎日
化粧が顔に染み込むまでずっと
手を変え品を変え
それでも姿と化粧だけは祖父に教えられたものを守って。
時代遅れと知りながら。それだけは変えないで。
「初めてピエロを見る子供たちはすごいと目を輝かすでしょう。ご老人ならピエロを見れば思い出すでしょう。子供だったころの素敵な思い出、自分の子供と一緒に見た思い出。懐かしくて幸せな記憶が、ピエロにはくっついているはずですわ。だってピエロは明るくて、いつもお祭りの中だもの」
あの子たちが見たらどんな顔をするかしら、とソフィは想像した。
きっと揃いの水色の瞳を見開いて
可愛い口をぽかんと開けるに違いない。
「もうピエール様はピエロではないけれど、お化粧をすればいつでもピエロに戻れます。お金に困っていらっしゃらないというならば、今までのように商売としてではなく、そういう場所で、自分の楽しみとしてなさったらいかがでしょう。きっと今まで以上に余裕のある、楽しいピエロになりますわ。子供たちが、大人たちも、きっと目を輝かせて、笑ってピエロを見るわ。みんなが元気になるわ。今日のわたくしみたいに」
ピエールは考え
ムズムズと手を動かした。
肩に手をやる。
「ピッエール!」
ばさばさと
白いハトが現れた。
箱をステッキで叩く。
先ほど入れたもう一羽のハトが出てきて、反対側の肩にとまる。
ステッキをくるりと回し、帽子を被りなおす。
「面白い助言をありがとう。考えておきましょうお嬢さん。本日はどうもありがとう」
「こちらこそですわ」
ぴ~ひょろろ、ぴーひょろろ
ちゃっちゃら ちゃっちゃら ちゃんちゃんちゃん
にぎやかな音の余韻とシャボン玉を残し、ピエロだった男は消えた。
やがてシャボン玉も消え
床に落ちた白いハトの羽と花吹雪だけが、にぎやかで少し寂しい、祭りの後の空気を残していた。




