43 【閑話】どしゃぶり ★10/22追加
その日は朝からどしゃぶりの雨だった。
一日来客の予定もなく、夕飯までにとサロンで本を読んでいたソフィを、マーサが呼んだ。
「クルト=オズホーン師がお見えです。ずぶ濡れなので、お嬢様に玄関まで来てくれないかと仰せです」
ソフィは本を置いた。
「まあ」
玄関に向かえばそこには、全身びっしゃりと雨に濡れた黒髪の男が立っていた。
「傘がお嫌いですの? オズホーン様。意外とやんちゃな一面がおありですのね」
「いえ、差すのを忘れました。ソフィ嬢」
「はい」
「お元気ですね」
「はい。おかげさまで」
じっと黙ったまま、男はソフィをつま先から頭の先まで見た。
「何よりです。玄関を濡らして申し訳ありませんでした。失礼します」
「何があったのかはお伺いできませんの?」
背を向けようとしていた男が止まり、振り返る。
黒い瞳がソフィを映す。
「……本日増水した川に、若い女性の遺体が上がったそうです」
「……」
「生来の病が治らず絶望して死を選んだ娘のものと、それだけしか聞けませんでしたので。あなたがお元気ならよかった」
雨水を髪から滴らせながら
いつもの顔で彼は淡々と言う。
全身色が変わるほど濡れネズミになった男の姿をじっと見て
ぎゅっとソフィは体の前で揃えた両手を握った。
「……それでお仕事が終わってから、すぐにここにいらしたの?」
「はい」
「……うっかり傘を忘れて?」
「はい」
「わたくしが身投げしたと思って」
「可能性の一つとして考えました。先日私は、あなたを大変失望させたので」
「……失望などしておりません。それにわたくしは図太いから、大丈夫です」
「それはあなたの一面であり、繊細な面もおありです。お元気でなによりです」
向けられた背中にソフィは声をかけた。
「傘をお貸しします。今、布も」
「いえ、もう内まで染みているので必要ありません。それでは」
びしょ濡れのまま扉の向こうに消えていった男の足音が
雨音に混ざって消えていくのを
しばらくソフィは、ぎゅっと強く手を握ったまま聞いていた。