39 孤児院のシシリィ・マイリィ3
進んだ三人の前にそれは現れた。
『あらすとらこじいん』
子供の字で書かれた看板が温かい。
子供たちの賑やかな声が、外まで聞こえるそこは
思ったよりも大きく、賑やかで
ほうっと詰めていた息を吐き出させるほどに、あたたかな空気があった。
建物は古くいくつもの修繕が繰り返されているのがわかる。壁の穴をふさいでいるのはどこかの古い看板だ。つぎはぎだらけのシーツが清潔に洗われ風になびき、穴を何度も補修しすぎてもともとの生地の色もわからなくなった小さな靴下がたくさん干されている。塀はボロボロだが隙間を埋めるようにみずみずしい葉っぱが覆っていて、よく見れば食べられる野菜が実をつけている。
質素堅実にして貧を恥じぬ
使えるものはなんでも使う。食えるものならなんでも喰らうという意思を感じさせる、開き直ったような堂々たるたたずまいである。
「なにか御用でございますか?」
庭で子供たちと畑を耕していた若い女性がソフィたちに気づき、手をぬぐいながら笑顔で歩み寄ってきた。小さな子供たちが、興味津々の顔でソフィたちを見ている。ぺこりと彼らに礼をすると、皆ピッと背筋を伸ばして『こんにちは!』と大きな可愛い声で挨拶をしてくれた。
孤児院では簡単な仕事を子供たちが有料で引き受けることが多い。
ソフィの住む領の領主は若いが福祉に厚い良君であり、孤児への対策もその一部だ。孤児院を作りただ単に金を与えるのではなく、孤児に仕事を与える側にその負担する金額を減ずる政策を取っている。
普通に人に頼む相場の6割で、仕事を孤児院に頼めるのだ。
とは言え仕事をするのは子供たち。頼めるのは簡単な掃除や荷物運び、草むしり等、内容は大人の仕事を奪うほどのものではない。
すでにある労働力と上手にバランスを取りながら、子供たちに仕事を与え自分たちで稼がせようというそのやり方を、ソフィは好ましいと思う。
ソフィの身なりから、裕福な家のお嬢さんが何か仕事の依頼にきたと目星をつけたのだろう。営業用ににこにこと微笑む彼女に、ソフィはおずおずと聞いた。
「こちらに、シシリィ様、マイリィ様という女の子はいらっしゃいますか?」
ぴた、と女性の顔が固まった。
ぎ、ぎ、ぎと錆びた鉄人形のように首が動き、建物のほうを向き
「院長! 院長ー!」
叫びながら建物の中に消えていった。
やがて飛び出してきた痩せた高齢の女性が、ソフィたちを認め礼をする。
「アラストラ孤児院院長のマーガレットと申します。このたびはうちの子供たちがご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」
中へお入りください、とソフィたちを促した。
連れられた先は、保健室のような場所だった。
「失礼いたします」
「はい、これは院長」
「様子はいかが?」
「また今日も何も食べません」
「わかりました」
扉の中からそんな会話が聞こえ、ソフィたちはその部屋に招かれた。
白いシーツのかかったいくつかのベッドのうちのひとつの上に、シシリィはいた。
ほんの三日前に会ったばかりなのに、彼女はとても痩せこけてしまったように見えた。
はっと大きな目がソフィを捉えて見開かれた。
その目にじわりと涙が浮き、ぽろぽろと落ちる。
「たいほしないで」
ベッドから降りようとするように掛け布団をどかそうとする。
「マイリィをたいほしないで。お願いします」
「しないわ」
言い切ったソフィに、ほっと息をついて
半目になり
そのままぽすん、とベッドに沈んだ
「あっ……」
思わず抱きとめに走ろうとしたソフィの肩を、院長がそっと手で制した。
保健室の先生のような女性が、そっと布団をかけなおしている。
「二日前夕方に妹をおぶりドロドロになって帰ってきました。それからあの子は何も食べず、夜も眠っておりません。何があったのかを聞き出そうにも何も話さず、話さなくてもよいからご飯だけは食べてくれと職員が懇願しても何も口にしませんでした。妹のマイリィから話を聞いたものの小さな子供ゆえにとりとめもなく、どこかのお屋敷で何かを壊したことだけは断片的に知れましたが、どこで、何を壊したのかがしれませんでした。こちらからお詫びにいくべきところ、足をお運びいただきまして誠に申し訳ございません。大変恐れながら、院長室にて詳しいお話をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「あっ俺は子供にクッキー配ってます」
「わたくしは子供たちと遊んでおりますわ」
うきうきと離れていくレイモンドとクレアを諦めて、ソフィは院長に従って院長室に入った。
一番偉い人の部屋なのにそこは狭く、事務用の机と来客用のテーブル以外は本しか置いていない簡素な場所だった。
慣れない上座に座りもぞもぞしていたものの、あたたかなお茶を供され飲むと懐かしいような不思議な味がして、ソフィはようやくほうっと息をついた。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。わたくしはソフィ=オルゾンと申します。港の近くでこのようなサロンを開いております」
懐から出した『ソフィのサロン』の広告を院長に手渡した。
眼鏡を上げ下げして、院長はそれをじっくりと読み込んでいる。
読み終わるのを待ってからソフィは言葉を続けた。
「正式な文でのご予約ののち二日前シシリィ様はマイリィ様をお連れになり、わたくしのサロンにお客様としてお越しになりました。その際マイリィ様が誤って硝子の置物に触れておしまいになり、確かにそれは割れましたが、大したものではございません」
穏やかなヤギのようだった院長の目がキラリと光った。
「マイリィは『これくらいの、なかにおはながさいているとうめいなきらきら』と言いました。中に花が浮く透かしの硝子細工は門外不出のマイユ産硝子にしかないものかと思われます。たいそう高価で、どんなに小さくともそれはもうこの院の3か月分の食費は賄えるほどの価値のあるものかと存じますが」
ヒュー!お目が高いわ、とソフィは心の中で呟いた。
院長大正解である。
「それではこう言い換えます。わたくしどもは小さなお客様がお越しになることを事前に知りながら、落とせば簡単に割れるようなものを子供の手の届くような場所に置きました。マイリィ様にお怪我はございませんでしたでしょうか」
「ございません。今日も元気に走り回っております」
ほっとソフィは息を吐いた。
「すべて私どもの手落ちでございます。このような広告を撒き人を呼んでおきながら、おもてなしにそのような手落ちをいたしましたこと、誠に申し訳ございません。責められるべきはわたくしども。弁償いただくどころか、こちらから何らかの謝罪をすべきところと存じます」
『マイリィをたいほしないで』
シシリィはそう言った。
高価なものを壊し、馬車行き交う道に飛び出しかねない妹を止めるために謝ることもできないまま走り去らなければならなかったシシリィ
しっかりもののあの子のことだ。妹を捕まえて、謝りに戻ろうと思ったに違いない。
だが
『たいほしないで』
戻れば妹は捕まってしまうかもしれない。
弁償しようにもシシリィはお金を持っていない。
謝ることもできずきっと泣きながら妹をおぶって孤児院に帰り
罪の意識にさいなまれ食事も喉を通らず、眠ることもできなかった。
帰り道、シシリィはどんなに悲しかっただろう
不安だっただろう。
『ふたりぶんやけどをなおしてください (シシリィ6さい、マイリィ3さい・こども)』
一生懸命に書いて、出して、ようやくたどり着いて
ふたりぶんの火傷を治してもらって弾むような足取りで歩くはずだった帰り道は
妹と罪の意識を背負い、どんなに怖くて悲しくて、長いものになっただろう。
期待して、胸を高鳴らせて、それが叶わなかったときの
悲しみを、ソフィは知っている。
「それが謝罪になるかはわかりませんが、もう一度シシリィ様とマイリィ様の治療をさせていただけませんでしょうか。どうかお願いいたします」
立ち上がりソフィは深々と頭を下げた。
シシリィを想い思わず流れてしまった涙をそっとハンカチで拭った。
 




