33 ダンサーイザドラ2
ふとイザドラが苦いものを噛んだような顔で笑った。
「信じられる?裸足のまま近寄って、そのまま舞台に上がっちまったんだ」
「まあ」
盛り上がった舞台に上がる、薄汚れた裸足の子供
先ほどのダンスの真似でもしているのか、おぼつかない足取りでフラフラと揺れる子供に
男たちの怒号が飛んだ。靴を投げられた。
「そりゃそうだよね、もうすぐ美人のおっぱい見れる頃だってのに、汚ねぇ子供に邪魔されたんだから」
「おっぱいの出る舞台なのですか?」
聞いたソフィにイザドラがお茶を噴き出した。
あははははと大きな声で笑う。
「酒場のダンサーなんて最後は素っ裸よ。おっぱいもあそこも見られるねえ」
「なるほど。殿方が夢中になるはずですわ」
あははははとイザドラがまた笑った。
笑いすぎてその目には涙まで浮かんでいる。
「ああ、笑った」
こんなに笑うの久しぶりだ、と寂し気に微笑んだ。
舞台から引きずり降ろされたイザドラは、用心棒の男どもに囲まれた。
家にいた男よりもずっと体格のいい男たちに、少女のイザドラはガタガタ震えながら縮みあがった。
『あんた!』
男たちの輪を破って、綺麗なドレスを着た綺麗な女が現れる。
先ほど舞台で踊っていたダンサーだ。
歩くたびに美しい衣装と、長い髪が揺れる。
『よくも私の舞台をめちゃくちゃにしたね』
『すみません、すみません、すみません』
イザドラは震えながら小さくなって謝った。
酔って暴力をふるう母に、いつもそう言えと言われた。
イザドラが今までで一番数多く口にした言葉。
産まれてすみません
ごはんを食べてすみません
怒らせてすみません
気に障ってすみません
生きていてすみません
激昂するたびに母はイザドラにそう言わせた。
言っても言っても母の機嫌は治まらなかったが、言わないともっとひどくなるのでイザドラは繰り返した。
イザドラの顔を覗き込む女は眉を寄せていたが
不思議に、怖いとは思わなかった。
「なんでそうなったのかわからないけど、その人……アリアが私を洗って、スープをくれた」
『水が真っ黒だよ! あんたはそこらの野良犬より汚いねえ』
あきれたように言いながら、アリアの柔らかいてのひらが、されるがままのイザドラの体のあざをそっと撫でる。
スープと言うのは塩気のあるお湯だと思っていたイザドラは、さまざまな野菜や肉の入ったものを目の前にして固まった。こんな美味しそうなにおいのする温かいものを自分が食べてよいのかと困惑してアリアを見上げると、顎をしゃくるようにして食えという風にされたので慌てて食べて火傷した。
『家に帰りたいか』
食べている最中に問われてイザドラは一生懸命首を振った。
こんなにも様々な色を知って
もうあの茶色いだけの粗末な部屋には戻れなかった。
『親のない子は苦労するよ』
『……苦労したら』
イザドラは考えてから言った。
『あんたみたいに綺麗に、踊れるようになる?』
ふっ、とアリアが笑った
『人の三倍くらい苦労すればなるかもね』
『じゃあ私、たくさん苦労したい』
目の裏に焼き付くアリアの姿を思い出して目を輝かせた。
「アリアはその店の婆と何か話して……ごうつくばりの婆だったからたぶん金も渡したんだと思うけど、私は次の日からその店の従業員になった。力もないし子供だしで最初は役には立たなかったんだけど、飯はちゃんと毎日もらえたよ。給料はなかったけど、寝るための小さい部屋ももらった。狭くて汚かったけど、私にはすごいことだった。皿洗いとか、掃除とか、給仕とか、できることから何でもやって、やりながら見られる範囲でずっと舞台を見てた」
酒のにおいも、タバコの煙も、男たちの声も、昼夜逆転の生活もちっとも嫌じゃなかった。
美しい女たちが踊る美しい舞台を
小さなイザドラはじっと、見つめていた。
「店には専属のダンサーが10人いて、アリアはそうじゃなかった。結婚して一度は足を洗ったんだけど、旦那に甲斐性がないから一晩いくらの契約でたまに踊ってたみたい」
でもアリアが一番綺麗だった。アリアの娘になれたら一番よかったなあ、とイザドラは悲し気に笑う。
「働きながら見よう見まねで、私は踊った。15になったら、舞台に立てるようになった。住み込みの従業員じゃなくて、専属のダンサーになったんだ」
いろんな女のひとがいる
いろんな踊り方がある
悲し気に踊る人
セクシーに踊る人
明るく華やかに踊る人
「どうせ脱ぐんだからって、初めに素っ裸になるんじゃないんだよ。どう見せよう、何を感じてもらおう。みんなそれぞれ考えて、舞台の上で綺麗に見えるように工夫するんだ」
目をキラキラさせながら語るイザドラに、ソフィは微笑んだ。
この人は本当に、舞台が好きなのだ。
この部屋に入ってきたときの彼女とは別人のように活き活きと、イザドラは踊りの魅力を伝えたいのに伝えきれないもどかしさにうんうんとうなっている。
「そうだ!」
パンとイザドラが手を打った。
「踊っていい?」
「ええ」
微笑んでこっくりとソフィは頷いた。
イザドラは語彙が少ない。語るのもあまり上手ではない。
地域学校に通わなかった彼女は、店の中で見よう見まねで言葉と文字を習ったのだろう。
マーサにミミズの死骸と吐き捨てられたそれは、師もいないなかイザドラが必死で身に着けた、努力の証だ。
「馬鹿だなああたし。最初からそうすりゃよかったんだ」
うきうきと立ち上がり
「これ使っていい? あとこれも」
なんの骨かわからない動物の頭蓋骨と、大きな布、貝を手に取った。
「どうぞ」
「じゃあ始めるよ。音楽はないけど、ま、いいや」
布を体全体に巻き付け、しゃがみこみ、頭蓋骨を頭の上にピタと置いて片手でおさえた。
祈りのポーズに見えた。
片手に持った大きな巻貝の中に砂を入れたらしく、彼女がわずかに手を揺すると、しゃらしゃらと澄んだ音がする。
しゃん、しゃん、しゃん、しゃん
一定のリズムに合わせイザドラの手が降り、頭蓋骨は仮面のようにイザドラの顔を覆う。
しゃん、しゃん、しゃん、しゃん
頭蓋骨のわきからイザドラの顔が覗き、ソフィはドキリとした
獲物を狙う獣のようであった。
ソフィのサロンのなかに、奇妙な生き物がいるようだった。
リズムに合わせてイザドラの腰がくねり、蛇が鎌首をもたげるようにして立ち上がる。
しゃん!
ひときわ大きな音とともにイザドラは立ち上がり
大きくはためかせた布の中に骨を押し込みばさりと動かした。
先ほどの奇妙な生き物は布に移り、イザドラは人に戻る。
なめらかで、その眼は勇ましい。
恐ろしい奇妙な生き物を倒しに来た、戦う女に見える。
先ほどまで子供っぽい態度で語っていたイザドラではない。
そこで舞うのは別人の、背のしゃんと伸びた美しく強い女だった。
生き物のように動く布が噛みつくようにイザドラを覆うたび、いったいどうやっているのかイザドラの服がほどけていく。
しゃん、と鳴るごとに布が女を襲う。
押し返すイザドラの、剣舞のような舞が美しい。
やがて露わになったイザドラの体は、美しい稜線を描いていた。
がぶりと布が女戦士を噛みついた。
思わずあっと声を上げるソフィの前で、イザドラの体は布に引き倒され、横たわる。
布から出た腕がぱたりと倒れ、しゃらららら……、というかすかな音を出して貝が転がっていった。
「ほんとはここから御開帳も含めたサービスタイムなんだけど、お嬢様に見せるようなもんじゃないからやめとくね」
舞台だったらこのあと獣が女戦士を犯すんだよ、と嬉しそうに、がばと起き上がったイザドラが言う。
「すごいわ!」
パチパチパチとソフィは一生懸命拍手した。
前世でも現世でも舞台など見たこともないソフィだが、すごいと言うことはわかる。
「どうやって考えるの?」
骨も、貝も、たまたまここにあっただけのもので、即興でどうやってこんな踊りができるのか、ソフィは不思議でならない。
照れたように微笑み、イザドラはそっと自分の胸に手を当てた。
「ここに」
信じてもらえないと思うけど、とイザドラが照れたように言う。
「神様がいるんだよ」
「まあ」
「あの日、アリアの舞台に飛び込んだ日からずっとここにいる。考えなくても、こうやればいいんだよ、って見本を見せてくれるんだ」
すごいわすごいわとソフィは頬を染めた。
「こんな舞のあとにあなたの体も見れるのだもの。お客様は二度おいしいわ!」
興奮して変なことを口走るソフィに、それほどでもと笑った後、イザドラは目を暗くして、体にかかっていた布をどけた。
白くくぼんだおなかの上に、紫のミミズがひきつれたような、奇妙な多くの曲線があった。




