30 海女アマリリス
その客は親子で連れ立って現れた。
「娘のアマリリスです。16歳です。海女です」
ほら、ご挨拶なさいと母親が娘に呼びかけた。
娘アマリリスは焦点の合わないぼうっとした顔で、ソフィを見ている。
眠れていないのだろう、目の下に黒々としたクマがある。
顔につぎはぎのような、不思議な跡があった。
魂の抜けた人形のような娘の体から、母親が衣裳をはいでいく。
健康的な肌の、腕の根元、腹、背中に
同じような跡がある。
「どうなさったのですか」
「火薬の爆発事故に、巻き込まれたのです」
アマリリスは海女だった。
素潜りで海に潜り、貝やウニ、カニ、エビをとる。
いつも通りアマリリスが仕事をしていると、大きな国営の船が通りかかった。
「突然どおんと、大きな音がしたそうです」
熱風に顔を焼かれた。
波に飲み込まれた。
そこで意識は途絶え、起きればこの通りの姿になっていた。
「国が起こした事故でございますよ。何人もの人が巻き込まれ、死人も出たそうです。幸い癒院に中央から派遣されている腕のいい若い癒師がいたそうで、ちぎれかけていた腕も、足もつながりました。おかげさまで体はいたって健康なのです」
あっ、その人知ってるわ、とソフィは思った。
「でもあれ以来、娘は眠れなくなりました。突然奇声を上げたり、大きな音に飛び上がったり。お付き合いしていた男性がいましたが、この子の様子に驚き、もう連絡もありません。鏡を見るたびに事故を思い出すらしく、身だしなみを整えようともしなくなりました。命をつないでいただけただけでも本当にありがたいとは思います。ですがこの子はまだ若いのです。嫁入り前なのです。どうかこの肌を治してはいただけませんでしょうか」
「やってみます」
ソフィはアマリリスの顔に手をかざした
『いたいのいたいのとんでいけ』
ただ、いつも通りに仕事をしていただけなのに
突然手足がちぎれるほどの事故に巻き込まれた少女
どんなにショックだっただろうと、アマリリスに心を寄せながら同時に
きっと必死だったことだろう、と
ソフィはここにいない真面目な変人のことを思った。
手足がちぎれかけているような人たちが、何人も同時に運び込まれたのだ。
吹き出す血とはらわたを抑え、ちぎれかけた手足をつないだ。
元通りの健康な体に戻した。
血にまみれながら、多くの命を救ったのだろう。きっと。
『とおくのおやまにとんでいけ』
詠唱を終えた瞬間
ぎゅん、と情報が頭に流れ込んだ。
生きろ
死ぬな
戻れ!
誰かの声が頭に流れ込んだ。
がくんと膝が抜ける。
心配そうに母親がソフィを見ている。
「……やさしい光……」
アマリリスがぽつりと言った。
はっと顔を上げる。
アマリリスの顔の跡は、半分ほど消えていた。
はあ、と息を吐く。
大量のマナを消費したのがわかった。
数値化できるものではない。
『いつも通りのいつもの距離を走ったのになんだかいつもよりずっと疲れてるわ』という感じである。
はあ、はあと息をした。
自然にできたものではなく
誰かの魔力でできた傷を滑らかにするのは、もしかしたら抵抗が大きいのかもしれないとソフィは感じた。
でも治せた。半分だけれど。
「お時間をいただくかもしれません、お許しください」
「あの……大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
脂汗を拭いて、ソフィはアマリリスに向き直る。
『いたいのいたいのとんでいけ』
繰り返す
『とおくのおやまにとんでいけ』
快活そうな、日焼けした少女だ。
可愛らしい少女だ。
今日ここを訪れるまでに、彼女はどれだけの頑張りを求められたことだろう。
大きな音の溢れる街で何度休み、息を整え、うずくまらなければならなかっただろう。
母親だってそんな娘を見るのはきっと辛かったはずだ。それでも二人は身を支え合いながらここを目指した。
逃げた腰抜け男など放っておけばいい
きっといいことが、これからいっぱい起きるから
どうかこれ以上傷つかないで
何度もソフィは詠唱した。
生きろ
何度も繰り返した
死ぬな!
そのたびに声は流れ込んできた。
そして
「ありがとうございます」
母親が号泣している。
「ありがとうございます!」
すっかり元通りになったアマリリスが、自分の肌を見ている。
汗にまみれ息も絶え絶えで、だがソフィはその疲れを隠した。
「お母様、アマリリス様は、心もけがをされておいでです。どうか無理に忘れさせようとか、気分転換をしようとか、明るくしようとかはなされないでください。アマリリス様が何かお話になりたそうなときは、どうか口を挟まず、ただ、ただ聞いてあげてください」
はい、と母親は涙ながらに何度も頷いた。
「アマリリス様、お心が乱れるのは仕方がないことです。貴方様が弱いわけではない、誰にでも起こりうることなのです。眠れなかったり、震えてしまうご自分をどうか許してあげてください。命に関わるようなことが起きて、まだ心がびっくりされているだけなのです。無理をせずに休ませていればやがて心にもかさぶたができて、自然に癒えていきますわ。辛いと感じたらすぐに心を休ませてあげてくださいまし」
はい、とアマリリスが頷いた。
部屋に現れたときのぼんやり感は薄れている。
その瞳からぽろ、と涙が落ちた。
「とても、とても優しい光でした。あたたかかった。治してくれてありがとう」
「どういたしまして」
重たい体を引きずるようにして、クレアに伴われ退室する二人をなんとか見送った。
がくんと膝が抜け、体がカーペットに沈む。
あ、これ死ぬやつだわ、と
まり子の記憶がフラッシュバックした。
「ソフィ嬢、失礼する」
薄れゆく意識の中、そんな四角い声が聞こえた気がした。




