表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/77

19 男爵令嬢アラシル2


 ごめんなさいお姉さま、ごめんなさいと

 

 細い肩を震わせ白魚のような指を顔に当て妹は可憐に泣いた。



 妹の肩を守るように抱いた婚約者は悲劇に酔ったように言った。



 君の妹と知りながら愛してしまった。

 

 悪いのは僕なんだ

 

 どうか彼女を責めないでくれ、僕は彼女と結婚する! と。



「父は元婚約者と妹を叱りもせずに私にお見合いの釣り書きを3枚持ってきたわ。お見合い用の肖像画でもそれとわかるほどのデブと、ハゲと、二回り上の田舎貴族の後妻の3枚を」


 ぽろぽろとアラシルの頬を涙が伝った。


「あの二人の持参金で、うちはずっと裕福になったわ。お母様が寝付いていたころの陰気な雰囲気は消えて、召使も増えて、華やかでキラキラしたものが溢れるようになった。うちで暗いのは、汚いのは、――いらないのはもう私だけなの」

 

 屋敷にいれば腹をなでる妹の姿と幸せそうな元婚約者が視界に入る。


 気が立ち、言葉と態度が荒れるのが自分でもわかっていた


 妹を見る目に険が出、それを見る元婚約者の目が嫌悪に歪むのにも気づいていた。


 イライラと顔を引っかくせいでニキビが潰れ、手入れをしないせいで日増しに醜くなっている自分にも気づいていた。


「このままでいいわけがない、と思いながらも何もできなくて、そんなときにあなたの広告を見つけて……私は」


 ぐっと唇を噛み締め、暗い瞳をした。


「もちろん治せるのなら治してほしかったけれど、本当はそれだけじゃないの。ここならばきっと私より醜くて、陰気で、かわいそうな令嬢がいると思って、それを見に来たの。友達もいないうじうじした醜い子が話し相手を探しているのだろうと思って。この子よりはましだわと思って帰りたくて来たの。少しでもよく見せようと思ってお化粧までして。……なのにあなたはお金持ちで、明るくて、召使も親切でなんだか楽しそうで……私はなんだか、よけい惨めになったわ」

「あら顔はこの通りですわ」

「でもなんだかすごく楽しそうじゃない!」


 あらどうもと答えてソフィはアラシルを見た。

 せっかくの上品な顔立ちが、ぐにゃりと歪んでいる。

 はあはあと息を上げ、血走った目は吊り上がり、乱れた髪が頬に張り付いている。


「同情しないで! そんな風に見ないでよ! そうよ私は暗くて、陰湿で、顔も心もとても醜いの! みんなに嫌われる、あてつけがましくてうざったい怒りんぼなのよ!」

「違うわ」


 ソフィがきっぱりと言った。


「え……」

「違うわ。あなたは怒ってないわ。ただ悲しいだけ」

「……」

「悲しくて、悲しくて、どうしたらいいかわからないだけよ。当然だわ、4年間も」


 ソフィがアラシルの手を取った。


「こんなになるほど、たくさんたくさん我慢して頑張ったのに、誰にも認められなかったことが悲しいだけ。お母さまを失ったこと、お父様、婚約者に裏切られたことがとても悲しいだけ。でも悪いけど言わせていただくわ。あなたの家族、全員阿呆よ。阿呆たちに認めてもらう必要なんかないわ」


 よしよし、とソフィがアラシルのごわごわの頭をなでる。


「よく頑張ったわアラシルさん。あなたに看護されて看取られて、きっとお母様はお幸せだったわ。毎日重たかったでしょう。眠たかったでしょう。臭かったり、汚かったりしたでしょう。それでも誰にも泣き言を言わなかったのでしょう? あなたは本当に偉かったわ」

「うっ…」


 うわーんと声を上げてアラシルは泣いた。


 私がんばったの


 苦しくて、辛かったの


 でも誰も、誰もわかってくれなかったの


 ホッとなんかしてごめんね、おかあさん



 荒れた手で顔を覆ってアラシルは泣いた。


 こらえていたのだろう。

 家の中では泣けなかったのだろう。

 身を振り絞るようにして泣いた。




『いたいのいたいのとんでいけ』


 ソフィは手にしゅわしゅわする泡をもつようなつもりでアラシルの肌にかざした


『とおくのおやまにとんでいけ』


 がんばり屋さんのこの子が

 どうかもっと大切に、優しくされる場所へ行けますようにと



 詠唱を終えて光が去ったその場所には

 青白いほどの澄んだツルツルの顔が現れた。


 鏡を覗き込んで一瞬パッと明るくなったアラシルの表情が

 やがてじわじわと、暗く沈んでいくのをソフィは見た。


「どうなさったの?」

「ええ、うん、……やっぱり地味な顔だな、と思ったの」

「そうかしら?」


 じっとソフィはアラシルを見つめた。

 確かに、顔のパーツはそれぞれ大きくはない。

 だが形の揃ったそれぞれがちょうどいい塩梅に配置されていて、スッと鼻筋の通ったお雛様のような顔立ちだ。


「もっと優しい……女の子らしい顔ならよかったのに」


 ため息とともにアラシルが言った。

 ああそうか、とソフィは気づいた。

 アラシルは『妹』の、春の妖精のような女性らしい雰囲気こそを美だと思っているのだろう。


「アラシルさん、先ほどの化粧水、何からできているとお思い?」

「いいにおいがしたから、花か何かかしら」

「ううん、苔なの」

「やだ私顔にコケを塗ったの!?」


 やだやだ、ともうすっかりツルツルになった頬をアラシルが押さえた。


「ポトマという苔からとれる水に、香料を足した化粧水なの。ポトマは日の当たるところに生えなくて、森の中の湿気のあるところの岩などに生えるのよ。水分をたっぷり蓄える性質があって、ポトマが生えていると周辺の木がよく育つの」

「……日陰にしか育たないなんて、ずいぶん陰気な苔なのね」


 ふん、と言いながら悲し気に眉を下げた。


「きっと苔なんかじゃなく、花になりたかったでしょうに」


「雨が降らない時期、動物たちはポトマのある所に集まるの。そしてぺろんぺろんとポトマを舐めて、水分と塩を得るの。動物たちは知っているのよ。困ったとき、ポトマが自分を助けてくれる存在であることを」

「困ったときだけ頼るなんて、都合がいいこと」


 ふんとまた鼻を鳴らした。


「でもねポトマは賢いの。ポトマは動物に踏まれるとぽふんと胞子を出しくっついて、動物に自らの種を運んでもらうの。自身は動けないからこそ動物を呼びよせ運び手にして、別の住みよい場所に根を下ろし、新たな地でまた木と動物を助けるの。奪うばかりでも与えるばかりでもなく、持ちつ持たれつで繁栄しているの」

「……」


 じいっと膝を抱くアラシルに茶とタルトを勧めた。


「アラシルさん、あなたはお家を出たほうがいいわ。あなたの家族はきっとあなたを幸せにしないと思うの」

「でも、ハゲかデブか二回り上の田舎者の三択なのよ」


 じっとりとアラシルがソフィを見上げた。

 入ってきたころの勢いはどこへやら。ずいぶん子供っぽい顔をするようになった。


「あら殿方なんていずれ皆ハゲかデブか年寄りになるじゃないの。どうせ皆最終的には転んだだけで骨が折れる、夕飯を食べたのかすら忘れる生き物になるわ」

「先を見すぎだわ!」


 アラシルが目を剥いた。

 クスクスと笑いながらソフィはタルトを口に運ぶ。

 美味しいからアラシルさんも召し上がってとアラシルに勧める。


「ビヨルン様がまだお好きなの?」

「……わからないの」


 口の中のものを飲み込んで、ぽつんとアラシルが答えた。


「……そもそもビヨルンが好きだったのか、よくわからないの。お前の婚約者だよと差し出されて、はいそうですかと受け取って、いつの間にか妹に盗られていて」

「貴族なの?」

「ええ、男爵家の三男」

「お顔は? 背の高さは?」

「普通よ。背は私より低いんじゃないかしら」


 アラシルは背が高い。

 スッと伸びた足の形が、とても美しい。


「そう……嫌なことを言っていいかしら」

「今まで散々言ってたじゃないの。どうぞ」

「今回のこと、おそらくあなた様の『お母様』にとっては計算外だわ」

「え?」

「お金持ちの未亡人がなぜ貧乏貴族と再婚したのかしら」

「父を好きだったからじゃないの?」


 ふふんとソフィは嫌な感じで笑った。

 長年昼の人生相談番組をせんべいをかじりながら見続けたオカンのゲスさが光る。


「いいえおそらく娘に箔をつけるため。娘と貴族との結婚を狙ったのよ。なのにそんなどこの馬の骨ともわからない貴族の三男の子供をあっさりと妊娠するなんて。今頃ハンカチを噛み締めておいでだと思うわ」

「まさか……」


 キランキランとソフィがゲスに光る


「ついでに言えば妹さんだって、貴族になって姉の婚約者を寝取ったという達成感に脳内麻薬が出ているお花畑期間が過ぎたら目を覚ますわ。あれ、なんかよく見たら大した男じゃないじゃないのと」

「さっきから馬の骨やら大した男じゃないやら人の元婚約者に向かってずいぶんな……ビヨルンはそこまでじゃ……――あら、でも待ってよく考えてみるわね」


 じっとアラシルが頭の中の映像を巻き戻しているように目を泳がせた。


 一度止めて戻したか、眉間にしわを寄せて今度は目を瞑る。


 やがてパッと頬をばら色に染め目を開けた。


「――大した男じゃない馬の骨だわ!」

「ほらね!」

「なんだかかっこいいような気がしていたけど背は低いし、声は高いし、髪は天然パーマだしときどき鼻毛が出ているし!」

「そうよそれなのに身の丈もわきまえず婚約者の妹に誘われてまんまと手を出すど阿呆よ! かんだあとの鼻紙以下のドクズだわ!」

「おっしゃる通りだわ!」


 キャアキャアと二人してフォークを放りだし手を組んだ。


「それより下の男なんてなかなかいないわ。まだご家族がお花畑で見合い話が持ち込まれる今のうちに、ハゲかデブか二回り上の三択で選びなさいませアラシルさん、選べるだけましよ。生きている人間ならオッケーよ!」

「わかったわソフィさん、私がんばる!」

「その意気よアラシルさん、あ、そうだわ」


 りんりん、とソフィがベルを鳴らした。

 お呼びですかとクレアが扉から顔を出す。


「何度もごめんなさい。わたくしの化粧箱を持ってきてちょうだい」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 前回のこんちくしょう!もほんまそれ!となりましたが、鼻紙以下もほんまそれ!となりました。 [一言] 3択だったら生活習慣病の可能性がありそうな「デブ」を選んで、一緒に長生きしてほしいの…と…
[一言] なんだか、読んでいてとっても元気が出ます(笑)
[良い点] 生きてるだけ御の字ってwww
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ