15 料理人ウマイ1
「今度こそですわ」
またテーブルクロスを撫でながらソフィは三度目の正直を待つ。
アニーにも、イボンヌにも、満足してお帰りいただいたものの
ソフィは本来の『治療』にまだ一度も成功していない。
今度こそと今回も乱れていないテーブルクロスをソフィは撫でる。
今回の文は実に質素だった。
薄く質の悪い一般的な庶民が使う紙に
『火傷の跡を治したい 料理人 ウマイ(男、20歳)』
ウマイ氏は料理人だからきっとたくさんの火傷があるのだろう。男性だから小さな火傷ならほっておくだろうし、何か事故があって大きな火傷を負ってしまったのかもしれない。
今度こそ、今度こそとソフィは盛大にクロスを直す。
『若い男だと!』
ユーハンが案の定難色を示した。
ぐっと眉間に皺を寄せて、うむむむむとうなり続ける。
グルグルと変な動物のように部屋の中を回った末バタンと部屋を飛び出し、手に持った不思議な色の石をソフィに差し出した。
『これは……?』
『護身用の魔石だ。攻撃の意思を持って相手に投げつければ、いい感じに爆発するよう加工されている』
『爆弾ではないですか!』
『これを持っていてくれないのであればこの私の一存で今回の依頼は断る』
ユーハンは真剣な目でソフィを見つめた。
『これまでのような身元の確かな女性ではない。これは父がギリギリ譲れる最後の線だ』
『……わかりましたわ』
しぶしぶながら受け取ったそれを、ソフィはテーブルの下に隠した。
『これほどまでに違うのですね』
父には聞こえないようにソフィはため息をついた。
この世界には、身分の差が存在するのだ。
困っている人に対し爆弾を持って迎えなければならない己の弱さが悲しかった。
りん、りん、りん
三回目にもなればクレアのベルの音も涼しくなるものである。
ソフィは立ち上がって客を迎えた。
のっそりと、大きな男性が部屋の中に入ってくる。
深くフードを被っており顔が見えず恐ろしげに見えるが、肩をすぼめてきょろきょろと部屋の中を見回すその態度は、完全に戸惑っている。
「ソフィ=オルゾンと申します。本日はお越しくださってありがとうございます。ウマイ様、こちらへお座りください」
ソフィは明るく声をかけ、ウマイを椅子に招いた。
オドオドと近寄った。おのれが上座に座ることに困惑している様子だ。
「どうぞお座りになってください。熱いお茶と冷たいお茶、どちらをお召し上がりになりますか」
初夏になり始めていた。お年を召した方ならともかく、若い男性なら冷たい茶のほうを好むだろう。
案の定冷たい茶を所望したウマイに、にこにこと笑いながら硝子のグラスを差し出した。冷やした茶に、薄く切ったレモンを浮かべてある。
「ひんやりさっぱりして、美味しゅうございます。お茶請けは甘すぎませんよううちの料理人が工夫をいたしました。オレンジの皮とアーモンドを使った焼き菓子でございます」
おそるおそると行った様子で男は茶と菓子に手を伸ばした。
さく、さく、という遠慮がちな音のあと、がぶりと一気に口に収め咀嚼してから茶を流し込む。
ああ、と思わずというような声が漏れた。
「うまいなぁ」
「そうでしょう」
にっこりと微笑むソフィに、うっと男が黙り込み、指をわずかにうろたえるように動かした。
「その……」
「はい」
男は言い淀む。
「この菓子を持って帰ってもいいでしょうか」
焼き菓子はまだ皿にたんまりとある。
一枚だけ食し、あとを持って帰りたいと彼は言う。あんなに美味しそうに食べていたというのにだ。
もしや気に入らなかったのだろうかとソフィは眉を寄せた。
「え?」
「いや……ええと」
男がまたうろたえ、ガシガシとフードの上から頭をかき、うつむく。
「親に……甘いものなどとんと遠ざかっているから……」
恥じ入った、消え入るような声だった。
まあ、とソフィは声を上げる。
「レイモンド……料理人が喜びますわ! 追加で同じものを焼かせますのでこちらは召し上がっていただけますか? うちの料理人はたくさん食べてもらえるのが大好きなのです」
海賊に比べたらうちのものは食が細うございますからかわいそうで
蔑む様子もなくただただ料理人を褒められたのがうれしくてしょうがないといった様子のソフィを驚いたように見つめ、男は息を吐いた。
「ありがとう」
「こちらこそですわ」
ルンルンと表にいたクレアにレイモンドへの言付をたのみ、ソフィは椅子に戻る。
「それでウマイ様、本日は火傷の治療ということでよろしいでしょうか」
「……はい」
沈黙である。
厚いフードを取ろうと彼の手が上がるが、そこからぴたりと動かなくなった。
「……」
フンスとソフィは鼻から息を出した。
令嬢にふさわしくないふるまいである。
そして勢いよくおのれの顔に何重にも巻かれた包帯をほどきだした。
慌てる男の前に、やがてソフィの顔がさらされる。
ぼこぼこした黒っぽい固い皮
ところどころめくりあがり、血のような赤い汁と、黄色い汁が垂れ落ちる。
ソフィを見つめ、呆然と男は固まっていた。
「わたくしは見せましたわ! あなたもとっととそのフードをお脱ぎなさいませ!」
「……ごめんよ」
男の声はいたわりに満ちていた。
「見せるから、その、君は隠していいんだ」
「隠すものなどございませんわ」
言い切ったソフィに、男は噴き出した。
「こんなに気丈なお嬢様が出てくるとは思わなかった」
微笑みながら男はフードを下げる。
露わになった顔はその半分が、首の下まで浅黒い火傷の跡に覆われていた。
「まあ……」
ソフィは思わずその跡に手を伸ばす。
料理で油がはねただとか、マフィンを焼いていてオーブンにジュっとしたとかなどという次元の話ではない。
これは……
「15のとき、家が火事になって」
そうして男は話し出した。
ウマイは繁盛している食堂の一人息子として生まれた。
食材によって少しずつ衣を変えた揚げ物を名物とする、町の中心からは少し離れた、池のほとりにある一軒家の食堂である。
洒落たレストランなどではない。腹をいっぱいに満たしながら酒を飲むための庶民的な大衆食堂であった。昼は安くてうまい定食も出す。
幼いときからウマイはくるくる良く働くふくよかな母と、寡黙で頑固な父を見ていた。
6歳から近くの地域学校(寺子屋のようなものである)で字と計算を習いながら、10歳から店を手伝った。
父はウマイに具体的な指導はしない。自分の仕事をよく見、仕事を盗むように言うだけだ。
酒を飲みながら大騒ぎする海の男が多い酔客を、幼いときから見て育った。
「エビのわたが抜けてねえぞ!」
父はよくウマイを叱った。ときにはげんこつも降ってきた。
地域学校では成績が良かったので、もう一つ上の学校に行きたいと両親に頼んだ、が、にべもなかった。
「料理人に学なんざいらねぇよ」
言い切った父はウマイの目の前でビリビリと上級学校の案内を破った。
地域学校を卒業した12歳から、ウマイの修行は本格化していく。
簡単な下処理や、添え物の野菜のサラダや焼きを任されることもあった。
だがメインの揚げ物はまだ父の仕事である。
「見ろ、そしてよく聞くんだ」
父の揚げる音に耳をそばだて、『今!』と言ってときたま当たったとき父と笑いあった。
そんな二人を母も微笑んで見つめていた。
「思えばあの頃が一番楽しかったです」
顔をむき出しにしたウマイが、しみじみと言う。
「なんの屈託もなく、そこが自分の場所だと思えました。俺はここんちの子だ、だから料理を習って、うまい飯を作って、盛大に食べてもらうのが俺の道なんだと思っていました」
語るウマイの横顔に、暗い影が差す。
忙しくない時間帯だけ揚げを任され始めた15のとき、まだ夜の忙しさを迎える前に、数人の若いお客が入った。
腰に痛みを感じ始めた母を手伝い、給仕も行っていたウマイの前にそれらは現れた。
「ようウマイ!」
にこやかに……鬼の首を取ったように笑うのはかつての地域学校の同級生だった。




