13 貴婦人イボンヌ2
父を問い詰めれば、なんでも先物取引に失敗し、大きな借金をこさえたとのこと
次の期限までに借金を返せなければ、この屋敷の存続すら危ういのだと
おとなしく田舎の領を無理なく治めていれば、贅沢はできなくとも穏やかに暮らせたというのに
父親の浅はかさに顎が落ちる思いだった。
聞けば聞くほどそれは単純な投資の失敗などではなく、詐欺師に騙された田舎男爵の愚かな話だった。
我が父はここまで阿呆だったかと驚愕しながら
同時に、語る父親の小さくなった背中、薄くなった毛髪を見て気づいた。
――寂しかったのだ。父は。
おとなしい性格で、これといった趣味もなく、酒にも弱い
妻を早くに亡くし、親しい友人の訪れもなく
娘が学園の寮に入り、召使の数が減った広い屋敷で、ただぽつねんと仕事だけをする日々
そんな中にこにこと笑いながら親し気に近づいてきた男たち
父をほめたたえ、楽しいジョークで和ませ、ビジネスの話をし、あたかも自分が有能な実業家のような気分にさせてくれた男たちからの『ここだけの話』に乗って金を出した。
父は寂しかったのだ。誰かに褒められたり、話を聞いてほしかったのだ。
イボンヌと同じだったのに。娘の自分こそがしてあげなければならないことだったのに。
旅費がもったいないからとろくに家に帰らず、文も書くことがないために定型的なそっけないものばかりであった。
イボンヌにとっての花が父にはなかった。
いや、花だと思って心許したものが、ただの金目当ての詐欺師たちだった。
「身分を捨て、家を売る決心をいたしましたわ。どこまで働けるかわからないけど、幸いわたくしには職業婦人になるなら仕事を紹介するとおっしゃってくださる先生もいました。一人で勉強ばかりしておりましたから、評価してくださる先生もいたのです」
イボンヌがきりりと燃えるような目をした。当時の記憶が蘇り、少女に戻っているのだ。
愚かな父を許し、身分を捨て、働きながら支えようと決意した少女の頃に。
「そこに意外な申し出が飛び込みましたの」
お見合いの申し込みだったという。
「近くの領地の男爵家からでした。位は同じでも、うちなどよりもよほど伝統ある、裕福なお家でしたわ。突然の申し込みに父もわたくしも驚いて、これもまた何か騙されているのではないかといぶかしんで、うんうんうなって。でももうわたくしたちに失うものは何もありませんから、母の古いドレスを着て首をひねりながらお見合いに行きましたのよ」
仲人も後見人もないお見合いの場に、イボンヌは父とともに乗り込んだ。
古いがよく磨きこまれた屋敷だった。
大切に使われているソファは柔らかくイボンヌを抱きしめてくれた。
そわそわと落ち着かない二人の前に
「くまが現れましたわ」
「くま!」
クスクスとイボンヌは笑う。
「くまと優し気な奥様と、大きなくまのご主人様でしたわ」
どこかで見た顔だわ、とイボンヌは思った。
そしてあっと思い出す。
裏庭の手入れをしているとき、ときどき見た顔だ。
何か体術の部活動をしている男くさい集団がランニングをする際ときどきいつも同じ方向からイボンヌの横を通りかかった。
そのなかに見たことのある、体の大きな男子生徒の顔だった。
「わたくしを見染めた、とおっしゃるの」
ポッとイボンヌが頬を染めた。
少女のような恥じらい方だった。
親同士を交えての懇親ののち、あとは若いお二人でと庭に出された。
『わたくしたち、お話したこともございませんわ』
率直に言ったイボンヌに、そのくまは顔を真っ赤にして答えた。
『それでも僕は、ずっとあなたを見ていました』
暑い日も、寒い日も一人で
丁寧に優しく花の手入れをする小さな少女を見ていた。
手を泥だらけにしながらしゃがみこんで雑草を抜いている背中を見ていた。
悲しそうな顔を、寂しそうな顔をしているとき
話しかけて慰めたいと思いながら、勇気が出ず声もかけられなかった。
あんなきれいな人が、突然こんな大男に声をかけられたら怖がってしまうに違いない。
明日にしよう、また今度にしよう
そうやって毎日弱い自分を擁護して、結局卒業前まで何もできなかった。
『きれい?』
イボンヌはぎょっとした。
『わたくしのこの顔がですか? こちらからもちゃんと見まして?』
あえてほくろを前面に押し出して迫るイボンヌに、くまはきょとんとした顔をした。
『いや、むしろいつもこちら側のお顔を拝見していました。反対側はいつも壁に向いていたからその……今改めて見るときれいすぎて、恐れ多くて。そちらばかり見ていたらこんな風に申し込むこともできなかったかもしれない』
学園で、親しい先生がイボンヌの話をしているのを聞いたのだという。
聡明な少女がもったいない、という噂話からたどってイボンヌの現状を把握し
結婚話を持ち込んだ両親に向かって、添いたい人がいると生まれて初めて強く主張したという。
驚いたことに彼はイボンヌの父が背負った借金の金額まで把握しており、もしよければ自分で立て替えさせてくれないかとまで言った。彼か、彼の両親かがわざわざ金を使って、詳しく調べたに違いない。
それを知ってなお
彼はこうしてまっすぐに向き合い、はにかみながらイボンヌを見つめてくれる。
『突然こんなことを言ってごめん。君の不幸につけこむようなことをしてごめん。でも』
ずっとずっと、君を見ていました。君が好きです。どうかどうかお願いです、僕と結婚してください。
何のひねりもかっこつけもないプロポーズ
膝をついて祈るように広げられた太い腕に、勢いよくイボンヌは飛び込んだ。
くまは頑丈だったので、しっかりイボンヌを抱き止め一緒に泣いてくれた。