11 王女アニー3
「ソフィ様、お客様ですわ」
厨房でレイモンドと新作の味見をしているところにクレアから声がかかった。
困ったように眉を寄せている。
「先ぶれを出していないので、不在ならよいとの仰せですがいかがいたしましょう」
「どなた?」
「それが……」
門の前には大きな馬車があった。
歩み寄るソフィを認め、その扉が開く。
出てきたのは若い娘だった。
浅黒い健康的な肌に、アーモンド型の目じりのあがった切れ長の金の瞳
ふっくらとした赤い唇
出るべきところが出引っ込むべきところが引き締まって引っ込んだ見事なボディ
黒々とした漆黒の長い髪
セクシーな流し目
そのひとの正体にソフィは気づき、微笑んだ。
「アニー」
「ええ、ソフィ」
にっこりとアニーも微笑んだ。3日が経ち、アニーは人の姿に戻ったのだ。
理知的な瞳を輝かせ、晴れ晴れとした表情でアニーは鮮やかに笑う。
「国に戻る前に、あなたに会っておきたくて。こちらよろしかったら使ってくださる?」
手渡されたのはきれいなワニ革の鞄だ。
あめ色に加工され、つやつやと輝いている。
細かいところまで一切の手抜きをしていない、宝石のような革細工だった。
まあ、と目を見開いたあとアニーを見つめ、ソフィは眉を寄せた。
「ごめんなさいね、痛かったでしょう」
「わたくしの皮ではなくてよ」
代金ではなく贈り物、とのことなのでソフィはありがたく押しいただいた。
「あとこれを」
手渡されたのは結構な重みのある金細工だった。なんというか、パズルのような形をしている。
「これは?」
「割符のようなものよ。我が国のなかで、あなたがわたくしの特別な客人であることを示してくれるわ。大切なものだからなくさないでね」
クロコダイル国にきたときに使ってちょうだいとアニーはあっさりとそう言うが、おそらくこれは国の要人が要人に手渡すような大変なものである。
少なくともつい先日会ったばかりの小娘に手渡すようなたぐいのものではない。
ソフィはじんわりと手のひらに汗をかくのを感じた。
「……いただけないわ」
すうっとアニーが獰猛な動物のように目を細める。
「いいえ受け取っていただくわ。『おまじない』だけで約束したと安心するほどわたくしは甘くなくてよ」
そしてもう一度ソフィをまじまじと見つめ、ふうっと表情を緩める。
「わたくしあなたがただのお嬢様であれば、全てをお話するつもりなどありませんでしたわ。わたくしのあの姿を見てまともに話ができるお嬢様など、たとえ『化物嬢』でも無理と思っておりましたのよ。一目見て気絶でもするようならすぐに立ち去り、夢だったのだと思っていただくしかないと考えて、それなのに……」
ふふっとアニーは笑う。
「『生肉でなくてよろしくて? 生き血でなくてよろしくて?』ですって? あなたの肝の太さは相当なものですわ」
「動転したのよ」
ぷすーとソフィはむくれた。
「動転の方向が全体的に太いのです」
「まあ」
二人で笑いあい、そして沈黙して見つめあった。
「国に戻ったらすぐ、お父様にわたくしの結婚についての考えを申し上げるわ。どう言ったら一番勝算があるかとあれこれ考えたけれど、策は弄さず心のままに伝えることにします」
そうね、とソフィは微笑んだ。きっとそれが一番、父親の心に届くだろう。
国の呪いを一身で背負う芯の強い賢い娘の、愛する人と添いたいという願い出……さらにそれが娘の身にかかる呪いを国外に知られないというメリットを含む内容なら、父である国王が退けられるはずもない。
「親子喧嘩をして家出するときはうちにきて。歓迎するわ」
「百万の援軍を得た気分だわ」
またふふっと二人で笑いあった。
それじゃあ、とアニーが優雅に礼をし、馬車に乗る。
ソフィも一礼し、遠ざかっていく馬車を見送る。
10代の少女同士のものとは思えないような、あっさりとした別れであった。
走り去る豪華な馬車を見つめながら、ソフィは潔い未来の王女の、その幸せを願っていた。
クロコダイル国王女が同国の研究者と結婚したというニュースをソフィが知るのは、それから約一年後のことであった。




