(4)翡翠の館の朝
今回は、復活祭&温泉旅行前の翡翠の館での御話です。
ほんのりBLを楽しんで戴けたら幸いです。
一方、翡翠の館では相変わらず翡翠の貴公子は執務室に篭っていた。
其処にぶらぶらと居座っている金の貴公子は、ぼりぼりとチョコレートを齧っている。
そんな居候を珍しく翡翠の貴公子が横目に見た。
そして、
「御前は、よく菓子を食べているな」
ぼそりと言う。
金の貴公子は更にチョコレートを口に放り込み乍ら答える。
「んん?? だって、俺、甘い物、好きだもん」
御子様嗜好だから。
ウィンクして、ぼりぼりとチョコレートを食べ乍ら答える。
そんな金の貴公子に翡翠の貴公子は「そうか・・・・」と短く言うと、
また書類へと目を通し始める。
すると部屋の扉が鳴ったかと思うと、執事の声が響いた。
翡翠の貴公子が返事をすると、執事が静かに扉を開けて入って来る。
「御仕事中に申し訳ございません。実は新しいメイドの御話で御伺いに参ったのですが・・・・」
礼儀正しく執事が言うと、翡翠の貴公子は頷いた。
「ああ。雇う分は構わない」
執事は真っ直ぐに立った儘、礼儀正しく目礼する。
「では一人、若い娘を復活祭の後に、メイドとして雇わせて戴きます」
「ああ」
使用人の扱いに至っては、其の一切を翡翠の貴公子は執事に任せていた。
だが執事は更に話を続ける。
「実は・・・・そろそろ、次なる執事の育成をさせて戴きたいのですが・・・・」
執事の其の言葉に、翡翠の貴公子は暫く目をきょとんとさせたが、
「そうか・・・・早いものだな」
珍しく口許で笑った。
執事は六十五歳を回っていた。
早いもので、もう四十年近く此の執事ポフェイソンは翡翠の館に勤めてくれていた。
執事は真っ直ぐな姿勢で言う。
「勿論、私は、まだまだ退職する気はございません。
ですが今から少しずつ、若者に私の仕事を教えていきたいと思っております」
「・・・・・」
翡翠の貴公子は机の上で手を組むと頷く。
「好きにするといい・・・・だが可笑しなものだ」
そして・・・・若かりし日のポフェイソンの姿を思い出して、
翡翠の貴公子は可笑しそうに小さく笑う。
当時、執事になったばかりの若者は、全く気が利かない青年だった。
そんな若かりし日のポフェイソンの姿が、翡翠の貴公子の目には今でも鮮明に浮かび上がるのだ。
そんな主人の様子に、執事は珍しく恥ずかしそうに咳払いをする。
時は四十年を流れていた。
執事として就任した彼は年をとったが、其の主人は四十年前と何一つ変わりがない。
新しい執事を迎える準備をするのは極々自然な事なのである。
「どちらの件も御前に任せる」
翡翠の貴公子は机上の書類を纏めると、差し出した。
「今し方、終わった。此方を夏風の貴婦人に、此方を白銀の貴公子に送ってくれ」
「かしこまりました」
執事は二つの分厚い書類を受け取ると、
「ミルクティーでも御持ち致しましょうか??」
気を利かせて言う。
だが翡翠の貴公子は首を振った。
「今日は、もう寝る。明日の朝食は少し遅めにしてくれ」
「かしこまりました。遅くまで御疲れ様です。おやすみなさいませ」
いつも通り執事が丁寧に挨拶をして部屋を出て行った。
すると金の貴公子も「んんー!!」と背伸びをする。
「主が寝るなら、俺も、もう寝ようっと」
金の貴公子は立ち上がると、
「おやすみっ」
金の瞳でウィンクしてみせる。
翡翠の貴公子は普段通り抑揚の無い声で返事をすると、寝室の扉へと向かったが、
不意に金の貴公子の名を呼んだ。
金の貴公子が内心、吃驚して振り向くと、
「ちゃんと歯を磨いて寝ろ」
翡翠の貴公子が言う。
そして寝室へと入ってく。
「・・・・・」
金の貴公子は暫し、ぼんやりと主の寝室の扉を見詰めた。
それから、そっと彼の部屋を出ると、自分の部屋へと続く廊下を歩く。
歩き乍ら金の貴公子は思った。
復活祭が終わったら、蒼花の貴婦人を口説こう。
そして冬季の間は彼女の館に居座って一緒に甘く愛し合い乍ら、だらだらと過ごそう・・・・。
「・・・うん。其れがいい・・・・」
其れがいい・・・・。
「あれ・・・・でも・・・・」
蒼花の貴婦人は、白の貴婦人と暮らして居なかったか・・・・??
白の貴婦人は苦手だ。
どうも遊び人同士の男女は互いに魅力を感じない。
じゃあ・・・・
「どうしたらいいんだ・・・・」
こんなに近くにいるのに・・・・何故、あの人は・・・・あんなにも遠いのだろう??
出逢った時は嫉妬して、此の館に大迷惑を掛けたのに・・・・なのに、あの人は、
そんな自分に優しくて・・・・受け入れてくれて・・・・今だって・・・・癒してくれている。
其れが判って、自分のあの人に対する気持ちに気が付いて・・・・
しかし其れは余りに異常だと思って、ずっと抑えてきて・・・・。
例えば今、此の足を反対側に向けて扉を二つ押し開けて、
大声で此の感情を伝えたら・・・・あの人は、どうするだろう??
いや・・・・そんな事、出来る筈がない・・・・。
此れが娼婦のシルフィーニなら愛してると呟いて、其の肩を抱いて、
それから跪いて其の白い手の甲にキスをして、
「俺は君を生涯、愛し護りたい」
そう言えるだろう。
だが自分が身を焼くほど愛しいと思う人は、そんな事が出来る相手ではない。
自分など太刀打ち出来ない、何でも出来る人だ。
自分ごときが護るだなんて、おこがましいにも程が在る。
金の貴公子は其のまま寝台に潜り込みたかった。
だが乱暴に歯を磨くと、それから毛布に潜り込んだ。
金の貴公子は頭まで毛布を被る。
此れは・・・・「愛情」なのだろうか??
愛情なら・・・・何故こんなに苦しい??
幸せになるどころか・・・・日増しに息苦しくて・・・・死んでしまいそうだ!!
どうしようもないほど女を愛した事だって何度も在った。
其の度に幸せだった。
傍に居て、ごろごろして・・・・愛を囁いて・・・・とにかく幸せだった。
なのに・・・・何故・・・・今は、こんなにも胸が痛むのか?!
金の貴公子は己の腕を抱いた。
復活祭を目前に、異種たちはそれぞれの想いを巡らせていた。
復活祭、前日の朝。
と云うよりは、限り無く昼に近い朝。
翡翠の館では執事が主の部屋をノックしていた。
が、翡翠の貴公子の返事はない。
再度ノックをして呼び掛け執事が中へ入ると、やはり翡翠の貴公子の姿はなかった。
と云う事は、まだ寝室に居るのだ。
執事は四十年以上翡翠の館に勤めているが、それでも慣れない事柄が在った。
其れは昼近くまで翡翠の貴公子が起きて来ない時である。
翡翠の貴公子が起きて来ないケースには二通り在った。
一つは夜更かしをしていた為、ただ単に寝坊をしているのか。
もう一つは極稀に発熱してしまったのか。
少し戸惑いつつ、執事が主の寝室の扉をノックしようとしていると、
寝ぼけ声が後ろから呼び掛けてきた。
「おはよ~ん。主はぁ??」
ガウンを羽織り、寝ぼけ眼をこすり乍ら現れたのは、説明するまでもなく金の貴公子だった。
「おはようございます」
執事が礼儀正しく挨拶をすると、
「何?? 主、まだ寝てんの??」
珍しいね~~。
金の貴公子は欠伸をし乍ら執事の下へと来る。
「はぁ、其の様で」
「俺、起こすからさ、暖炉つけてよ。ムチャ寒い!!」
「かしこまりました」
ずかずかと割り込んで来る金の貴公子に場所を取られると、執事は渋々と暖炉の方へと向かう。
金の貴公子は翡翠の貴公子の寝室の扉を押し開けた。
翡翠の貴公子の寝室は少し変わっている。
作業用の机と椅子に、休憩用の背の低いテーブルと椅子が在る。
硝子の戸棚には、本よりもラベルの貼られた小瓶がずらりと並んでいる。
窓辺には不思議なエメラルド色をした液体の入ったグラスが幾つも置いて在り、
部屋は薬臭いと云うよりは、まるで霧深い森の中に居る様な香りが漂っている。
其の不思議な空間の真ん中に在る大きな寝台の枕元に、ちょこんと翡翠の髪が見える。
明らかに寝ている様だ。
流石に金の貴公子も考えた。
思えば寝ている翡翠の貴公子を起こした事など、かつてなかった。
先程、長年勤めていた執事が戸惑っていた理由が、何となく判る気がする。
しかし自分が起こすと言った手前、金の貴公子は恐る恐る寝台へと近寄ってみた。
翡翠の貴公子は寝ていた。
何処か具合が悪そうでもない。
ただ普通に眠っていた。
金の貴公子は思わず、まじまじと見下ろしてしまう。
初めてだった。
こんな無防備な主の寝顔は。
転寝している時でも必ず何処か一本神経が張っている感じなのに、今は其れが全くない。
長い長い翡翠の睫毛だ。
羽根ペンなど簡単に乗るだろう。
・・・・可愛い。
「可愛過ぎる・・・・」
金の貴公子は自分の拳を己の口に押し当て、呻いた。
すると其の声に気付いたのか、翡翠の貴公子の瞼がぴくりと動いた。
白い瞼が、ゆっくりと押し上がる。
其の奥にエメラルドの様な瞳が納まっている事を、金の貴公子は知っていた。
翡翠の貴公子は、ぼんやりと金の貴公子を見る。
どうやら、まだ半分夢の中の様だ。
「あ・・・・えっと・・・・お、おはよう」
金の貴公子が言うと、翡翠の貴公子は半眼で、じぃっと金の貴公子を見ると、
「ん・・・・おはよう」
漸く上体を起こす。
其処へ。
「おはようございます。主様」
執事が扉の所まで入って来る。
翡翠の貴公子が軽く返事をすると、執事は背筋を伸ばした儘、普段の口調で喋り始める。
「起きられたばかりで誠に申し訳ないのですが、明日の復活祭の件ですが」
「・・・・うん・・・・」
翡翠の貴公子は、まだ眠そうである。
余程、連日の疲れが溜まっているのだろう。
「式典が明日の夕方から始まります。そう致しますと、
遅くても明日の日の出前には出発致しませんと、御用意なども在りますし、間に合いません。
しかし、どうやら今夜は大雪になりそうですので、やはり今日の昼下がりには出発されて、
南部で一泊された方が確実かと」
「・・・・・」
翡翠の貴公子はクシャリと前髪を掻き上げた。
「そうだったな・・・・」
式典は南部中央部で開催される事になっている。
東部の田舎に棲んでいる翡翠の館から馬車で行くとなると、半日以上掛かってしまう。
其ればかりか復活祭の式典ともなると、衣装の用意やら何やら、
同族同士で軽く打ち合わせもしなければならないので、
ぎりぎりに行くと云う訳にはいかなかった。
連日、復活祭までに終わらせなければならなかった書類のやっつけ仕事に追われ、
翡翠の貴公子は其の事をすっかり忘れていた。
「では悪いが朝食は・・・・」
要らない。
そう言おうとして、翡翠の貴公子は傍で突っ立っている金の貴公子を見た。
此の金の男は人並みに腹の空く同族なのだ。
そして此の男は、どうしようもなく寂しがり屋だったりするのだ。
一人の朝食など望まないだろう。
「朝食は軽く」
翡翠の貴公子は、ぼそりと言った。
「かしこまりました。此方に御持ちしても宜しいでしょうか??」
「ああ」
「では直ぐに。珈琲の方も御持ち致します」
執事が出て行くと、翡翠の貴公子は又ごろりと毛布に潜り込んだ。
どうやら、まだ眠いらしい。
そんな翡翠の貴公子に、金の貴公子は胸の奥がドクリと鳴るのを感じた。
初めてだ。
こんな主を見るのは・・・・初めてだ。
毎朝、翡翠の貴公子の部屋に挨拶に行くのが金の貴公子の日課だったが、彼は大抵、
自分より早く起きていたし、例え寝起きであろうと普段は寝室から出て来て、
執務室の暖炉の傍の椅子でうとうととしているのが常だった。
故に金の貴公子は主の寝室に、こんなに長居をした事は初めてだった。
普段の隙の無い凛とした姿は何処へいったのか、
翡翠の貴公子は猫の様に身体を丸めて眠り込んでいる。
其の姿をまじまじと見詰め乍ら、金の貴公子は再度、溜め息を漏らしそうだった。
可愛過ぎる・・・・と。
この御話は、まだ続きます。
ちょびっとでも金の貴公子の翡翠の貴公子への想いが、
伝わっていたらいいのですが。。。。
この御話は、まだまだ続きますので、
どうか気長に御付き合いしてやって下さいませ~~☆
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆