(19)快の夢語り(前編)
快の貴婦人の昔話です。
少しでも楽しんで戴けたら幸いです☆
「もう、千百年以上も前の事です。
わたくしは、シェパード家の長女として生まれました。
金髪に碧い瞳を持つ、わたくしは、異種だと思われる事もなく、
それはそれは両親に愛されました。
ところが六歳になった頃、わたくしは無意識で翼を出してしまったのです。
両親は酷く驚きましたが、本人で在るわたくしも本当に驚きました。
何故なら、わたくしは、自分が異種で在る事さえも知らなかったのですから・・・・。
両親は驚愕に戸惑い乍らも、幼いわたくしを抱き締め、
『いいかい。人前で翼を出してはいけないよ』
そう優しく嗜めました。
両親の言う通り、以来、わたくしは翼を出しませんでした。
当然、自分の『羽根』が、どんなもので在るのかさえ、ずっと知りませんでした。
ですが、わたくしは幸せでした。
時と共に己が異種で在ること自体を忘れ、シェパード家の一人娘として、
何一つ不自由無く暮らしていました。
ですが、わたくしが十六になった頃です。
両親が乗っていた馬車が事故に遭い、両親が他界したのです。
突然の多くの事が、わたくしの上に降り掛かりました。
両親の死の悲しみだけでなく、
シェパード家の財産や継承権の問題が一気に押し寄せて来たのです。
シェパード家は代々男子が継ぐ事になっておりましたので、
わたくしが継ぐ事は出来ませんでした。
けれど此の頃、父の兄弟は既に病死をしていて、わたくしの従姉妹も皆、女ばかりだったのです。
此の頃、シェパード家はゼルシェン大陸では、かなり大きな権力を持っていて、
其れ故に事は重大でした。
すると或る一人の公爵が現れました。
其の御方はエヴァンス公爵で、シェパード家とは古くから付き合いの在る上流貴族の御方でした。
エヴァンス公爵は形式上シェパード家の婿養子となり、
わたくしは十六で彼と結婚する事になりました。
シェパード家の伯爵当主となったエヴァンスは、とても、わたくしを愛して下さりました。
けれど結婚して二年、三年と経つと、一向に子供の出来ないわたくしに周囲が噂をし始めました。
エヴァンスは言いました。
『君は石女なのか?! こんなに君を愛しているのに、どうして子供が出来ないんだ?!』
問い詰めてくる彼に、わたくしは、どう答えれば良いのか判りませんでした。
其の頃のわたくしは、異種の女は子を産まない事を知らなかったのです。
そして其の頃から、エヴァンスは他の御婦人と逢う様になり、
屋敷に帰らない日が多々在りました。
そして結婚四年目に、エヴァンスはシスターナと云う女性を屋敷に連れて来ました。
『カイ。今日から彼女を屋敷に住まわせる事にする。シスターナは私の子を身篭っているのだ』
わたくしは、ただ頷く事しか出来ませんでした。
子を身籠らない自分には何も言えないと思っていました。
それでもエヴァンスは、こう言うのです。
『カイ。君は美しいし、私は君を愛しているよ。けれど判るだろう??
跡継ぎは必要だし、だが、あくまでシスターナは妾で、本妻は君なんだよ』
同じ屋敷に棲み乍ら、わたくしとシスターナは殆ど会話をする事が在りませんでした。
シスターナは、わたくしに逢うと気分が悪くなると言うので、
わたくしは出来る限り屋敷内で彼女と逢わない様にしていました。
やがて、シスターナは男の子を出産しました。
エヴァンスは大変喜び、自分の跡継ぎだと歓声を上げました。
それからはエヴァンスは殆ど私に逢おうとはせず、時折、顔を見せるとすれば、
夜わたくしの寝室にだけ訪れました。
エヴァンスが三十半ばになった頃です。
誰もが、わたくしの異変に気付きました。
其の頃、既に、わたくしは異種としての契約を精霊と結んでいたのですが、
人間として生き乍ら羽根すら露わにしないわたくしにとって、
其れは大して何か変わる事ではありませんでした。
けれど周囲の人々は気付きます。
そう・・・・わたくしが年をとらないと云う事に。
エヴァンスは言いました。
『君は魔女なのか?! だから年もとらず、子も産まないのか?!
私は魔女と結婚してしまったのか!! 君は私を騙していたのか?!』
気味悪がる周囲と夫に、わたくしは、どうすれば良いのか判りませんでした。
それでもエヴァンスは、わたくしと離縁しようとはしませんでした。
『君が魔女だろうが怪物だろうが特に害は無い様だし、此の屋敷に置いてやってもいい。
だが君は本妻とは名ばかりの私の娼婦だ。せいぜい美しい儘で私を楽しませてくれ』
わたくしは妻で在り乍ら・・・・彼の娼婦でした。
ですが、そんな日々も十年足らずで終わりました。
何故なら、エヴァンスが他界したからです。
まだ四十になったばかりだったのに、突然の心不全でした。
エヴァンスの死後、シェパード家の継承権はシスターナの息子に移りましたが、
財産の半分は本妻で在るわたくしに配分される事になっていました。
ですが、
『形式がどうであれ、事実上、シェパード家当主の本妻は私よ!!』
と言うシスターナの意見が通り、わたくしには一レフも与えられない事になりました。
それから・・・・夫を亡くしたわたくしは、生まれ育った屋敷から追い出される事になりました。
けれど、わたくしに行く宛てなど在る筈もなく、又、一人で生きて行く術さえも、
わたくしは知りませんでした。
そんな、わたくしに、或る男爵が声を掛けてきました。
『聞けば君は、魔女か怪物だと云うじゃないか。
だが此れ程に美しいのなら、化け物であろうと屋敷に置いてやってもいい』
わたくしは男爵の妾として迎え入れられました。
そして其の男爵が他界すると、他の公爵、伯爵、大富豪の妾として引き取られ、
時には妻としても迎えられました。
九百年近く・・・・其の繰り返しで、わたくしはゼルシェン大陸を転々としました。
わたくしは弱い女です。
其れ以外に生きる方法を・・・・いいえ、生きる力も在りませんでした。
わたくしは文字通り、籠の中の鳥でした。
例え籠の蓋が開いていたとしても、其処から空へ飛び発つだけの力も勇気も在りませんでした」
夢語りの様にゆうるりと話し乍ら、快の貴婦人は翡翠の貴公子を見た。
翡翠の貴公子は紅茶を飲み乍ら、静かに耳を傾けていた。
「わたくしは何度も結婚を繰り返し、或る日、十七人目の夫の妻となりました。
しかも驚く事に其の殿方は、シェパード家の当主の弟君だったのです。
ゼルシェン大陸中の貴族や大富豪の屋敷を転々とし乍ら九百年以上も掛かって、
わたくしは元の場所へと戻って来たのです。
勿論、わたくしが生まれ育った本家の屋敷ではなく分家の屋敷でしたが。
なんと不思議な縁なのかと・・・・そう思いました。
夫は何人かの愛人を抱えておりましたが、わたくしは別段、気にする事もありませんでした。
或る日の事、屋敷に本家の当主一家が来ました。
わたくしは挨拶のみを済ませると、早々と自分の部屋に戻り、
窓から中庭へと出て溜め息をつきました。
此の頃、わたくしは人に逢うのが苦手で、引き籠りがちになっていました。
人と顔を合わせれば、やれ魔女だ怪物だと陰口を叩かれていたので、
自分の部屋から続く此の中庭だけが、唯一わたくしが寛げる場所でした。
中庭は高い木々に囲まれ、およそ其処に誰かが入って来る事などありませんでした。
しかし、どうした事でしょう、
植木を掻き分けて、一人の少年が笑い乍ら庭に駆け込んで来たのです。
其の少年は金髪にブルーグレーの瞳のシェパード家当主の長男、つまり、
わたくしの甥にあたるカークでした。
大人たちの話に飽きてしまって遊んでいる内に、こんな処へ紛れ込んでしまったのでしょう。
カークは吃驚した顔で、わたくしを見上げると、ですが直ぐに、
にこりと笑って話し掛けてきました。
『カイ叔母様だよね?? うわぁ・・・・僕、カイ叔母様ほど、美しい女の人を見た事がないよ』
わたくしは笑いました。
真っ直ぐに見詰めてくるブルーグレーの瞳が、とても可愛らしかったのです。
カークは言いました。
『ああ、僕、どうしよう。カイ叔母様の様な美しい人を見てしまったら、きっと、もう、
他の女の人と結婚なんて出来やしない』
純粋に物を言う少年に、わたくしは可笑しくて、つい声を上げて笑ってしまいました。
そんな純粋な心は子供の今だから持てるので在って、成長すれば遠い蜃気楼の様に、
やがては消えていくのでしょう・・・・。
何故なら此の幼い少年は、将来シェパード家を継ぐ当主となる身なのですから。
すると茂みを掻き分ける音と共に、小さな金髪の少女が現れました。
『御兄様、こんな処に居たの?? もう!! 探したんだから!! 御父様が帰るって!!』
『ごめんよ、シャルロット。じゃあ、行こうか』
二人の甥と姪は礼儀正しく、わたくしに挨拶をすると、また茂みに潜って行きました。
それっきり彼等に逢う事は在りませんでした。
わたくしは相変わらず分家の屋敷の奥で、時の流れだけを待ち乍ら生きていました。
九百年振りにシェパード家に戻って来たと云っても、今となっては只の余所者。
夫が亡くなれば又、居場所を失くす事でしょう。
そして其の日は、やって来ました。
まだ三十代だったと云うのに、夫が病死したのです。
夫の葬儀には、シェパード家の一族が集まりました。
夫の棺桶が墓地に埋められると、皆こぞって当主で在る義兄に声を掛け、
わたくしに挨拶をする者は居ませんでした。
夫の死の悲しみを胸に、わたくしが一人、自分の屋敷へ帰ろうとした時でした。
『カイ叔母上』
誰かに呼ばれて振り向いて見ると、
其処には綺麗な金髪にブルーグレーの瞳の美しい青年が居ました。
わたくしは一瞬、彼が誰なのか判りませんでした。
ですが直ぐに悟りました。
彼は・・・・十二、三年前に、わたくしの屋敷の中庭で出逢った、少年カークでした。
『カイ叔母上・・・・貴女は本当に年をとられないのですか・・・・??
昔、出逢った時と・・・・全く同じだ・・・・』
驚きを隠せないでいるカークに、わたくしは微笑するしかありませんでした。
其処へ。
『御兄様、そろそろ行きましょう』
声を掛けて来たのは、黒いドレスを纏った金髪の娘でした。
彼女はカークの腕を取ると、引っ張る様に去って行きました。
ああ・・・・あの子が、姪のシャルロット。
もう、あんなに女らしくなって・・・・。
改めて自分が人々とは余りに懸け離れた時の流れの中で生きているのだと、
わたくしは実感しました。
でも、そんな想いに感傷していたのも束の間でした。
わたくしの夫と同じ病で、シェパード家の当主が他界されたのです。
突然の当主の死に、シェパード一族は騒然としました。
直ぐに次の継承権の話が上がり、其の権限は当然、
当主の長男で在るカークに渡る事になりました。
其の時、カークは二十二歳で、結婚には十分な年齢で在り、
シェパード家の全権を譲渡される際に妻を迎える様、周囲から言われていた様です。
そして、そんな本家の慌しさとは関係無く、わたくしは例の如く、
夫の子を持つ愛人から屋敷を出る様に言われていました。
そう。
其れは、いつもの事・・・・。
わたくしは、わたくしを引き取って下さる殿方を探さねばなりませんでした。
そうしている中、シェパード家本家では継承パーティーが行われる事になりました。
わたくしは、そう云った公のパーティーやサロンには殆ど出席する事がなかったのですが、
今回の継承パーティーでは、此のわたくしにも招待状が来たのでした。
わたくしは出席するのを随分と躊躇いましたが、シェパード家本家の継承パーティーに、
当主の叔母で在るわたくしが欠席する訳にもいきませんでした。
仕方ない・・・・顔だけ出そう。
パーティーに来たものの、引き籠りのわたくしは人目を浴びる事が苦手で、
直ぐ会場から抜け出すつもりでいました。
継承パーティーではシェパード家の継承の儀の後、
当主の妻となる女性が発表される事になっていました。
多くの縁の者たちの前で、シェパード家当主の紋章のブローチがカークに与えられると、
皆が拍手喝采をしました。
カークは人受けが良く賢く、其の上、美しい青年でしたので、
彼が当主となる事に異論を唱える者は居りませんでした。
しかし次の瞬間、会場が凍り付いたのです。
何故なら婚約者を発表する場で、彼は候補に上がっていた娘の名を言わなかったのです。
いえ・・・・言わなかったばかりでなく・・・・
『私は今日、此の場で、妻となる女性を皆に紹介する。其の女性は、カイ、彼女だ』
彼は、そう言ったのです。
会場は一気に騒然となりました。
ですが一等驚いていたのは、わたくしです。
わたくしは驚きの余り瞬きすら出来ず、其の場に固まってしまいました・・・・」
この御話は、まだ続きます。
快の貴婦人の昔話と共に、異種と云うものが伝われば幸いです☆
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆




