第8筆 失ったものに手を掛けるための踏み台
応接の間の、窓の向こう。
傾き始めた陽の中を、瑠璃色の鳥がさえずりながら飛んでいく。
「……コーネス家が関わった一件なら、おれも耳にしたことがある」
ジンの言葉に、レガートは椅子に背を預けた。
「そうだろうね。領主が失脚した不祥事だから」
当事者の家の者なのに、レガートは他人事のように言う。
「冷血漢だと思ってくれてかまわないよ。ジンどの」
「いや」
ジンの灰青の目が、真っ直ぐにレガートを見た。
「何かしら思うところがあるのだろう」
レガートがため息をつく。
「領地を通ってシンバルへ行く商隊や旅人たちから、領主が高い通行税を巻き上げて私腹を肥やし、シンバルへ賄賂を贈っていたなんて。三文芝居にもならないよ」
心底つまらなそうに、レガートは吐き捨てた。
「あの、神経が細くて万年胃痛持ちの父上に、そんなことができるとは思わない」
同じ胃痛持ちのジンは、頭痛を覚えた。
「……レガートどのは、別に画策した者がいると、考えているのか」
「さあ。どうかな?」
話を聞かせておきながら、レガートは惚ける。じとり、とジンが目を据わらせた。
「まあ、そんな訳で。コーネス家は伯爵の身分を剝奪され、領地を追われたのだけど」
「剣の腕でスレイ騎士団副団長まで上り詰めた、有能なレガートどのは何がしたい?」
ジンの言葉に、レガートは自嘲の笑みを浮かべる。
「剣の腕はキミに負けるよ。鷲大狼どの」
ぴくりとジンの眉が跳ねた。
「それとも、灰青の牙と呼ぼうか?」
レガートの緑の目が、ジンを捉える。友とは違う彩色に、ジンは眉間にしわを寄せた。
「会ったことはないけれど、弟妹がいるそうだね」
「……ああ」
ジンが首肯する。彼の感情が籠らない声に、レガート唇が弧を描く。
「キミのように、灰青の瞳を持っているのかい?」
「いや、あいつたちは違う。綺麗な青だ」
「なぁんだ」
レガートが足を組み替えた。
「――使えないな」
「レガート!」
ジンが立つ。膨れ上がる殺気。びりびりと、空気が震える。
「弟妹を侮辱するな!」
長剣の柄を握ったジンを、レガートは無表情で椅子から眺めた。
「侮辱するつもりはない。だって、事実だろう? ジキタリア家の中で、高い身体能力を有するのは、灰青の瞳を持つ者だけだ」
レガートの視線がジンを射る。
「キミだけだ」
ばたばたと、複数の足音が廊下から響く。
「どうかされましたか! レガート副団長!」
乱暴に扉が開かれた。肩で息をする四人の団員に、レガートは一瞥をくれる。
「別にどうもしてないよ。ノックしなよ」
ひっ、と団員たちが息を呑む。
「で、ですが。その……」
ジンが柄から手を離した。ふっと殺気が掻き消える。
「失礼した、レガートどの。友曰く、おれは真面目でつまらないそうだ。あまり、からかわないでくれ」
「良い友人を持ったね」
レガートの皮肉にも、ジンは他意なく首肯した。
「ああ。本当に」
「つまらないね」
ふん、とレガートが鼻を鳴らした。
「キミたちも下がっていいよ。近衛騎士団副団長が直々に斬り倒した男たちの話は、僕が聞いておくから」
四人の団員たちが互いに顔を見合わせた。
「しかし、その。レガート副団長の身に何かあったら……」
団員の一人が言い募る。
「それとも、命令したほうがいいかい?」
追い打ちをかけた。
「いえ! 失礼しました!」
ばたばたと、来た時と同じように慌ただしく去っていく。
「部下に愛されているな、レガートどのは」
「それは皮肉かい? ジンどの」
「いや。本心だ」
レガートが深く息をついた。
「リリアも、もっと良い踏み台があっただろうに」
「待ってくれ。何の話だ?」
すぐには答えず、レガートが腰を上げた。
窓辺へ歩き、茜色に染まり始めた空を仰ぐ。
「僕たちは成り上がりたいんだよ」
レガートの瞳が夕日を映す。
「いや。取り戻したいと言ったほうが、正しいかな」
「……おれは爵位持ちじゃないぞ」
伯爵の身分を手にしたいのなら、見当違いだ。
「知ってる。リリアも理解している」
「では、何故」
首を傾げるジンに、レガートが笑う。
「言っただろう? 踏み台だよ。僕たちのための」
ジンが口を引き結んだ。
「くっくっく。キミは本当に正直者だね」
「レガートどのに褒められても、嬉しくはない」
「利用されるのは嬉しいんだ?」
「揚げ足を取るのは、褒められたことじゃないぞ」
「ジンどのに褒められても、何の得にもならないよ」
ぴりっと空気が張り詰める。
「……さて、お遊びはここまでにして。本題に入ろうか」
「ああ」
ジンが頷く。レガートとの言葉の応酬は疲れる。椅子を引き寄せて座った。
「キミが斬った男たち。三人は命に別状のない重傷だけど、軽傷の一人から話を聞くことができたよ」
レガートが振り向いて、肩をすくめた。
「さすが、剣の鷲大狼だね。一人は生かしておいたんだ?」
「誰も殺してはいない」
ジンの声音が固い。
「キミには珍しいことだね」
「おれが殺戮を好むみたいに、言わないでもらいたい」
「違うのかい?」
「違う」
ジンが己の右手に視線を落とした。剣だこのある分厚い手の平。強く握る。
「欺瞞だね」
レガートが言う。
「その力を、存分に奮ってみたいと思うだろう」
「思わない」
灰青の瞳に強い光が宿る。
「力は正義じゃない。だから、正しく恐れて使わないとならない」
「ふうん……」
興味なさそうに、レガートは息をついた。
「男たちはもちろん裏稼業の者で、依頼があったらしいよ」
「依頼?」
ジンが顔を上げた。
「あのフードの女性と、騎士を襲撃するようにか?」
「そう。狙いはどっちだろうね」
うーん、とジンが唸る。
「私怨のようではなかったな。恨みを晴らすなら、もっと残虐なやり方があるはずだ。油を掛けて生きながら燃やすとか」
「発想が怖いよ、近衛騎士団副団長どの」
レガートの顔が引きつる。
「キミは本当に、敵に回したくないね」
「味方でもないが――あ」
言いかけて、ジンが思い出す。
「そういえば、騎士に言われたな。味方ではないって。我らに関わるなって」
「ふうん?」
口元に手を当て、レガートが声を漏らす。
「我ら、ねえ。誰だろうねえ。今、王都で騒ぎを起こされては困るんだけど」
「いつでも王都での騒ぎは困る」
真面目なジンの受け答えに、レガートがため息をついた。
「やだやだ、真面目。これだから朴念仁は」
ジンがむっとなる。
「その朴念仁に恋文を送ってきたのは、どこのご令嬢だ?」
「リリア以外にも、たくさんいるのだろう」
「くっ」
「図星? ああ、嫌だな。本当にこの男は」
「……レガートどのには負ける」
「口先でキミに勝っても、何の得にもならないよ。吹聴して回ろうか」
「やめてくれ」
口達者のリットとは異なるが、調子が狂うのは同じ。
ジンが盛大にため息をついた。