第7筆 銀雪の国を守るもの
「災難だったな」
南領アール茶園のアイスティーをカップで飲みながら、リットが呟く。
「災難でしたよ」
執務室の窓辺に立つリットとは対照的に、トウリはぐったりと椅子の肘掛けに身を預ける。
「まあ。あいつの本気の二割を見ることができて、良かったな」
「あれで二割ですか!」
裏路地での一件は、リットに報告してある。
「近衛騎士団の副団長だぞ? 相応の実力がないと務まらない」
「それは、そうですが……」
「普通だっただろう?」
そう尋ねるリットの目が嗤っている。
「気負いもせず、かと言って緊張もせず。普段通りの様子で、容赦なく男たちを斬った」
むわっと広がる濃い血の匂い。思い出して、トウリは口に手を当てた。
「聞いたことないか? あいつは、剣の鷲大狼さ」
「……剣の鷲大狼」
トウリが呟く。
脳裏に、鷲の上半身に狼の下半身を持ったフルミアの神獣が思い浮かんだ。気性は荒く、黄金を守る存在。黄金を狙う者を鋭い爪牙で切り裂くという。
リットが薄い笑みを浮かべた。
眇められた翠の目には、冷酷な光。
「鷲大狼の伝承と同じように。あいつの生きる延長線上には、殺戮がある」
「ジン様は、そんな人ではありません!」
執務室にトウリの叫びが響く。
声が天井に吸われれば、後には静寂が残った。
「……申し訳ありません」
「いや、いい。気にするな」
主人への無礼を咎めないリットに、トウリの顔が泣きそうに歪む。
「あいつを思っての発言だ。怒らないさ。それに、そんな狭量なら、主人を前にして椅子に座っている時点で首チョンパだ」
「うう……」
リットの正論に、トウリは顔を伏せた。腕で目元を強くこする。
「リット様」
ぱっと顔を上げた。
「何だ」
「紅茶のおかわりは?」
翠の目が微笑む。
「いただこう」
トウリが椅子から立ち、冷やしているポットを手にした。リットが差し出したカップに琥珀色を注ぐ。
「休憩ついでに、ちょっと体でも動かすか」
「はい?」
首を傾げるトウリに答えず、リットは紅茶に口をつけた。
「やあ、キミか。ならず者たちを斬ったというのは」
スレイ騎士団の応接の間で、椅子から立ち上がったジンは盛大に顔をしかめた。
「傷つくなぁ、その反応」
「……失礼した。レガート副団長どの」
黒髪の青年が、冷たい笑みを浮かべる。
「久しぶりだね。まあ、座りなよ」
レガートが向かいの椅子に腰を下ろした。しぶしぶ、ジンも彼に倣う。
「僕と話すのが、そんなに嫌なのかい?」
「いや……、違う。が、ええっと」
言い淀むジンに、レガートは唇を吊り上げた。
「居心地が悪いだろうね。僕の妹が、キミに恋文を送ったばかりだから」
うぐ、とジンが言葉に詰まる。
「僕としても不愉快だけど。もし、キミと妹が結婚したら。僕とキミは義兄弟になるわけだ」
「心配無用だ。そうはならない」
言い切ったジンに、レガートの緑の目が丸くなる。
「へぇ。妹のリリアを振るんだ?」
「あ! いや、えっと、その……」
慌てふためくジンに、レガートは笑い声を漏らす。
「くくくっ。正直者は馬鹿を見るよ」
「ご、ご忠告感謝する」
ジンの灰青の目が泳ぐ。
目の前に座るレガートを見ることができない。
「リリアも強か者だからね。出世頭のキミを放ってはおかないよ?」
「それは、困る」
「夜這いに行くかもね」
「もっと困る」
くくく、とレガートが喉を鳴らす。
「そもそも。どうして、おれなんだ?」
ジンが眉を寄せた。
「数年前、夜会で挨拶しただけだぞ」
「知らないよ。直接リリアに訊きなよ」
「いや、それは……」
尻込みするジンに、レガートは足を組んだ。
「少し昔話をしようか」
ジンの目に警戒の光が宿る。
「三年前に、コーネス家が巻き込まれた話さ」




