第5筆 言葉のダンスはくるくる回る
「仲間思いの良い子たちだねぇ」
紫檀の執務机に座ったセイザンが微笑む。
「愉快な仲間たちですよ」
別の机に座ったリットが、手を動かしながら言った。
推薦の文言が、洋紙の上に軽やかに書かれる。
「バルドは、良い子たちを育てた」
ぴたり、とリットの手が止まった。
「……お元気そうですか」
「うん。宮廷書記官長を辞して、悠々自適な隠居生活だって手紙にあったよ」
「羨ましい!」
叫んだ勢いそのままに、リットが推薦書にサインする。リトラルド・リトン・ヴァーチャスの文字が走り書きされた。それでも流麗な筆跡は崩れない。
余分なインクを紙――他の宮廷書記官の書き損じ――で吸い取らせて、文章の体裁を確認する。
「これで、どうですか?」
椅子から立ち上がり、リットが推薦書をセイザンに手渡した。サインの隠し名は、ヴァーチャスとしか書かれていない。
「うん。いいよ。文頭の鳥の飾り文字が脅しになっていて、いいね」
羽を広げ、今にも飛び立ちそうな一羽の鳥が描かれていた。その翼に、文字の一字が装飾され、隠されている。
「オオルリだね」
「ええ、幸せを運ぶ青い鳥ですよ。合格を願ってね」
「脅しじゃないんだね」
「それもあります」
「優しいねぇ」
セイザンが受領のサインを書き込んだ。
「リット。君は、ダンスは得意かい?」
「は?」
翠の目が丸くなる。
「人並みには、こなせますが。夜会舞踏会の類は苦手です」
「ご令嬢たちから人気だろうに」
「いえ、爵位なしなので。ありがたいことに不人気です」
「じゃあ、舞踏会に出ても問題ないね」
にこにことセイザンが笑みを浮かべる。その表情の種類をリットは知っている。
「権謀術策の用件ですか」
「うん。宮廷とは恐ろしいねぇ」
セイザンが腕組みをした。小柄な体ながらも、独特な威圧がある。
「先ほど、殿下にシンバルへの信書代筆を命じられました」
「ああ。ルリア第一王女にかい?」
察しが良いのはリットだけではない。元政務官の目が、鋭く光る。
「……メリア第二王女に、手紙は出さないんだね」
「恐らく。内容が銀と白い黄金の商談ですからね。恋文ではないですからね」
「うーん。銀と岩塩の採掘量のことかな」
フルミアの主要な交易物。
特に、白い黄金と呼ばれる岩塩は良質で、価値が高い。
「シンバルのことだから、採掘量を増やせ、取引価格を下げろと要求してきそうだねぇ」
政務官の役職から離れたとしても、セイザンの勘は鈍らない。
「相手は、聡明と名高いルリア第一王女か。早くラウル殿下と結婚して、フルミア側になってくれないかなぁ」
リットが息をついた。
「そうなったら、殿下にベタ惚れのメリア第二王女は黙っているでしょうか?」
セイザンが口元を歪める。
「想像するだけで、怖いねぇ」
「――『女性のヤキモチほど、怖いものはない』ですね」
懐かしそうに、セイザンが目を細めた。
「バルドの言葉だね。宮廷書記官として、立ち回りに苦労したようだから」
「その点、セイザン卿は器用ですね」
「どうかなぁ」
のらりくらりと、はぐらかす。
「君のほうが器用だよ。リット」
「私は平穏な生活を望むだけです」
「ラウル殿下に見出された時点で、それは終わったと思うけど」
鋭い舌鋒はバルドにはなかったもの。
リットが冷笑を浮かべた。
「さあ、どうでしょうか?」
「選ばれる者は、どこにいても選ばれるよ」
セイザンの言葉に、リットが息を漏らす。
「ほう。さすが、宮廷書記官長になられたセイザン卿。おっしゃることが違う」
「気に障ったかな? 一級宮廷書記官、兼、宮廷書記官長補佐どの」
リットが笑みを深くした。
「皮肉ですか」
「『与えよ、されば返されん』かな」
降参、とばかりにリットが両手を軽く挙げた。
「喰えないお人だ」
「じじいを食べても美味しくないよ」
「では、舞踏会でご令嬢をつまみ食いするのですか?」
セイザンが目を見張った。
声を上げて笑い出す。
「くっくく! いいね、その切り返し。言葉が長剣だ」
「ありがとうございます」
リットが頭を下げた。
無数の絵画が飾られた部屋がある。
構図は違えど、すべて同じ人物画。金の髪に紫の目をした青年。
「あぁ、ラウル様」
うっとりと少女がため息をついた。
「どうして、あなたはラウル様なの?」
甘い吐息が問い掛ける。
青年の絵画は答えない。それでも、少女は微笑んだ。
「かっこいいわ。美しいわ」
歌うように少女が言う。
一番大きな絵画に近づいた。彼を見上げる。紫の瞳と目が合う。
「うらやましいわ」
壁の小卓に、紫のフリージスが飾られていた。
少女が一輪手に取り、慈しむように撫でる。
「……ずるいわ」
くしゃり、と花を握り潰した。
甘酸っぱい香りが周囲に漂う。