第4筆 幸せと試練は青い鳥
靴音が続きの間に響く。
窓から差し込む強い陽に、リットの胸元に留まる白鷲の三枚羽根がきらめく。
「失礼いたします」
手紙で指定された紋章の間で、呼び出した本人が椅子に座っていた。
「来たか」
纏う職位のマントを捌き、リットが一礼をする。
「貴方様にお会いでき、光栄です。王太子ではないラウル殿下」
ラウルの紫の目が、鋭くリットを射た。
「不敬罪で投獄するぞ」
「暴君と告発しますよ」
「誰に?」
「民に」
ふん、とラウルが鼻を鳴らす。リットは肩をすくめた。
「俺をいじめて楽しいですか? ラウル殿下」
「正当な理由ある呼び出しだ」
うーん、とリットが唸る。
「全然、まったく、心当たりがありません。殿下の生誕祭の招待状代筆は、もう済ませましたが。今頃、招待客の手元に届いているでしょうに」
「別件だ。一級宮廷書記官、兼――」
ぴくりとリットの眉が跳ねた。
「宮廷書記官長補佐どの」
「……うっわ。職位の敬称呼びなんて、権謀術策の類じゃん」
リットの軽口に、ラウルが呆れた。
「権謀術策ではない外交があったら、教えてほしいものだな」
「信書代筆ですか」
言い当てられたラウルは、つまらなそうに肘掛けに頬杖をつく。
「我がフルミアの、銀と白い黄金の取引についてだ」
「隣国のシンバルと、商談の席を設けるのですね」
じっと、ラウルがリットを見つめる。
「何か?」
小首を傾げたリットに、ラウルは眉根を寄せた。
「お前、本当にその色彩か? 茶と翠は造り物ではないのか」
「正真正銘、天然ものです」
ありふれた茶髪に翠の瞳。
「が、確かめてみます? 髪を燃やし、目を抉り出して」
挑発的なリットの言葉にも、ラウルは鼻を鳴らすだけだった。
「そんなことをしたら、お前が使えなくなる」
「殿下は、やけに色にこだわりますね」
リットの翠の目が僅かに細められた。
「王家には〈彩色の掟〉があるのに」
「悪いか?」
「いえ。傲岸不遜だと思いきや、意外と繊細な殿下も好ましいですよ」
「投獄されたいようだな」
「まさか」
リットが首を横に振った。茶髪の三つ編みが尾のように揺れる。
「殿下は、本当に私を投獄したいのですか? 首チョンパのほうが早いと思いますが」
「脅しか」
「滅相もない。こちらは命が懸かっております」
翠と紫がぶつかる。
しん、と沈黙が紋章の間に満ちる。
「……失うには惜しい駒だからな」
先に目をそらしたのは、ラウルだった。
「ありがとうございます。命拾いしました」
慇懃に、リットが頭を下げる。
「んで、価値をお認めいただいた私めに、代筆させる信書のお相手は?」
ラウルが唇を歪めた。
「シンバルの第一王女だ」
壁掛けが掲げられた長い廊下の先。
天井まで達する大扉を、二人の衛兵が守っている。
「ご苦労」
「はっ」
リットの姿に衛兵たちが頭を下げた。
悠然と歩を進め、リットはつなぎの間を通り抜ける。
たどり着くは、机がいくつも並ぶ大部屋。
大きく採られた窓から光が差し込み、仕事に勤しむ宮廷書記官たちの手元を照らしていた。
大窓の向こう、見える木の枝陰で、瑠璃色の鳥が卵を温めている。平和な日常の一場面。
「リット様!」
職位のマントに雉の一枚羽根――三級宮廷書記官の証を着けた少年が声を上げた。作業をしていた宮廷書記官たちの手が、一斉に止まる。
「やあ、皆の衆。そんなに励むな。適度に休憩をしろよ」
「リット様もお仕事にいらっしゃったのでしょう? 休憩ではなく」
少年がリットに駆け寄る。
「まーな。ミズハの言うとおりさ」
リットが軽く肩をすくめた。くすりとミズハが笑う。高い職位を持つ割に、おどけた仕草が多い。
「お仕事のご命令がありますよ」
たった一言で、リットが眉根を寄せた。
「陛下が何だって?」
ミズハが目を丸くする。まだ何も言っていない。
「ええっと、清書です。新しく発布する王令の……」
「ふーん。ミズハがやればいい」
リットの言葉に、ミズハが激しく首を横に振った。
「とんでもない! ボクは三級です!」
「今はな。飾り文字が書ければ、宮廷書記官長に昇級を推薦してやるよ」
「本当ですか!」
ずるいぞー、抜け駆けかー、私も推薦お願いしますー、俺もー、お前は昇級したばかりだろー、働けー、お前も手を動かせー、などなど。大部屋に賑やかな声が満ちる。
「――何やら、楽しそうだねぇ」
奥の部屋から、ひょっこり初老の男が顔を見せた。
「私も混ぜてくれないかい?」
「セイザン様!」
慌てるミズハに、一同がびしりと固まる。騒ぎ過ぎたか、叱られるのか。緊張が宮廷書記官たちの間を走った。
「ああ、セイザン宮廷書記官長。ちょうど良いところに」
動じることなく、リットが言う。
「ミズハの昇級について、ご相談が」
「うん? 何かな」
「花と蔦と鳥と鹿と獅子の飾り文字を書けるようになったら、二級に上げてやってくれませんかね」
「うん。いいよ」
あっさりとした推薦に、あっさりとセイザンが頷く。
「期限は区切るかい?」
「そうですね。そのほうが楽しい」
「ちょ、ちょっとリット様。ボクの昇級で遊ばないでください!」
えー、とリットは不服そうに声を漏らした。
「俺の推薦を受けた身だぞ? 達成してみせろよ、簡単に」
「困難ですよ、五種類の飾り文字なんて!」
「じゃあ、間を取って。オオルリの卵が孵るまでを期限としよう」
にこにこと、セイザンが微笑む。
宮廷書記官たちが一斉に窓の外を見た。
オオルリの雄が、卵を温める雌へせっせとエサを運んでいる
あー、とリットが呟く。
「間って、飾り文字から取りましたか?」
「鳥だけにね」
セイザンの言葉に、誰かが私物のオペラグラスを取り出した。
「――卵はまだ孵っていないようです」
別の宮廷書記官が、律儀に帳面へ記録する。
「――よし。観察役と記録役を順番で回すぞー」
「――ペアになるくじを作ったぞー」
「――おー、引け引けー」
「――昇級の合否に賭ける奴ー」
「――乗ったー」
「――支援妨害なしだぞー」
「――正々堂々、見守るぞー」
あっという間に、賭けの表が壁に貼られた。
「くっ、無駄に仕事が速い!」
同僚たちの温かな応援に、ミズハは拳を握る。
「じゃあ、リット。奥の部屋で推薦書を書いてもらおうか」
セイザンの微笑みに、リットが首を傾げる。
「あれ? 仕事が増えた……」
ため息をつきながらも、ミズハの肩を叩く。
無言の応援。
きゅっと、少年が唇を噛む。その目に揺るがぬ強い意志が宿る。
「あ、俺の名も賭け表に書いておいてくれ」
リットが宮廷書記官たちに言う。
「――もちろん、合格に」
窓の外から、オオルリのさえずりが聞こえてくる。