第3筆 インクと便箋と琥珀色
ジンが途方に暮れていた。
「こんなに……、種類があるのか」
「はい」
黒のくせっ毛が特徴的な青年店主が微笑む。
「便箋は三十種類ほど扱っております」
「インク屋なのにか?」
「ええ。インクと合わせて、お買い求めくださるお客様が多いので」
「うーん……」
木のカウンターに並べられた便箋を前に、ジンが腕を組んだ。
「トウリ。お前なら、どれを選ぶ?」
リットからのお使いを済ませたトウリが、便箋たちを眺める。
「そうですねぇ」
シンプルな金枠の紙から薄紅に染められた紙、蔦模様が浮き押しされた紙、押し花が漉き込まれた紙、フルミアで好まれる銀の、細かな箔が散った紙、無地でも厚く手触りにこだわった紙、などなど。
「これは、どうですか? 今が花盛りですよ」
トウリが指差す。
白いフリージスの花が浮き押しされた便箋。
アヤメとスイセンに似たその姿が、繊細ながらも特徴的に表現されている。
「それは香り付きです。おすすめですよ」
店主に促され、ジンとトウリが手に取った。匂いを嗅ぐ。
「本当だ。甘酸っぱいフリージスの香りがします」
顔を輝かせて、トウリが尋ねる。
「クードさん。これ、どうやって作ったのですか」
「フリージスの香水を染み込ませています」
ジンの灰青の目が瞬く。
「高級品じゃないか」
「驚くような値段ではありませんよ」
数字が書かれたカードをクードが見せた。それでも、一番安い便箋の倍の値段。
「恋文のお返事なら、これくらいの品物は妥当かと思います」
「そうなのか?」
クードの言葉に、ジンがトウリに助言を求める。トウリが頷く。
「恋文代筆のリット様は、お相手によって紙を使い分けていました。ジン様のお相手へ失礼ではない品だと思います」
「さすがリットの侍従だな。よく知っている」
感心したジンが、トウリの頭を撫でる。嬉しそうにトウリが目を細めた。
「じゃあ、店主。これを貰おうか」
「ありがとうございます。今、お包みしますね」
カラン、と来店のベルが鳴った。
ジンとトウリが振り返る。
「いらっしゃいませ」
クードが声を掛けた。
フードを被った青い目の女性と、腰に長剣を帯びた女騎士の二人組だった。
ジンと女騎士の視線がぶつかる。
「まあ、素敵。見たこともない色のインクがあるわ」
フードの女性が楽しそうに言う。店棚に並べられた色とりどりのインク瓶を覗き込む。
「ねえ、シズナ。このインクはあなたの瞳の色よ」
女騎士の袖を引く。ジンから視線を外し、シズナが振り向いた。一つに結われた茶髪が揺れる。
「ほら、きれいな琥珀色」
「ルー様。はしゃいでインク瓶を割らないでくださいね」
「シズナは心配性ね」
「心配にもなります。理由を申し上げましょうか?」
「長い小言は間に合っています」
ルーと呼ばれた女性が、クードに尋ねた。
「試し書きはできますか?」
「はい。もちろんです」
クードが首肯すれば、勝手知ったる店内で、トウリが羽根ペンと試し書き用の洋紙をカウンターに準備した。
「こちらで書くことができますよ」
「あら。ご親切にありがとう」
フードの女性が微笑む。
「トウリ」
クードが息をついた。
「ありがたいですが、あなたもお客様です。働かなくて大丈夫ですよ」
はっとした表情でトウリが顔を上げた。ジンが苦笑する。
「侍従の性か?」
「は、はい。どうしてか、体が動いてしまって」
「リットにこき使われているんじゃないだろうな」
トウリが首を横に振った。
「そんなことはありません。適度に……というか、リット様の長い休憩をぶった切るのに忙しいです」
「帰ったら殴ってやろう」
「右手でお願いします」
「お、手加減はいらないのか?」
「それはまた別の機会に」
ジンとトウリのやり取りを、微笑ましそうにフードの女性が見つめていた。