第22筆 微笑みの意味は時間差で
満月に近い月が昇った。
「……無粋だな」
大広間の一階から、リットは灯りが入った庭を見ていた。
白い月光の下、蝋燭の入った角灯が庭の小道に置かれている。
「トウリ」
「はい」
「お前、ちょっと灯りを消してこい」
「はい?」
怪訝そうに眉を寄せる侍従に、リットはあの木の辺り、と指差した。
「一体、何の思い付きですか」
「庭を歩く者のために雰囲気を演出」
「はぁ……?」
首を捻るトウリを、リットは早く行けと手で追い払う。
「わかりました。では、代わりに働いてくださいね」
「俺の出番は……、明日かな?」
リットが視線を投げれば、王太子となったラウルと、ルリア王女が人々に囲まれていた。
有力貴族筆頭のフィルバード公爵家当主が、唾を飛ばして何やらラウルへまくし立てている。ラウルは無表情で相槌を打っている。見事に聞いていない。
リットが呟く。
「シンバル王への立太子報告と、ルリア王女を嫁にくれ願い、か」
「内容は合っていますが。その言い方はどうかと思いますよ、リット様」
「小言が多いぞ、トウリ。勇敢な獅子の飾り文字で盛大に装飾するから、多少皮肉が混じっても読み流される。信書とはそういうものだ」
「本当ですか?」
「たぶん、半分は」
「駄目じゃないですか!」
はっはっは、とリットは非難を笑い飛ばして、大広間に足を向けた。ひらり、とトウリに向けて手を振る。
むう、とトウリは唸った。主人に言われたことは、遂行しなければならない。不服ながらも、夜の庭に足を踏み入れた。
「リット!」
涙声のジンが駆け寄る。
「どうした、ジン。大広間で、狼と鯨がダンスでもしていたのか?」
「……たすけてくれ」
しおれた花のように覇気のないジンに、リットは目を丸くした。
「やあ。良い夜だね、一級宮廷書記官どの」
女性を連れたレガートが笑った。
「ああ、そういうことか」
リットが天を仰ぐ。大広間の天井に惜しみなく使われている銀の装飾。その輝きが目に刺さる。
リットは笑みを顔に浮かべた。
女性に声を掛ける。
「初めまして。――リリア・コーネス嬢」
兄のレガートと同じ黒髪に緑の瞳。整った相貌。
家が没落していなければ、多くの貴族子息から引く手数多だっただろう。
「初めまして。リット・リトン一級宮廷書記官様」
リリアが令嬢礼儀をした。柔らかな物腰とは裏腹に、緑の目には強かな光が宿っている。
「ジン様の返信を代筆なされたでしょう?」
おや、とリットの目が瞬いた。
「どうして、そうお思いに?」
「ジン様にしては気の利きすぎた、波風立てないお断りのお手紙でした」
それに、とリリアが続ける。
「心から本当に嫌であれば、ジン様は面と向かって断ってくださいます」
「……だ、そうだ。ジン。なかなか聡明なご令嬢だな」
「他人事だと思って。見捨てるな、友よ!」
ジンがリットの両肩を掴んだ。
「痛い痛い、わかった! すがるのは許すから、力の加減をしてくれ」
「す、すまん!」
慌ててジンが手を離した。リットが肩を回し、息をつく。
「それに。残念ながら、リリア嬢とお付き合いするには障りがあるぞ」
リットの言葉に、レガートとリリアが眉をひそめた。
「どういう意味だい? リットどの」
「レガートどのは、ご存じないので? まっさかー」
軽口には似合わない、リットの鋭利な翠の瞳に、レガートは口を噤む。
「頼む、リット。おれにもわかるように説明してくれ」
ジンの懇願に、リットはあっさりと頷いた。
「ルリア王女襲撃の三件で、気になる点があった」
「何だ? 三つとも、メリア王女の仕業だろう」
ジンが首を傾げる。
首謀者のメリア王女は、王城の一室で監視下に置かれている。ラウルの覚悟がよほど衝撃的だったのか、放心状態で話は聞けないらしい。
リットの口元が微かに歪んだ。
「王都に入る前の襲撃二件は、メリア王女の仕業だ。だが、街中の一件は違う」
「裏稼業の男たちをメリア王女が雇って、襲わせたんじゃないのか?」
ジンの言葉に、リットは首を横に振る。茶髪の長い三つ編みが尾のように揺れる。
「メリア王女は、すでにルリア王女が王都に到着していると知らなかった。だから、道中を狙ったんだ」
リットが笑みを消す。
「王都守護のスレイ騎士団、それも副団長なら。王都にやって来た人物ぐらい把握できるだろう?」
「……やだなぁ、リットどの」
レガートの笑みが威嚇に変わる。
「一日に、どれくらいの出入りがあると思っているの。すべて把握するなんて、無理だよ」
「対象を絞ればいい」
あっさりとリットが言う。
「女性に用心棒が一人か二人いる一行、もしくは女性二人……側近のシズナどのだけ。後者は目立つから、すぐわかる。聡明と名高いルリア王女のことだ。事前に王都に潜入するかも、と読んだのだろう? 聡明なレガートどの」
「それでも、何十組もいるじゃないか。それに、ラウル殿下の生誕祭を祝うため、王都を訪れる旅人は多い」
リットが右手の指を三本立てた。
「生誕祭前日の三、四日前だけ気にしていればいい」
レガートが口を噤む。
それでも、まだ緑の目は面白がっている。
「シンバル王女様だ。遅くとも生誕祭前日には王城に到着していなければ、体裁が悪い。
生誕祭の二日前。これは王都の出入りが最も激しく、紛れることもできるが、襲撃を受ける危険性も高い。ゆえに却下。もっと早め。と、なれば。三、四日前が妥当だ」
「……ふうん。面白いね」
レガートが低く、喉で嗤った。
「それで? もし僕が、ルリア王女の事前到着を知っていたとしたら。何か問題でも?」
「レガートお兄様の役目は、そこまでですねぇ」
リットの惚けた言い方に、レガートの柳眉が跳ねる。
「それらしい人物が到着した。あとは、妹リリア嬢の役目ですね。裏稼業を雇って、ぬるい襲撃。いくら小物の男たちと言っても、結構な金額が必要じゃありませんでしたか?」
リリアが表情を曇らせて、首を横に振った。
「さあ? 何のことをおっしゃっているのだか、わかりませんわ」
「裏稼業の雇い賃は、メリア王女から出た」
「っ!」
息を呑んだリリアに、リットが追い打ちをかける。
「ついでに、襲撃したのはメリア王女から依頼があったから」
「本当か、リット!」
ジンの声に、何事かと周囲の耳目が集中した。
「だとしたら、大事だぞ!」
「大声を出すな、ジン。真実かどうかは、リリア嬢の口から聞かせていただこう」
どうぞ、とリットが手の平を向けて、リリアを促す。
「証拠がありません。すべては机上の空論です」
きっ、と彼女の緑の目がリットを睨む。
「聡明なレガートどのが、裏稼業の男たちから雇い主のことを聞き出せていない。これは、何かあるかなって思って」
「お褒めにあずかり光栄だね。リットどの」
「ああ、お気になさらず」
リットが芝居掛かった声音で言う。
「全然、まったく、褒めていませんからー。没落って、成り上がりたいだろうコーネス兄妹様?」
「……辛辣だねぇ。キミは」
レガートがリットを見る。緑と翠がぶつかり合う。ぴり、と二人の間に見えない火花が散る。
「成り上がるために、我が友を利用されては困ります」
リットの言葉に、ジンの灰青の目が大きくなる。
「おい、リット……。どういうことだ」
「お前は、お前の魅力に気づいていない」
真剣な顔でリットは言う。
「王族に近い近衛騎士団の副団長。剣の腕は国内随一で、その名は隣国にも轟く、栄誉ある名。実直な性格だから浮気はしない。爵位なしのリリア嬢にとっては、身分が釣り合い、なおかつ将来性がある、絶好の踏み台だ」
「……お断りされましたけど」
リリアがそっぽを向いた。
「おや、否定しないことが肯定?」
「揚げ足取りは品位を落としますよ、リット様」
「ついでに、ジンとお付き合いを始められたら、それとなく伝えるつもりだったんだろ?」
リットが頬に手を添え、憂いの息をつく。
「『メリア王女から襲撃の依頼があって……、脅されて、弱小貴族のワタクシには断れなくて……。でも、ルリア様を本当に危険にさらすわけには、いかなくて……、スレイ騎士団の巡回経路なら、すぐに助けが入ると思ったから……』みたいな?」
頭痛を覚えて、ジンが額に手を当てる。
「リット。……真面目なのか不真面目なのか、はっきりしろ」
彼が嗤う。
「貴女様はどう思われますか? ――ルリア王女」
リット以外が振り返れば、ルリア王女が立っていた。
その傍には顔を強張らせたシズナが控えている。
「素敵な机上の空論ね。リット様」
「あ、呼び捨てでお願いします。ラウル殿下に首チョンパされてしまうので」
「リット。不敬だぞ」
ごす、とジンの左肘がリットの鳩尾に入る。痛みでリットがうずくまる。
「――今の話、まことか?」
シズナの厳しい声に、レガートは笑みを浮かべる。
「知らないよ。だって証拠がないもの」
「ふざけるな!」
一喝したシズナを、ルリアが手で制す。
「コーネス家のご兄妹ですね」
「それが、何か?」
にこにこと、上辺だけの笑顔でレガートが答える。一歩、前に出てリリアを自分の背に隠す。
「爵位をお望みで?」
ルリアの問いに、臆面もなくレガートが頷く。
「まあね。フルミアは、むかつくほどの身分主義だ。爵位がなければ、妹に良い思いをさせてやれない」
噛みつくようにレガートが言う。
「食べる物も、着る物にも困ったことはないんだろうね? ルリア王女様」
「ええ。おかげ様で」
ルリアは首肯した。レガートの皮肉を真っ直ぐに受け止める。
「レガート・コーネス」
不躾なルリアの呼び方に、レガートは眉間を寄せた。
「悪いけど。僕は貴女の臣下じゃない」
ふふふ、とルリアが微笑む。
「シンバルの侯爵位を授けます」
その場の空気が凍った。
「……ルリア様? 何を?」
シズナが戸惑いの声を漏らす。
「あの子の陰謀の一端、その情報提供の見返りですわ。いかがかしら?」
「随分と……、大盤振る舞いだねぇ」
レガートの笑みが引き攣っている。
「お祝いです。ラウル殿下の生誕祭ですもの。多少、懐の紐が緩くなっても、構いませんわ」
「それを言うなら財布の紐です!」
シズナの指摘に、ふふふ、とルリアが笑う。
いてて、とリットが立ち上がった。
「上等な買い物だと、思いますよ」
「ほら、シズナ。リット一級宮廷書記官のお墨付きですよ」
「推薦状でも書きましょうか? 有償で」
「抜け目ないですね」
シズナは主人の言葉に頭を抱えた。
ジンはリットの言葉に頭を抱えた。
「じゃあ、そういうことで」
したり顔で、レガートが言った。




