第20筆 眠り姫の約束事
「リット」
「はい」
ラウルの声に、リットは手紙の洋紙から顔を上げた。
ラウルの紫と目が合う。
「なんとかしろ。ルリア王女を起こせ」
「なんとかしろって……丸投げですか。暴君ですねぇ」
「できなければ首を刎ねる」
「おお、こわ。王太子ではない第一王子殿下は、余裕がない」
ラウルの表情は厳しい。
「その通りだ。皮肉を聞き流せるほどの余裕はない」
「けれども、打開策がないわけではないですよ」
リットの微笑に、ラウルが目を丸くした。
「どういうことだ?」
「斬首されるべきなのは、俺ではないということです」
飾らないリットの言葉に、ジンとトウリが顔を見合わせた。
いくら気安く優雅不遜なリットでも、ラウルの前では分を弁えている。
俺という一人称は使わない。
「メリア王女様」
リットがメリアへ貴族礼をした。名乗る。
「一級宮廷書記官のリトラルド・リトンと申します。この美しい手紙について、教えていただきたい」
「何かしら」
「代筆したのは、茶髪に翠目の男ではありませんか?」
「ええ、そうよ。あなたのような、彩色の方でしたわ」
メリアが頷いた。愛らしい目を、ぱちくりと瞬かせる。
「それが、どうかしまして?」
リットの口元が歪む。
「その男は、サードと名乗りませんでしたか」
ジンとラウルが息を呑んだ。
「そう名乗りましたわ」
メリアの肯定に、リットが盛大にため息をつく。
「――あの野郎」
暗く冷たい主人の声音に、トウリはびくりと肩を震わせた。
「リ、リット様……?」
「トウリ。もう少し、黙って花瓶になっていてくれ」
トウリが押し黙る。怖い。
明確に機嫌が悪くなった主人の言葉に従い、両手に持つ白のフリージスに顔をうずめた。甘酸っぱい香り。心が癒やされる。
「ラウル殿下」
リットの翠の目が第一王子を射る。
「覚悟を決めてください」
「何の覚悟だ」
ラウルが怪訝そうに言う。
「ルリア王女を目覚めさせるのに、オレの覚悟が必要なのか。何故だ」
「今後に影響するからです。主に、そこなシンバル第二王女」
「わたくしですか?」
唐突な話の流れに、メリアはきょとんとする。
しかし、それも一瞬のことで。
余裕たっぷりに微笑んだ。
「ああ、ラウル様がわたくしを選んでくださるからですね? そうですね?」
リットは答えず、言葉をぶつける。
「眠り薬の、気付け薬をお持ちですか」
メリアの笑みが消えた。つまらなそうに、首を横に振る。
「持っていませんわ。だって、眠り薬を仕込んだのは、わたくしではありませんもの」
「嘘だ!」
シズナが叫ぶ。今にも長剣を抜いて斬り掛かりそうな彼女を、ジンが腕で制す。
「落ち着け」
「落ち着いていられるか! 我が主君のことだぞ!」
琥珀色の瞳が、怒りに燃えている。
「シズナどの。いかなる時も、騎士は冷静さを失ってはいけない」
そう諭すジンに、シズナは唇を噛んだ。正論だった。
「リット」
静かに、ジンが友を呼ぶ。
「頼む。ルリア王女を助けてくれ」
驚いたようにシズナがジンを見上げた。灰青の瞳は、真っ直ぐにリットを見つめている。
「そのつもりだ、ジン。俺の案件でもある」
窓際に立つリットがジンを見返す。陽光を背後から受けて、リットの髪が金色に染まった。
「――『この葡萄を読む者へ』」
リットが手紙を読み上げる。
「『古からの眠り姫の約束を思い出せ』――」
メリアが眉をひそめた。
「そのようなこと、書いた覚えはありませんわ」
「そうでしょうね」
リットが頷き、手紙を一同に見せた。
「書面ではなく、縁飾りの金の葡萄にメッセージが隠されています」
洋紙の縁に、金色のインクで葡萄の蔦と実が描かれている。
一目見ても、メッセージが隠されているとは、わからない。
「葡萄の実に似せた文字、しかも鏡文字ですからね。普通なら気づきません」
ほう、とラウルが息をついた。
「さすがは一級宮廷書記官だな」
「褒めは結構です。ラウル殿下」
続きがあります、とリットが言う。
「――『麗しの口づけで姫は目覚める』」
メリアが悲鳴を上げた。
「そんな、嘘よ! 永遠に眠り続ける薬のはず!」
しん、と室内が静まる。
「気づけ薬も解毒剤もないって、サードが言ったわ!」
信じられないように、シズナが唇を震わせた。
「メリア様……、今の、お言葉は、本当ですか」
メリアの青い目が大きく見開かれた。
「語るに落ちる、ですねぇ」
呟いたリットを、メリアが睨みつける。
「わたくしを騙したのね……!」
「まさかまさか。そんなそんな。ちゃんと、手紙に書いてありますよ」
メリアがリットから手紙をひったくった。びりびりと破く。
「何を!」
シズナが非難の声を上げた。
「知りません! わたくしは、何も知りませんわ!」
目に涙をためて、メリアがラウルを見つめる。
「助けてください、ラウル様! これは何かの陰謀です!」
ああ、とラウルが頷いた。
「確かに、陰謀だな」
「ああ、ラウル様……」
うっとりと、メリアが微笑んだ。うるんだ目に、薄紅の頬。誰が見ても、愛らしい姿。
だが、第一王子は背を向けた。
「ラウル様?」
戸惑うメリアに、ラウルは言い放つ。
「望み通り、助けてやろう」
ルリアが眠る寝台の横に立つ。
ルリアの頬に掛かっていた髪を、指で払う。
「お、お待ちになって! ラウル様ぁ!」
メリアの静止を聞かず、ラウルは屈み込む。
ルリアに口づけをする。
「い、いやあああああああああああ!」
シンバル第二王女の悲鳴が、銀月の間に轟いた。




