第2筆 呼び出しは突然に
羽根ペンが走る。
言葉に迷うことはなく、止まることもない。
速い。
瞬く間に洋紙の上に文字が綴られる。
書き手の翠の瞳は、脇目も振らず紙面に集中している。インク壺を見ないで、ペン先へインクをつけた。文字を書く。言葉を綴る。
椅子に座ったジンが、息を殺してリットを見守る。
ありふれた茶髪から覗く鋭利な翠の目。真剣みを帯びた友の表情に、唾を飲み込む。
「ん。こんなもんか」
リットが羽根ペンを置く。
誤字脱字一つなく、恋文の返信が書き上げられた。
「お見事です。リット様」
執務机の傍に控えたトウリが小さく拍手をする。
「どうだ?」
洋紙を向けたリットに、ジンが椅子から立つ。執務机に歩み寄り、洋紙を受け取る。
「ああ、良いな。これなら、波風立てずお断りできそうだ」
「清書は自分でやれよ、ジン」
弾かれたように、ジンが顔を上げた。
「このまま送ったら駄目なのか?」
「駄目だ。お前の筆跡で返信してやれ」
リットが執務机の上に両肘をつく。手を組んで顎を乗せる。
「それが相手に対する誠意というものだ」
「……そうだな」
ジンが洋紙を折りたたみ、トウリが差し出した封筒に入れた。
「トウリ」
「はい、リット様」
「お前、一緒に城下へ行って便箋を選んでやれ。ジンはそこまで気が回らんだろう」
「かしこまりました」
ジンが首を傾げる。
「便箋なら持っているぞ。何か不都合あるのか?」
これ見よがしに、リットがため息をついた。
「以前、恋文お断り代筆したのは、緑萌ゆる初夏だった」
「そうだな」
頷くジンへ、リットは冷めた視線を投げる。
「今は花咲月の盛夏だ。前に使った若葉の便箋は季節に合わん。新しいものにしろ」
うっ、とジンが言葉に詰まる。
「き、気づかなかった」
「ほらな」
「さすがです、リット様。ジン様のことを熟知しているとは」
トウリが目を輝かせた。
「まるで〈白雪騎士物語〉の主人公レオン騎士とエーヴォン王みたいです!」
「……まーな」
きらきらとした視線を向けられ、リットは困惑する。
期待という圧力。
「何だ、トウリ」
「次の物語は、いつ刊行されますかね!」
「良い子にしていたら、聖ユキラスがそりに乗って持って来てくれるぞ」
「冬まで待てません」
不満げに眉を寄せたトウリに、リットが息をつく。
「インク屋に訊いてみればいい」
「クードさんですか?」
「悪い、ジン。一番上の文箱を取ってくれ」
リットが壁際の棚を指差す。
「これか?」
長身のジンが難なく手に取る。自分なら踏み台を使わなければ届かない高さに、トウリは口を引き結ぶ。
「ん、ありがとな」
手渡された文箱を、リットはトウリへ突きつけた。
「クードのところに行って、依頼されていた長い恋文を置いてこい」
ぱっと、トウリの表情が晴れやかになる。
「はい、行ってきます!」
「中身は見るなよ」
「もちろん見ません。侍従をなめないでください」
心外そうに、トウリは文箱を抱え込んだ。
「二つも使いを頼んで悪いな」
「いいえ、トウリはリット様の侍従であります! 何なりとお申し付けを! 本と引き換えに!」
本音を隠さないトウリに、リットが笑う。
「わかった。期待していてくれ」
「はい!」
「いやあ、頼りがいのある侍従を持って俺は幸せ者だなぁ」
「……リット」
「何だ? 友よ」
鼻歌を歌い出しそうなほど機嫌が良い友に、ジンの灰青の目が据わる。
「おれたちが城下に行っている間、お前は何をする」
「無論もちろん」
リットが両腕を広げて伸びをする。
「優雅で有閑な時間を満喫するのさ!」
コンコン、と執務室の扉がノックされた。
「はい」
文箱を片付け、取次ぎでトウリが扉を開ける。黒髪の青年侍従が立っていた。
「ヤマセさん」
「やあ、トウリ」
黒髪の侍従が微笑む。
「失礼いたします。リット様、ジン様。ご機嫌麗しゅう」
嫌な予感に、リットの頬が引き攣った。
ヤマセが文盆をトウリに差し出す。
「リット様へ、殿下からです」
「ありがとうございます」
トウリが手紙を受け取った。では、とヤマセが去っていく。
パタン、とトウリが扉を閉じれば、リットが執務机に突っ伏した。
「ど、どうした。リット」
慌てるジンに、絶望感満ちる声でリットが言う。
「……終わった」
「何が」
「……俺の、麗しき有閑な時間が」
「どうしてだ?」
恨みがましく、リットがジンを睨む。
「殿下は、ひとりしかいないだろう」
「まあ、そうだが」
「絶対、面倒事だ。俺を呼び出すなんてそうに決まっている」
「手紙を読まねば、わからんだろう」
リットが飛び起きた。
「賭けるか、友よ」
「賭けない、友よ」
「つまらん」
不貞腐れるリットへ、トウリが手紙を突きつける。
「さあ、リット様」
満面の笑み。
「働け」