第18筆 孤独の中の紫の花
「ラウルよ」
玉座の間に、王の声が響く。
「齢十九になったことを、余は嬉しく思う」
「有り難き御言葉。光栄でございます」
ラウルが頭を下げた。ふむ、と王が頷く。
「王家の〈彩色の掟〉に従えば、王位継承者はお前ひとりとなった。周囲はうるさくないか?」
「陛下のお耳に届く程度には」
「誰ぞ、好いた令嬢はおらぬか」
「は?」
父王には珍しい話題の切り出し方に、ラウルは目を丸くした。
「フィルバード家をはじめ、王侯貴族たちは第一王子の伴侶について関心がある」
王の言葉に、ラウルはぎこちなく頷いた。何を今更、という気持ちが強い。
「誰ぞ、好いた令嬢はおらぬか」
王が繰り返す。
「……畏れながら。好き嫌いの感情論で決まる事柄ではありませぬ」
「模範的な答えだな。ラウル」
じっ、と王の紫の目がラウルを捉えた。王族の証、月神の恩寵を受けた彩色は、鋭い光を宿している。
「ラウルよ」
「はい」
二人だけの玉座の間に、王の声が響く。
「王の道は、華やかで栄光に満ち溢れてはいない。暗く、冷たく、孤独である」
ラウルは真っ直ぐに父王を見返す。
「我が言葉は長剣であり、人を守ることもあれば、首を刎ねることもある。すべては、この銀雪の国に平穏をもたらすため」
静かで重い王の声に、ラウルは目を伏せた。
――覚悟はできている。
「だが、本当にそうか?」
驚き、ラウルは顔を上げた。
心を読まれたかと思った。
「王は国のためにある。国は民のためにある。では、民は何のためにある?」
「それは……王のため、ではないことは確かです」
王が唇を歪める。
「遍く国々で、王に投げ掛けられる問いぞ。お前はまだ、答えを見出してはいないようだ」
ラウルは言葉に詰まった。その通りだった。
王は言う。
「王座に就けば、わかることでもない。探し、迷い、打ちひしがれたその先に存在する」
「陛下は……、答えを見つけられたのですか?」
訊ねる第一王子に、王は目を細めた。
「失礼いたします!」
玉座の間に、ヤマセが血相を変えて飛び込んできた。
「いかがした」
王が怪訝そうに眉を寄せる。
肩で息をするヤマセが、唾を飲み込んでから叫んだ。
「ルリア王女様が――!」
「深く眠っている、と?」
ラウルの言葉に、年老いた宮廷医薬師長が頷いた。
「側近の騎士どのが言うように、手紙に眠り薬が仕込まれておりました」
「気付け薬はないのか」
医薬師長が首を横に振った。
「王城のすべて試しました。が、この通りでございます」
寝台にルリアが横たわっている。目を閉じ、死んだように眠っている。
「問題の手紙はどこだ」
「こちらです」
シズナが案内する。
開け放たれた窓の下、小卓に文箱がひとつある。
ラウルが蓋に手を掛けようとすると、シズナが静止した。
「お待ちくださいラウル殿下。危険です」
「――わかっている」
鋭く険しい紫の目に、シズナは気圧される。
「遅くなりました!」
右手に包帯を巻いたジンが、リットを連れて現れた。
リットの姿を見たラウルは、顔をしかめる。
「おい。何のつもりだ、リット」
「見舞いの花ではないですよ」
両手一杯に、リットは紫のフリージスの束を持っていた。後ろに従うトウリも白いフリージスの束を抱えている。
甘酸っぱい香りが、部屋中に満ちた。
「話を聞けば、眠りに誘う香り付きの手紙だそうで。優雅ですねぇ」
軽口を叩きながら、リットは文箱の上にフリージスをばら撒いていく。
「フリージスの花に解毒作用はないぞ。一級宮廷書記官どの」
医薬師長へリットが首肯した。
「知っています。しかし、これだけ大量にあれば、眠り薬の香りも中和されるでしょう」
こんもり、と小卓の上には紫のフリージスの山ができている。
ほろほろと、乗り切らなかった花が床に落ちた。窓から入る風が、甘酸っぱい香りに染まる。
「リット様。僕はどうしたらいいのでしょうか?」
「もう少し花瓶になっていてくれ」
トウリが冷めた視線で主人を見た。
「怒りますよ」
「冗談だって」
「こんなときに冗談を言っている場合ですか!」
「お前が一番年若い」
リットは笑わない。
「同じ量でも、眠り薬の効きが一番早い。フリージスの香りを抱いていろ」
ぽん、とジンがトウリの肩に手を乗せた。
「心配しているんだ。あれでも」
「はい」
トウリが白いフリージスに顔をうずめた。ふっとジンが微笑む。
リットがフリージスの山から文箱を掘り出す。
「さて、もういいかな」
躊躇なく蓋を開けた。
「ん。平気そうだ。上等、上等」
眠り薬の香りは、フリージスに負けた。
「封筒には、ルリア王女の名と」
リットが手にした封筒を裏返す。
「Mと獅子の飾り文字か。ふーん。獅子は上手くないな。二十六点」
「評価させるために呼んだわけではない」
厳しいラウルの声に、リットは肩をすくめた。
「わかっています。いつもの余裕がないですね、ラウル様」
「この状況で、あってたまるか」
「『王に安眠なし』ですからねぇ」
「御託は不要。あとで覚えていろ、リット」
「うっわ。こっわ」
軽い声音とは裏腹に、リットは真剣な表情で便箋を手にした。
ラウルがシズナを見る。
「本当に、メリア王女からの手紙なのか」
「ええ。ルリア様があの子からだと、仰いました」
ラウルが舌打ちをした。
「医薬師長」
「は、はい」
「フルミアに存在する気付け薬、全部持って来い」
「ぜ、全部ですか?」
第一王子の命令に、医薬師長は慄く。
「そうだ。夏の離宮にも馬を飛ばせ。大図書室に薬学の本が大量にある。気付け薬、解毒剤について調べさせろ。今すぐ」
「は、はい!」
医薬師長が慌てて部屋を出て行った。
「……暴君ですねぇ」
ぽつりとリットが呟く。
「何とでも言え」
吐き捨て、ラウルが寝台の傍に立つ。
眠っているルリアを見下ろす。すうすうと安らかな寝息。ぴくりとも動かない瞼。薄紅の唇が言葉を紡ぐことはない。
慌ただしい足音が聞こえた。
もう医薬師長が戻ってきたのか、と全員の視線が扉に集まる。
扉が開かれた。
「申し上げます!」
マエスだった。
「メリア王女が王城に到着しました!」




