第17筆 言葉は時に、虚ろに香る
わああ、と民衆から歓声が上がる。
祝いの花びら舞う中、ラウルが大バルコニーに姿を見せた。
金髪に銀の髪飾り、青のマントを纏ったラウルが手を振ると、歓声は一層大きくなる。
例え手を振るラウルが無表情でも、第一王子の姿を一目見ることができ、感極まった少女ご令嬢たちがバタバタと気絶した。
「……疲れる」
大バルコニーから室内に引っ込み、ラウルが呟く。
バルコニーの向こうからは、まだ民衆の祝福の声が聴こえる。
「お役目、お疲れ様です」
ヤマセが苦笑した。
「次は陛下へのご挨拶です」
「ああ。玉座の間か」
足早にラウルは玉座の間へ向かう。
衛兵とすれ違う度に、頭を下げられる。普段なら気にしないその敬畏が、何故か神経に障る。
緊張しているのかもしれない。
そういえば、独りになって初めての生誕祭だ。
「どうされましたか? ラウル殿下」
足を止め、背後を振り返ったラウルにヤマセが声を掛けた。ラウルの視線の先、王城の長い廊下が続いている。
「いや……、何でもない」
背中に誰もいない。
兄上、と呼ぶ声が聴こえない。
――ああそうか。あれは王族ではなくなったのだ。
重く冷たいものが腹の底に広がる。
もう、式典で横に並ぶことはない。
重苦しい式典が苦手なくせに、民衆の前に出ると、弾けるような眩しい笑顔を見せた。民衆へ手を振り過ぎて、気安い王族がどこにいますか、と後で侍従長に小言を言われていたのを知っている。
「行きましょう、ラウル殿下。陛下がお待ちです」
「ああ」
ラウルが歩を進めた。気を途切れさせるには、まだ早い。
父王に挨拶をして、その後はフルミア貴族の挨拶を受ける。他国の王侯貴族からの挨拶は午前中に済んでいる。
挨拶、挨拶、挨拶。
「挨拶が何だ。ただの上辺だ」
小さく、第一王子は呟いた。
「――そんなことが、あったのね」
椅子に座ったルリアがため息をつく。
「はい」
訓練場の控えの間での一件をルリアに報告し、シズナは立ったまま俯いた。
王城であてがわれた部屋は、他国よりも格上。
銀月の間。
大きく採られた窓からは、紫と白のフリージスが咲く庭が見下ろせる。差し込む午後の陽光に、三日月が描かれた装飾掛布の銀糸が光る。
シズナの足元、敷かれた絨毯は藍色に染められ、フリージスの花が刺繍されていた。
その花を、俯いたままシズナは胸の内で数える。
ルリアのため息が再び聞こえた。
「コーネス家の御子息が、王都守護のスレイ騎士団副団長になっていたとはね。夏の離宮には来なかったから、知らなかったわ。シズナが言うように、素敵な性格の方のようね」
「ええ」
「それに、剣の腕だけではなく、口も達者のようね。確かに、権謀術策が躍る舞踏会では、見逃されるぎりぎりの線の皮肉ね」
シズナが悔しさに唇を噛む。言葉という長剣の前に、何もできなかった。
「気にしては駄目よ、シズナ」
静かな、それでいて強い主人の声に、シズナは顔を上げた。ルリアの青と目が合う。
「あなたが、いつまでもウジウジしていたら。助けてくれたジンどのに、申し訳ないわ」
「……はい」
剣の鷲大狼。彼の灰青の目が、脳裏から離れない。
「私も、騎士のシズナが好きよ」
ふふふ、と微笑むルリアに、シズナは目頭が熱くなった。
――必要とされている。
己が。騎士としての自分が。
例え剣の腕で、彼に勝てなくとも。知らぬところで醜態をさらしてしまっても。ルリアは許してくれる。
必要としてくれる。
シズナは拳を胸に当てた。正式な騎士礼。
「我が剣は、あなた様の牙。我が身は、あなた様の盾。光り輝く栄光があらんことを」
金陽の国の第一王女へ、頭を垂れた。
ルリアが頷く。
差し込む金の陽が二人を包む。窓の向こう、瑠璃色の鳥がさえずりながら飛んでいく。
コンコン、と扉がノックされた。
「はい」
シズナが扉を開ける。侍従が会釈をし、手紙を差し出す。
「シンバルの第一王女様宛です」
「……どなただろう」
手紙を受け取ったシズナは扉を閉め、手紙の封筒をまじまじと見る。
ルリア・ランクルース・シンバル王女様、と正式名が書かれている。封筒を裏返せば、Mと獅子の飾り文字。
シズナの眉間にしわが寄った。
「シズナ。かわいいお顔が台無しよ」
「ルリア様。お心当たりは?」
手紙を渡す。裏の一文字を見て、ルリアは頷いた。
「ああ、大丈夫よ。あの子からだわ」
ルリアが封蝋を開け、中の手紙を取り出す。
「あの方から手紙とは。嫌な予感がしますが……」
「ふふ。そう言わないの」
折り畳まれていた洋紙を開く。
ふわっと、甘い香りが漂う。
「あら、珍しい。香り付きの、洋紙……なん、て……」
「ルリア様!」
手紙が絨毯の上に落ちる。
ルリアの体が傾ぐ。慌ててシズナが抱きかかえた。
「ルリア様!」
耳元で叫んでも、ルリアは目を閉じでぴくりとも動かない。
シズナはルリアの胸に耳を当てた。とくとくと、鼓動の音。すうすうと、安らかな呼吸。
「眠っている……?」
微かな甘い香りに、くらりと視界が揺れた。絨毯の上の白い手紙。
「まさか――」
シズナは自身の頬を強く叩いた。痛みで意識が覚醒する。
「誰か! 誰かいないか!」
シズナの声に、バタバタと続きの間から足音。乱暴に扉が開かれた。
「どうかしたのか、シズナ!」
「マエスどの!」
意識を失っているルリアの姿に、マエスが息を呑む。
「至急、医薬師を!」
シズナが叫ぶ。
「手紙に眠り薬が仕込まれています!」