第1筆 代筆依頼はオレンジの香り
「宮廷書記官リットの優雅な生活」https://ncode.syosetu.com/n2941gv/
の、続編です。前作を読まなくても、お楽しみいただけます。たぶん。
「助けてくれ、リット!」
昼下がりに、執務室の扉が開かれた。
「何だ、どうした? ジン」
肩で息をする友の姿に、リットが目を丸くする。
振り向いた拍子に、三つ編みの茶髪が尾のように揺れる。
「王城の庭で、狼と鯨がダンスでもしていたのか」
リットの冗談に答えず、ジンが早足で執務机に近づく。彼の慌て様に驚き硬直しているトウリは、蔑ろにされた。
ばん、とジンが机上に手紙を置く。
「あー……、なるほどな」
手にしていた羽根ペンの羽先で、リットがこめかみを掻く。
「行儀が悪いぞ、一級宮廷書記官どの」
「指摘が細かいぞ、近衛騎士団副団長どの」
リットが息をついた。
「恋文をもらったのか。返事に困って、俺に泣きつくのは何度目だ?」
「三十九回目だ!」
ジンが律儀に答える。
「んで、今回こそは受けるのか? えーと、差出人はコーネス家のリリア嬢か。別嬪と名高いご令嬢だな良かったな没落ったが」
「良くない!」
ばん、とジンが手の平で執務机を叩いた。インク瓶とペン置きと高く積み上げられた洋紙が、一瞬だけ宙に浮く。
「丁重にお断り申し上げるには、どうしたらいい!」
涙目のジンに、リットは翠の目を細めた。
「騎士なら正々堂々、面と向かって言いやがれ」
「見捨てるな友よ! それができないから、お前に頼んでいる」
「リット様……、お断りのお返事を代筆してあげましょうよ」
硬直から自然回復したトウリが、憐れみの視線をジンに投げた。普段なら凛々しい姿の副団長が、今は肩を落として打ちひしがれている。
「トウリ。お前は主人に似なくて良いやつだな。近衛騎士団に来るか?」
「是非!」
騎士物語に憧れる侍従の目が輝いた。
「おいこら。勝手に結託するな」
不満げにリットが眉根を寄せる。
羽根ペンを置き、椅子に背を預けた。
「大体なぁ、お前は恋文をもらい過ぎなんだよ。剣ではなく、女性を振るとは何事か。それでも騎士か」
「畏れ多くも、ゼルド陛下より近衛騎士団副団長を拝命した騎士だ」
「真面目に返すなよ」
「茶化すのは性に合わん」
真っ直ぐなジンの灰青色の瞳に、リットは鼻を鳴らす。
「つまらん」
「紅茶ばかり飲んで働かない宮廷書記官様より好感が持てます」
しれっと言うトウリに、リットが口を引き結んだ。顔を背ける。
「すねないでください、リット様。事実ですよ」
「そんな現実はいらん。それに」
コツコツ、と指で執務机を叩いた。
「ジンが乱入してくるまで、俺はちゃんと働いていたぞ?」
「……すまん」
消え入りそうなジンの声。
覇気のない彼に、主従二人が慌てた。
「いつもの軽口だ真に受けるな!」
「紅茶を飲んで休憩しましょ、そうしましょ!」
「……すまん」
リットとトウリが顔を見合わせる。
「とりあえず座れ、ジン」
リットの言葉に、緩慢な動きで従う。
トウリがカップを二客用意した。
部屋の隅、木桶の中の水で冷やしていたポットを手にする。滴る水を布でぬぐい、カップに紅茶を注ぐ。
「南領産の茶葉に、オレンジピールを漬け込みました」
「ああ。ありがとう」
ジンがトウリからカップを受け取る。
一口飲む。
軽い口当たりの紅茶に、柑橘の香りがふわりと立つ。涼やかな喉越し。強張っていた体から力が抜ける。
「うん……、美味いな」
「落ち着いたか?」
同じようにカップに口をつけ、リットが尋ねた。ジンが頷く。
「ああ、取り乱して悪い」
「恋文なんて、お前にとっては珍しいものでもなかろうに。どうした?」
あまねく男たちを敵に回す台詞。トウリは主人を冷めた目で見る。
「いや……、間が悪い」
紅茶を飲み干し、ジンがため息をついた。
「間の前に、幕が上がっていないのだが」
「芝居がかった言い回しはよくわからん、リット」
「最初から話せってことさ、友よ」
ジンが唸る。
「季節は花咲月だ」
「夏がどうかしましたか? ジン様」
首を捻るトウリに、ジンが重ねて言う。
「銀雪の国は、交易外交シーズンだろう」
険峻な山々に囲まれたフルミアは、冬になればその名の通り雪で閉ざされる。
「そういうことか。不器用な男だな」
紅茶のおかわりを要求したリットに、トウリが声を上げる。
「全然、僕にはわかりません。説明をください!」
それまで紅茶はお預けだと言わんばかりに、トウリがポットを腕に隠した。
「あっ、この野郎」
「お口が悪いですよ、リット様」
窘める侍従に、リットが息をついた。
「他国隣国との外交の一環で、剣の親善試合があるんだ」
リットの言葉に、ジンが首肯する。
「親善試合のために、鍛錬に集中したい。けれど、この時期になると……」
「きゃー、ジン様。がんばってくださーい」
主人の黄色い声に、トウリが眉をひそめる。
「どこからそんな声が出るんですか」
「喉からに決まっている」
「……真面目に返答されても。反応に困ります」
「困っているのは、ご令嬢たちの恋文の返事書きに時間を割かれてしまうジンだ」
「なるほど」
トウリは主人ではなく、ジンの空のカップに紅茶を注ぐ。
「おいこら、侍従。主人を蔑ろにするな」
「お客様優先です」
リットが肩をすくめた。
「御尤も」
「いや、おれは客じゃ――」
「代筆を依頼しに来たんだろ」
ジンの言葉をリットが遮った。
「我が友でも、客であることには変わりない」
トウリが主人のカップに紅茶を満たす。黄金色の水色に、柑橘の香り。
「その恋文お断り代筆、引き受けよう」
リットが片目をつぶって見せた。