逃走
シュンは何も持たず部屋を出る。
誰かに見つかったらなんて言おうかという気持ちでいっぱいだったが、不思議なほど誰とも遭遇しなかった。
ただ、今の彼に疑問に思う精神的な余裕はない。
いつの間にか日は落ちていて、月と星の明かりを頼りにひたすら歩く。
見つかったら逃亡扱いになるんじゃないかな──というのが今のシュンの恐怖だ。
御子柴たちに追い出されたのだと言って、信じてもらえるだろうか。
信じてもらえたとして、かばってもらえるのだろうか。
シュンにはそんな疑問がある。
御子柴のスキルは知らないが、仲間のスキルはかなり強そうだ。
少なくとも使い道がわからないシュンよりもはるかに好ましいだろう。
シュンはそちらの恐怖が勝っていたので、ラルクたちに訴え出なかったのだ。
あるいは鹿倉に相談すればこの場はしのげるかもしれないが、御子柴に後日仕返しされるだろう。
どうせ地獄なら、御子柴たちの目と手が届かないところのほうがまだマシ──だとシュンは思いたかった。
信じたのではなく、賭けたのだ。
しばらく歩いていると生ぬるい風が吹いてきて、彼の頬をなでる。
「ここは」
見覚えがある場所に出てシュンは立ち止まった。
彼らが召喚された校舎の名残とも言うべきものだろう。
目を凝らして見れば教室と廊下の一部が切り取られたような形で、この地に来たのだろうと予想ができた。
一瞬ここにとどまろうかと思ったシュンだが、すぐに歩き出す。
彼に縁があるうえに逃げ出した場所から離れているわけでもないので、見つかりやすいと考えたからだ。
「どこに行けばいいんだろう?」
不安と緊張に満ちた彼の声は闇夜に溶けて消える。
誰も答える者はいない。
孤独なうえに何度も殴られ蹴られた場所が痛む。
「ホー」
どこかで鳥のような鳴き声が聞こえ、シュンの体がビクッと震える。
戦えないのだから発見されたくないと一心で息を殺し、足音を立てないように注意して進む。
カサカサという音にビクッと震えたが、どうやら小動物で自分に興味ないらしいと知って安どする。
なるべく離れるように歩いていると、風を切る音とともに大きな影が飛来して、小動物に襲い掛かった。
「ひっ」
シルエットからしておそらく大型の鳥だろうと思ったが、シュンは恐怖を呼び覚まされる。
危うく失禁するところだったが、膝が震えるのを抑えられなかった。
なんで俺がこんな目に──シュンはそう思わずにいられない。
ひとまず木らしきものを見つけたので、少し休もうと腰を下ろす。
日本で人工の明かりに慣れた身としては、こうして夜の闇をさまようのはかなりつらいことだ。
御子柴たちから離れて彼らへの恐怖心が落ち着くと、今度は夜の闇と見知らぬ土地に対する恐怖心が沸き起こってくる。
「ううう……」
気づいた時には口から嗚咽が漏れ、目から涙がこぼれた。
立ち止まってしまったから向き合うことになる。
これから自分はどうなってしまうのか──考えないようにしていた絶望と。
シュンはこの世界では、この世界でも弱者に過ぎない。
肉食獣に見つかったら終わりだ──そんな思いが恐怖にかわり、体を硬直させる。
必死に息を殺して物音が遠ざかるのを待ち、そっと息を吐き出す。
とにかく身を隠せる場所を探さなきゃ──シュンはそう考える。
木の陰だけでは心もとない。
できれば頭と左右の三方向を隠したかった。
よろよろと立ち上がり、痛む腹部を左手でさすりながらゆっくりと歩き出す。
必死に目を凝らし、耳を澄ませ、突然遮へい物がない平野に放り出された小動物のような気持ちでシュンは歩く。
夜の闇も彼には恐怖だったが、自分を狙う獣やモンスターの目から守ってくれているかもしれないと思えば、多少は気持ちがマシになる。
匂いや音、体温で獲物を捕捉するタイプには意味がない──なんて考えは浮かんですぐに消した。
その心配をはじめると恐怖で頭が真っ白になり、指一本動かせなくなってしまうだろうから。
「スキルがもっと強ければ……」
そう思わずにはいられないシュンだった。
何とか歩き続け、木のくぼみらしきものを見つける。
彼はとりあえず入ってみようとし、柔らかいものを踏んづけてしまった。
「ふぎゃああ!」
何かの生き物がねぐらにしていたらしく、侵入された怒りと踏まれた怒りの叫びをあげる。
シュンは転がるように逃げ出し、脇目もふらず走った。
息が切れて走れなくなったところで、追いかけてきていないことに気づく。
「もうやだ……」
シュンはそれだけ漏らすと、その場にうずくまって泣きだしてしまった。