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吸血鬼と銀色少女  作者: 吾亦紅
9/22

9 対価

「ごめんなさい」

 休憩室で目覚めたシルバレットは、開口一番にそう言った。

「私がちゃんと避けていれば、あんな事にはなっていませんでした」

 サイドテーブルに置かれたカンテラのオレンジの光がシルバレットの顔を淡く照らす。泣きそうなその表情は出会った初日に見せた表情によく似ていた。

「呪いは力というより体質に近いので、制御することはできません。アルヴェスのような例外を除けば、さっきの吸血鬼みたいに……」

 言葉を切る。俯いた彼女の顔は髪に隠れて見えなくなる。けれど膝の上に置かれた両手はきつく拳を握っていて、彼女が後悔や反省に苛まれているのは理解できた。

「吸血鬼であることは分かってたんです。けど、アルヴェスと重ねてしまって、油断して……、本当にごめんなさい。私のせいであなたに迷惑をかけてしまいました」

 室内を重苦しい空気が包み込む。

 きっとシルバレットも、自分の力を初めて目の当たりにしたのだろう。

 吸血鬼が触れない体という不明瞭な認識から、吸血鬼を殺せる体だと認識してしまった。全身が制御できない凶器だと分かれば誰であろうと動揺してしまうのは必然のことだ。

 呼吸をするのも躊躇われる沈黙の中で、アルヴェスはゆっくりと口を開いた。

「シルバレットはどうしたい?」

「……私、ですか?」

「そう」

 アルヴェスは椅子の背もたれに体重を預ける。椅子が更に悲鳴を上げる。

「今回の件で俺たちは少なくともあっちの目に留まったはずだ。アルターなら既にシルバレットの力に気づいているかもしれない」

 触るだけで吸血鬼を灰に変える力なんて、吸血鬼側からしたら恐怖でしかないだろう。

「もしかしたら、ファミリーの奴らが君の力を恐れて君も襲う可能性だってある」

 全て可能性の話だけど。

 そう付け足してから、アルヴェスは人差し指を立てる。

「君にとって一番安全な策は、すぐにこの街を出ることだ。ガレイさんに頼めば馬車代くらいすぐに出してくれるだろうし、俺だって少しは力になれる」

 シルバレットのこれまでの働きぶりは見事としか言いようがない。少なくとも、決して安くはない馬車代を負担しようと思えるくらいには。

「……はい」

 シルバレットは小さく頷く。膝に置かれた両手をぎゅっと握った。

「……けど」

 ぴくりとも動かない体に反して、唇が小さく動く。

「……まだ、帰りたくないです」

 それは、反省と後悔に押し潰されそうになりながらもシルバレットが口にした紛れもない本心だった。

「村は退屈でした。この呪いのせいで村のみんなは私に何もさせようとしなかった。守り神なんて言われて私は嫌だったんです」

 いつかの夜のシルバレットの言葉を思い出す。

 なるほど、確かにシルバレットの吸血鬼を退ける力は守り神のそれだ。きっと村の人々はシルバレットが機嫌を損ねないように彼女を崇めたのだろう。シルバレットの身の回りの世話も、彼女が自分の手でできることさえも全て誰かがやったはずだ。

 シルバレットの顔がわずかに顔を上げる。遠慮がちにアルヴェスの瞳を青い瞳が捉えた。

「この街に来て、私と普通に接してくれる人に出会いました。私が何かしようとしても止めない人に出会いました」

 シルバレットの手がアルヴェスへ伸びて、彼の服を掴んだ。

「これは私のわがままです。わがままで、私の本心です」

 彼女の顔が完全に前を向く。涙に濡れた瞳の奥が真っ直ぐにアルヴェスの瞳を射貫く。

「まだ、ここにいたいです」

 アルヴェスは動かない。シルバレットの瞳を見つめてただ沈黙する。

 どこまでも真っ直ぐな子だ。

 どんな状況に陥ってもそれだけは変わらない。アルヴェスがシルバレットの立場なら大人しく馬車に乗っていたところを、彼女は自分の意志は曲げなかった。

「うん。でもそれに答える前に――」

 アルヴェスは自分の服を掴んでいるシルバレットの手を取って彼女の膝の上に戻した。

 それから、指を三本立てる。

「まず、シルバレットが勘違いから直していこう」

「勘違い……?」

 シルバレットが首を傾げる。

「まず一つ。あれは完全に事故だ。相手は酔っ払っていて、俺を殴ろうとしていたところを体勢を崩して偶然シルバレットのいる方向へ倒れてしまった」

「けど、相手の腕を消してしまったのは事実で……」

「うん、確かにね。けどシルバレットがあそこにいなくても、きっとルドーは机の上にあった銀食器に触れていたはずだ」

 アルヴェスとシルバレットは食事中で、机の上には銀のフォークやスプーンが置いてあった。酔っていたルドーがその食器たちを器用に避けるのは考えにくい。シルバレットが彼の腕を消し飛ばさなかったとしても、指の一本や二本自分で灰に変えていただろう。

「それと二つ目。君のお願いは全然わがままじゃない。あの朝に俺から言ったはずだ」

 シルバレットを家に泊めた朝、アルヴェスは自分の意思で家での生活を許し、シルバレットはそれを受けた。

 シルバレットから出て行くならともかく、彼女がアルヴェスの元にいる許可を得る必要は全くない。

「少なくともこっちから出て行かせるつもりはないよ。好きなだけいればいい。その分、家も店も賑やかになるからね」

「……ありがとうございます」

 頭を下げようとするシルバレットだったが、アルヴェスはそれを制して更に続ける。

「そして最後。少し判断を急ぎすぎだ。まだ一つ目の提案しかしてないだろ?」

「え、一つ……?」

 アルヴェスは二本指を立てた。

「二つ目の提案だけど……、今までと変わらない生活をしよう」

 この店で働いて、街中をぶらぶらして、アルヴェスの自宅に帰る。

 出会ってまだ三日で今までと変わらないというのは少しおかしいかもしれないが、ここにいることを選んだシルバレットにとって、この生活こそが今までと変わらない生活のはずだ。

 アルヴェスは手をひらひらとさせて笑う。

「ま、ファミリーに目をつけられたのは確実だし、きっと問題も出てくる。そういうのはその場で考えることにして、できるだけいつも通りの生活を送る。俺にファミリーをどうこうする力はないし、提案できるものはこれが限界なんだ。だから――」

 シルバレットの方に目線をやって、気づく。

「あ、あれ? ごめん、何か悪いところがあったかな?」

 ぽろぽろと涙を流すシルバレットを見てアルヴェスがあたふたしていると、シルバレットは慌てて制服の袖でぐしぐしと目元を拭った。

「ち、違いますっ。その、ここまで親切にされても何も返すものがないと申し訳なくて……」

「いや、それは――」

 必要ない、と言おうとして口を閉じる。

 ただの善意だけではシルバレットは納得しない。それはこれまでの彼女を見れば分かる。村で周りの人間すべてに崇められるような生活を送っていたからか、彼女は彼女自身でも分からない程、無意識に相手と対等な関係を築こうとしている、というのがアルヴェスの推理だ。

 ならばここはシルバレットに何か対価を課すのが最善の手で、アルヴェスはどうしようかと頭をひねる。

「――あ」

 そして、一つ思いつく。

 シルバレットにとってこの対価はあってないようなものだ。きっとこの言葉を口にしたら彼女は戸惑うだろう。そして、それを思いついたアルヴェスでさえも内心で戸惑っていた。

 それに憧れを抱いていないといえば嘘になる。彼が産れてから今に至るまで持っていなかった存在なので、当然といえば当然だ。しかし対価という言葉を盾にそれを要求するのは違うのではないか、と自問すると出かけた言葉も下がっていくのを感じた。

 そんな時、悩んでいるアルヴェスを見かねたシルバレットが口を開く。

「この待遇に見合う事なら、私はなんでもします」

 土下座をしろと言ったら本当に土下座をしてしまいそうなシルバレットを見て、アルヴェスはいよいよどうしようか迷う。

 この要求は自分がシルバレットに提示したものに見合っているのだろうか。いや、見合っているはずだ。そう信じたい。私情が挟まっているのは否めないが、きっとここを逃せば自分に機会(チャンス)は二度と来ないことは理解できた。

 その言葉は、意外にもすんなり出た。

「俺の友人になってほしい」

「――友達?」

 シルバレットがぽかんとした顔をする。そしてその言葉が気遣いでも冗談でも無いことを理解すると、すぐに表情を引き締め直した。 

「俺ってこんなんだからさ、友人って言える人がいなかったんだ。だから、対価って言われてもこれくらいしか思いつかなかった」

 対価というより、アルヴェスの望みに近かった。

 故郷を飛び出して、この街に来て、自分の理想の場所を見つけたアルヴェス。しかし友人だけは終ぞできることはなかった。

 寂しいとは思わなかった。欲張っても得をしないことは分かり切っていたし、自分の場所を守る事で精一杯だったからだ。

 しかし、興味はあった。

 シルバレットと自身が似てるとはアルヴェスは思っていない。境遇も、抱えている悩みも、何もかも違う彼女と自分を一括りにするなんて失礼もいいところだ。

「けど」

 友人とは、友達とは、そんな一括りにできない存在を繋ぐ何かだとアルヴェスは思っていた。

「そんな関係を持てる人がいたら、きっと楽しいと思うんだ」

 あやふやで、あまりにも拙い言葉。

 しかしシルバレットがアルヴェスの事を彼女なりに理解するには十分だった。

「アルヴェス」

 シルバレットが立ち上がる。アルヴェスは無意識に、申し訳なさそうに頭を下げるシルバレッを脳裏に思い浮かべて息を詰まらせる。しかし、

「……?」

 差し出された手を見てアルヴェスは疑問符を浮かべる。

「握手、です」

 シルバレットは言った。

「私も友人と呼べる人はいませんでした。あなたの数十年に比べれば少なすぎる年数ですけど、あなたの言いたいことは理解できます。だから――」

 ずい、と彼女の右手が近くに寄せられる。

「友人として、握手を」

 それはあの日の朝に似ていた。

 アルヴェスの自宅にシルバレットが住むことになって、それの合図のように交わした握手。

 それと同種の握手を、アルヴェスは求められた。

「……いいの?」

「はい」

 シルバレットは僅かに口元を緩める。

 これではまるで立場が逆だ。

 アルヴェスは立ち上がると、差し出されているシルバレットの右手に自身の右手を重ねた。

 緩く力を入れると向こうも少しだけ力を込めてそれに応える。

「友達、か」

「はい、友達です」

 長生きもしてみるものだと思う。一生叶わないと思っていたものがあっさりと叶ってしまった。

 気持ちの良い気分のままに、アルヴェスははじめての友人の名を呼ぶ。

「シルバレット」

「はい」

 問題は依然山積みだ。そしてこれからも問題は出てくるだろう。

 けれど今は、そんなことはどうでもよかった。

「これからもよろしく」

「はい。友人として、よろしくお願いします」

 寝床があって食事が取れる場所、というアルヴェスが描いた理想の環境。そこに友人という存在が追加されている事にアルヴェスが気付くのに、そう時間はかからなかった。

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