8 銀の力
問題はその日の夜に起きた。
「これは右奥のお客さん。こっちはその隣ね」
「分かりました」
出来上がった料理をシルバレットと手分けして運んでいく。
視界の隅で銀色が右へ左へと動くのを確認しつつ、アルヴェスも辿り着いた机に料理を置いてカウンターに戻る。
今夜も客入りはいい。その分仕事が多くなるが、シルバレットもいるなら問題ないだろう。
カウンターに残った料理も残りわずかで、シルバレットとアルヴェスが後一度運べば休憩時間というところだった。
そんな時、
「アルヴェスさん、お久しぶりです」
背後から声がかかる。アルヴェスはその声の主が分かった瞬間、ぴたりと動きを止めた。そして機械じみた動作で振り返る。
「確かに久しぶりだね、アルター」
「よかった。忘れられてたらどうしようかと思いましたよ」
アルターと呼ばれた男は、革手袋をつけた右手で大袈裟に胸を撫で下ろす。しかしその顔は笑顔だ。
アルヴェスと同じくらいの背丈の男だった。帽子の下の茶髪を撫でながら、アルターは疲れたようにため息を一つつく。
「いつもの店が満席でして。今回はちょっとした話も兼ねてここに来たんです」
アルターがそう言い終えると同時に、カウンターにシルバレットが戻ってくる。
アルヴェスが誰かと話しているという珍しい光景を目にしたからか、シルバレットは分かりやすく首を傾げた。
「アルヴェス、こちらは……?」
「こいつはアルター。俺の知り合い」
「知り合い……」
シルバレットがじっとアルターを見つめる。そして何かに気づいたのか、アルヴェスの耳にぎりぎり届く声量で言った。
「もしかして、吸血鬼ですか?」
「うん。よく分かったね」
口ではそう言いつつも、実際アルタ―の恰好には不思議な点がいくつかあった。
店内に入っても外さない革手袋、折りたたんで腕にかけてあるコートに、今日は暑かったはずなのに長袖を着ている。今が夜ではなく昼であったならその違和感は確信に変わっていたはずだ。
アルタ―はアルヴェスの背後からこちらを見てくるシルバレットに向かってにこりと微笑むと、手近なカウンター席に座った。カウンター周辺が空いているのをいいことに、自分が腰を下ろした席の隣の席にコートや帽子をどさりと置く。
「ああ、お仕事中ですよね? なら、休憩時間にでもお話ししましょうか。あと、お酒ください。喉渇いちゃって」
厨房の入り口付近の机に置かれた料理を見て、アルタ―はそう言って笑った。
「いやぁ、血が飲めないとどうしても飲み物に凝っちゃいますね」
グラスに注がれた黄金色の液体を飲み干してアルターはふぅ、と息を吐いた。
「アルヴェスさんは飲まないんですか?」
「まだ仕事が残ってる」
カウンター席には三つの人影が並ぶ。
アルターとシルバレットに挟まれたアルヴェスは、居心地が悪そうに椅子を少し後ろに引いた。
アルターは酒の余韻に浸りながら話を続ける。どことなく機嫌がいいのは勘違いではないだろう。
不意に話の矛先がシルバレットに向いた。
「それと、シルバレット、だったかな? まさかこんな可憐なお嬢さんがいるとは思ってませんでした」
「そ、そうですか……。その、アルヴェスの知り合い、なんですよね?」
「ええ。彼がこの街に来たときに真っ先に声をかけたのが私だったんですよ」
「といっても、話の内容はファミリーへの勧誘だったけど」
アルヴェスがパンを無心で咀嚼しながら指摘する。
「ファミリー?」
「ああ、シルバレットにはまだ教えてなかったか」
疑問符を浮かべるシルバレットに説明しようとアルヴェスが口の中のパンを飲み込む。しかし先にアルターが得意げに口を開いた。
「ヴァンパイアファミリー。一言で言えばこの街の吸血鬼が集まって結成した組合みたいなものです」
「チンピラ吸血鬼の集まりさ」
「そんな軽いもんじゃないですよ。裏社会を牛耳る闇組織です」
「……えっと、悪い組織なんですか?」
シルバレットの問いに今度はアルヴェスが応じる。
「悪いといえば悪い。やってることは人間のファミリーと同じだね。吸血鬼達の場合は公の場に出ることができない奴が殆どだから、基本的に姿は見せない」
仮に厚着をして太陽から身を守っても、許可なくこちら側にいる事がバレたらただではすまない。ヴァンパイアファミリーという名前は知られているものの、構成員の殆どが謎に包まれているのはその為だ。
「ま、私は許可を取ってこっちに来てるので、こうして酒を飲めるわけです」
からん、とアルターの手に持ったグラスの中の氷が音を立てた。
「さて、本題に入りましょうか」
アルヴェスとシルバレットが出された料理を半分ほど食べ終えた頃、アルターは何度も傾けていたグラスを置いた。
「アルヴェスさん、ファミリーに入りませんか?」
「断るって前に言ったはずだけど」
「知ってます。けど今回は少し状況が変わりまして」
そこまで言ってから、アルターは声を潜めた。
「最近、吸血鬼が殺されてるんです」
「……また殺しか」
クーリエを思い出してアルヴェスはこみ上げてきた感情を鎮めるように水を一気に飲み干した。シルバレットも僅かに表情が暗くなるが、アルヴェスは気付かないふりをする。
「ファミリーの構成員も何人か殺されてて油断できない状況です。そしてボスは、ファミリーの外に犯人がいると思っています」
「だからファミリーに入って身の潔白を証明しろと?」
吸血鬼が殺されるのは、人間が殺されるのと同じくらいによくある話だ。
吸血鬼同士の争いは勿論のこと、吸血鬼を恨む人間によって半ば相討ちのように殺されることもある。
しかしどんな状況であれ、アルヴェスの解答は決まっていた。
「嫌だよ。争いに俺を巻き込まないでくれ」
「……まあ、そう答えるとは思ってましたよ」
アルターは酒を呷るとため息をついた。
「これ、ファミリーに所属してない吸血鬼に言って回ってるんですよ。あなたと同じ答えを言った方も何人かいました。こちらから何かをする訳ではないので安心してください」
ファミリーに入ることを強制する気はないと伝えて、アルター話を打ち切るようにグラスをぐい、と傾けた。
「けど用心はしてくださいね。ファミリー内でもボスの後継争いとか色々問題が山積みで、望まない形で巻き込まれる可能性もありますから」
「忠告どうも」
形だけのお礼を言ってアルヴェスは料理を全て完食する。随分話し込んでしまったが、あと少しすれば追加の注文で手が挙がる時間帯だ。
シルバレットにも声をかけようとアルターとは反対方向に顔を向けたアルヴェスだったが、
「おいアルター! 話はまだ終わらねぇのか!」
突然近くで大声が響き、アルヴェスは再びアルターの方へ顔を向けた。
「……あ」
無意識に声が漏れる。
「ルドー、飲み過ぎだ」
「んだよ、こちとらお前のわがままに付き合ってんだぜ?」
アルターに窘められるルドーと呼ばれた男は、顔を赤くしてやや呂律のまわらない口でそう言った。
馬車乗り場で見たあの吸血鬼だった。どうやらファミリーに入ったらしい。
アルターが困った笑みをアルヴェスに向ける。
「ははは、私一応先輩なんですけどねぇ」
「なんらよぉ、酒が入ればそんなん関係ねぇだろぉ?」
相当飲んでいたらしく、ルドーはぶつぶつと何かを呟いていたが、アルターの隣に座るアルヴェスに目を向けた。
「なんだぁ? お前がアルヴェスか?」
「ああ。悪いね、待たせちゃったみたいで」
アルヴェスは謝罪の言葉を口にするが、当の本人はすでにアルヴェスに興味をなくしたようで、彼の後ろの人物に焦点を当てていた。
「おう、お前。子供がこんなところにいちゃだめなんだぞぉ」
「ルドー、人間に迷惑はかけるな」
アルターが先輩のような口調でルドーを叱るが、ルドーにはまるで聞こえていない。
「出ていかれぇなら俺がつまみ出してやらぁ!」
ルドーがカウンターに乱暴にグラスを置く。
「あ、あのっ……」
シルバレットは怯えた様子は無かったが、困ったようにアルヴェスへ視線を送る。接客は慣れていても酔った客への対応は分からなかったようだ。
「あー、ちょっと失礼」
とうとうアルヴェスも腰を上げてルドーの右腕を掴む。それなりに力を入れた為か、ルドーは酔っ払っていることもあって大袈裟に「いてっ!」と叫んだ。
「店で問題は起こさないように。アルター、こいつを一度外に――」
出そう、と言うはずだった言葉は、途中で途切れることとなった。
「なにしやがる!」
怒気をにじませた声が耳に届く。直後、右手が振り払われ、ルドーの右腕が高く上がった。
アルヴェスが想像したのは自分の顔面目掛けてとんでくる拳だった。しかしそうなったとしても、それを躱してアルターにルドーを押し付ける事は可能だと判断して、アルヴェスは拳が飛んでくるのを待った。
しかし、アルヴェスの予想通りにはならなかった。
「おっと、っと……」
相手はもともと呂律が回らない程酔っ払った客だ。
右腕を振り上げた拍子にバランスを崩し、その体が一歩、二歩と後退する。シルバレットのいる方向へ。
嫌な予感が全身を駆け巡る。
「おい、避け――」
そして、その予感は的中した。
バシュン! と何かが弾ける音が響く。
この時、なにが起きたのか瞬時に理解できたのは当事者を含めて誰もいなかっただろう。
「……あ、れ?」
ルドーの困惑に満ちた声が響く。それもそのはずだ。彼の右腕が無くなったのだから。
「……なっ」
背後でアルターが息を呑む気配を感じる。
床に散らばった灰とだらりと垂れる服の袖を、ルドーは信じられないものを見るように見つめた。そして数十秒じっくりと沈黙した後、
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
店中にルドーの絶叫が響く。
「な、なんっ、俺の腕が!」
状況が理解できずに狼狽えるルドーにアルヴェスが声をかける前に鋭い声が飛ぶ。
「ルドー! 行くぞ!」
声に反応して振り返れば、既に店の入り口付近にアルターが立っている。人目につくことを恐れたのだろう。
「ま、待ってくれアルター!」
客がどよめく中、ルドーはアルターと一緒に外に走っていく。
完全に二人が見えなくなる時、アルターがこちらを見ていた。その瞳から全てを察する事はできなかったが、少なくともアルヴェスとシルバレットに何かしらの危機感を抱いているのは確かだった。
食い逃げか、と幸運にも勘違いしている客を横目に、アルヴェスは少女の元へ向かう。
「シルバレット」
「…………」
椅子に座ったシルバレットは俯いたままだった。ただ、膝に乗せた両手が微かに震えていた。
「大丈夫?」
声をかけると、シルバレットの肩がびくりと震えた。潤んだ瞳がアルヴェスに向けられる。
「あ、あの、違うんです。避けようと思ったけど間に合わなくて、それで……」
「大丈夫。あっちも酔ってたんだ。結果として相手は腕を失ったけど、事故だよ」
「こ、こんなはずじゃ……。これじゃあまるで――」
「シルバレット」
強く少女の名前を口にする。その言葉の先はなんとなく言わせてはいけないような気がしたからだ。
「今日はもう休んでて。後は俺一人でどうにかなるからさ」
シルバレットの手を引くと彼女は大人しく立ち上がる。また動揺しているのか、バックヤードへ向かうその足取りは覚束ない。
厨房の入り口ではガレイが待っていてくれていた。
「ガレイさん、シルバレット頼みます」
「おう。ひとまず休憩室で寝かせておく」
驚くほど落ち着いている様子のガレイに促されて、シルバレットは厨房の奥の休憩室に消えていった。
店内は驚くほどにいつも通りだった。
消し飛んだルドーの右腕がカウンター側で見えにくかったり、喧騒が彼らの会話をかき消してくれたりと、幸運に幸運が重なった結果だが、アルヴェスは釈然としなかった。
銀の呪いの少女と出会って、クーリエが死んで、吸血鬼の腕が消し飛んだ。
とても三日で起きたとは思えない情報量に思わず目眩がしてしまう。
しかし時間は止まらない。今もアルヴェスの視界には注文をするために手を挙げる客が映っている。
(ひとまず、大丈夫だ)
暗示のようにその言葉を自分に言い聞かせてアルヴェスは歩き出す。何もかも大丈夫じゃないが、シルバレットの事やこれからの事を考えるより機械的に足を動かしていたほうが断然楽だった。
「ああ、本当に。今は、大丈夫なんだ」
その日の夜は、店員の独り言が多かったという。