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吸血鬼と銀色少女  作者: 吾亦紅
6/22

6 日常の欠落

「この皿はこっち。フォークはここ。殆どは厨房の外で働く事になると思うけど、覚えておいて」

「分かりました」

 『鶏の尸亭』にシルバレットが加わる。それは言い換えれば、アルヴェスに後輩ができるということだ。

 この街に来てからろくに知り合いもできなかったアルヴェスにとって、後輩ができるというのは刺激的な変化といえる。そして難しいことでもあった。

「厨房はもういいかな。あとは……」

「皿洗いが残ってるぜ」

「ああ、忘れてた」

 料理の仕込みをしているガレイの指摘を受けて、アルヴェスは厨房の外に向けていた足を再度厨房内に向ける。

 無意識にやっている事を意識的にやっているような違和感。それは初めて感じるもので、教えるという行為をしてこなかったアルヴェスにとって後輩の指導は中々骨が折れるものとなった。

「クーリエがいればなぁ」

 思わずそう呟いてしまう。

 彼女は人見知りの激しい女性だったが、誰にでも優しく接することができる人物だった。彼女ならきっとシルバレットともうまくやっていけるだろう。

「……ん?」

 と、そんな事を思っていた時、不意に服の裾を引っ張られた。向けた視線の先にはシルバレットの姿。

 店の制服に身につけた彼女は、後頭部に纏めた髪を揺らしながら、

「私、がんばるので」

 おや、とアルヴェスは思う。

 シルバレットと出会って、彼女がここまで強い意思を持って何かを言った所を見たことがなかった。それに心なしか表情がやる気に満ち溢れている、気がする。

 彼女がどんな意図でその言葉を口にしたのかはアルヴェスには分からなかった。しかし真っ直ぐなシルバレットが更に真っ直ぐに言葉を口にしたのは中々新鮮な光景だったのは事実で、

「うん、期待してるよ」

「……はい」

 アルヴェスの言葉に、シルバレットは少し残念そうな顔をした。



 その日の夜、シルバレットは朝の発言を体現するかのような働きを見せた。

 今日の『鶏の尸亭』の客入りは多く、店内は足の踏み場もないくらいに混雑している。

 休む暇もなく足を動かすアルヴェスだったが、彼の視界の隅にはいつもと違う銀色が光っていた。

 制服を着たシルバレットは人混みに躊躇する事なく飛び込んでいくと、人混みに紛れた客から注文をとっていく。

「嬢ちゃん、こっちもいいかい?」

「はい、今行きます」

「じゃあ次こっちな!」

 シルバレットは無表情を崩さない。しかし黙々と作業をこなす彼女もまた魅力的で、シルバレットという新人見たさに手をあげ始めている客もちらほらと出始めてくる。

 シルバレットはその全てに応じて必要な情報だけを聞き取り、とても新人とは思えない敏腕さをアルヴェスとガレイに見せつけていた。

「ははは! 初めてにしちゃ上出来じゃねぇか!」

「慣れてますね」

 ――「私、頑張るので」

 朝に聞いた言葉を思い出す。これほどシルバレットが接客に慣れていることは予想外だったが、自身の発言を証明するかのような働きぶりは律儀なシルバレットらしい。

 丁度料理を届けて厨房に戻ってきたシルバレットに向けてアルヴェスはひらひらと手を振った。

「おつかれ。ガレイさんが上出来だってさ」

「そうですか。よかったです」

 ふう、と安心したようにシルバレットは息を吐く。

 彼女の働きもあって、客席もだいぶ落ち着いてきた。少なくとも手をあげる客は今のところいない。やはり人手が一人から二人に増えると随分と楽になる。

「俺たちも今のうちに何か食べよう。また忙しくなるから」

「分かりました」

 頷いて、シルバレットは空いているカウンター席に座る。アルヴェスはその隣に。

 ガレイの「適当に作るぞ」という言葉に頷いて、アルヴェスは疲れを吐き出すように大きく息を吐いた。

 シルバレットは依然無表情だった。特に話すこともなく、アルヴェスも黙ってしまうと、二人が座っている場所だけ周りの喧騒から切り離されたように静かになる。

「……あの」

 不意にシルバレットが口を開いた。

「……気になりますか?」

「――あ。ああ、ごめん」

 気まずそうなシルバレットの視線に、アルヴェスは無意識に彼女の顔を凝視していたことに気づく。

 視線を水の入ったグラスに向けながらアルヴェスは言った。

「疲れてるのかなと思ってさ。いや、疲れないほうがおかしいんだけど、慣れてるとはいえ初日なんだ」

 初めてきた街、新しい環境。シルバレットにとっては目まぐるしい変化だろう。

 無理はしていないか、と言外にそう尋ねると、シルバレットは首を横に振った。

「いえ、大丈夫です。むしろ楽しいので」

「へぇ、俺と違って働くのが好きなんだね」

 その何気ない言葉にシルバレットの視線がふっと下を向いた。

「……そう、ですね。村にいた頃は何もさせてくれなかったので」

 しなかったのではなく、させてくれなかった。

 僅かな言葉の違和感に、アルヴェスはこれ以上踏み込んでいいものか少し迷う。 

 およそ友人と呼べる存在がいないアルヴェスにとって人との距離感を測るのは難しい。それも呪いという稀有な力を持った少女の言葉なら尚更だ。

 場を悪くしていく沈黙を破るように、アルヴェスは無意識に口を開く。

「そっか。これからはもっと忙しくなるから、きっと楽しくなるよ」

 無責任な言葉だと思う。

 しかしシルバレットはそれを聞いて、少しだけ口元を緩ませた。

「はい、これからも頑張ります」

「うん。といっても、クーリエも復帰すればかなり楽になるけどね」

 そんな話をしていると、二人が座る場所にも喧騒が戻ってくる。

 食器がぶつかる音、誰かの笑い声。さっきまで遠い所にあると思っていたものがすぐそこにある。

 今なら踏み込めるんじゃないか。

 ふとそんな事を思う。

 先程のシルバレットの発言の違和感。迷った末に踏み込まなかった話題に、この喧騒に乗れば訊けるんじゃないかとアルヴェスはゆっくりと口を開いこうとして、

「ありゃ、あんたら知らねぇのかい?」

 その言葉が自分に向けられたものだと気づいてアルヴェスが振り向くと、そこには酒の入ったグラスを持った男がいた。アルヴェスはその男に見覚えがあった。この店の常連客だ。

 何を、と聞こうとアルヴェスの口が動くが、男はそれを待たずして答えを言った。

「この店に前からいる嬢ちゃんだろ? 昨日死んだぞ」

「……死んだ?」

 心臓がどくんと強く跳ねた。

 真っ先に思い浮かんだのは事故。しかし真面目な彼女のことだ、事故に遭うような場所には行くだろうか。自殺というのも考えにくい。

 予想が浮かんでは消えていく。同僚が死んだという事実に理解が追いつけていない自分を自覚する。

 アルヴェスが顔を上げたのは服を引っ張られた時だった。

「大丈夫ですか……?」

「……大丈夫。少し悲しくなっただけだよ」

 心配そうなシルバレットを安心させるように笑顔を顔に張り付ける。視線を目の前の男へ。

「死んだってどういうこと?」

「ああ。夜警団が話してるのを聞いたんだ、女が路地裏で殺されてたってな。なんでも右手が無いとかで不気味だったらしい」

「それがクーリエである根拠は?」

「店の制服を着てたそうだ。思い切って聞いてみたら、この店の制服と同じだったぜ」

 否応なしに事実を認めてしまう。

 この店で、シルバレットと同じ制服を持っている人間は一人しかいない。 

 クーリエは殺された。理由は分からないし、分かりたくもない。ただ殺されたという一つの事実だけでアルヴェスには十分だった。

 アルヴェスは腰を上げる。料理には手をつけていないが、そろそろ追加注文が入る時間だ。

「シルバレットは食べてからでいいよ」

「あ、あの、アルヴェス――」

 何か言おうとシルバレットが口を開くのが見えたが、アルヴェスは見えないふりをして歩き出す。

 大丈夫だ。

 自分に言い聞かせる。口の中が妙に乾いていようが、心臓の鼓動が乱れていようが、やるべき事は変わらない。

 視界の端に挙げられた手を捉える。

 アルヴェスは覚束ない足取りでその客のもとへ急いだ。

 


 何事もなく帰宅したアルヴェスはソファに深く腰掛けた。口からはため息が漏れる。

 思い出すのは先程の男との会話。

「死んだのか」

 疑問のような、事実確認のような言葉は真っ暗な部屋の天井に消えていく。 

 同僚が死んだ。友人とはいえなかったが、良好な関係を築けていた人物が唐突に帰らぬ人となった。

 はじめてのことだった。ハーフヴァンパイアであるアルヴェスにとっては尚更体験した事がなく、どう反応していいかも分からない。 

 気丈に振る舞うべきか、それとも泣き崩れるべきか。

 悲しみの表現に現実味が湧かない。口では悲しいと言ってみたが、心にぽっかりと穴が空いたようだった。

 アルヴェスがこの日何度目かのため息をついてると、背後から物音がした。音の正体は勿論シルバレットだろう。

 ゆっくりとこちらに近づく足音にアルヴェスは言葉を投げる。

「もう寝たほうがいいよ。明日も早いからさ」

 アルヴェスが振り向かずに答えると、シルバレットは考えるように沈黙した後、小さく呟いた。

「……悲しいんですか?」

「…………」

 アルヴェスは答えない。シルバレットも、もう何も言う気がないのか、一礼するような気配がした後、階段を上っていく音が耳に届いた。

 再び沈黙が訪れる。無理に励ましの言葉をかけなかったのは彼女なりの気遣いなのだろう。

「寝よう」

 自分の行動を口に出してソファに横になる。

「明日も早いんだ」

 シルバレットに言ったような言葉を自分に言いつけて、アルヴェスはゆっくりと目を閉じた。

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