4 非日常への歓待
『鶏の尸亭』の賑わいは最盛期を迎えていた。
この頃の店内は鶏がひしめく飼育小屋に似ている。
空いている席は既になく、全ての丸机に料理が置かれている。そしてそれを囲む多くの客。
各所で笑い声が響く店内で、アルヴェスは忙しそうに歩き回っていた。
空になった食器を厨房に運び、料理が盛り付けられた皿を持って机まで運ぶ。この時間帯は休憩が出来ず、机と厨房を何往復したかアルヴェスは覚えていない。
「あ……、アルヴェス!」
無心で料理を運んで厨房に戻ろうとした時、遠慮がちに、しかししっかりとした声量で自分の名前を呼ばれて、アルヴェスは振り返った。そこには見慣れた外套姿がある。
「ああ、シルバレット。ここの料理はおいしいから、遠慮せずに食べてね」
「あの……でも、お金が」
「気にしなくていいよ。明日からここで働く訳だし、歓迎されてると思ってさ」
「そうそう! こっちも人手が欲しくてよ。嬢ちゃんが来てくれて助かったぜ」
アルヴェスの言葉を聞きつけたのか、ガレイが厨房から顔を出して笑う。しかしその手はしきりに動いていて、相変わらず器用な人だ、とアルヴェスは苦笑する。
「で、でも、私にできるでしょうか」
働き口としてアルヴェスが『鶏の尸亭』を提案して、それを了承したシルバレットだが、彼女がこの街に来たばかりなのは変わらない。
店内にひしめく人々にシルバレットが心配そうな表情をしていると、アルヴェスはその肩を優しく叩く。
「大丈夫。いざとなれば助けるし、俺の他にも店員はいるからね」
それに、といってアルヴェスは店内を見渡す。
酒に料理と、夜の時間を堪能している客は誰もが楽しげで、多少肩がぶつかっても気にしている様子はない。
「それに、酒をぶちまけても喜ばれそうだ」
「……そう、ですね」
アルヴェスにつられてシルバレットの口元が少しだけ緩む。案外大丈夫そうだ、と思いつつ、アルヴェスはシルバレットに手を振って仕事に戻る。
(とはいえ……)
今日は特に忙しい、と歩きながらアルヴェスは思う。まるで二人分の仕事を一人でこなしているようだ。
「あ」
と、そこまで思ってから、アルヴェスは丁度完成した料理を運んできたガレイに尋ねる。
「そういえば、クーリエは?」
アルヴェスが同僚の名を口にすると、ガレイもアルヴェスと同じ事を思っていたようで、
「それがよ、今朝から来てなくてなぁ。真面目な奴だからサボりではないと思うんだが、風邪でも引いたかもしれねぇな」
「なるほど」
シルバレットに少し似た、恥ずかしがり屋の女性を思い浮かべて、すぐに消す。つまり今夜はアルヴェスが一人でこの料理をさばかなければならない。
「忙しくなりそうだ」
そう言って、アルヴェスはいつもより一層気合を入れて料理を運び始めた。
夜も更けてきた頃、最後の客が帰ったところで、『鶏の尸亭』の営業は終了した。
「片付けも終わったから帰っていいぞ」
「はい、おつかれさまです」
厨房で皿を洗い終えて、ガレイから帰宅の許しを得たアルヴェスは、椅子に座って一息つくガレイに挨拶をしてから厨房を出る。
カウンターの脇に設置されたバックヤードと客席を繋ぐ通路を通って客席へ。あくびを一つして、それからシルバレットの事を思い出してカウンター席へ視線を移す。そして、
「……な」
思わずそんな声を漏らす。
そこには当然シルバレットがいた。料理に満足できたのか、うつらうつらと船を漕ぐ姿はそこらの少女となんら変わらない。
しかし問題は、彼女から漂ってくる酒精だった。
思わず厨房へと叫ぶ。
「ガレイさん! シルバレットに酒出したの誰ですか!」
「ん? ああ、あんだけ混雑すると、違う客が違う席に酒を置くなんてしょっちゅうだからなぁ」
聞いておいて一番知っている事実を言われて、アルヴェスは一度ゆっくりと深呼吸する。
シルバレットに近寄ると、その顔が僅かに赤くなっているのが分かる。漂う酒精の薄さからみて、口にしたの酒は少量だろう。
しかし少量とはいえ酒は酒。おまけに夜遅くまで待たせられれば眠気と相まっていい睡眠導入剤になったはずだ。
「シルバレット、歩ける?」
「……んぅ」
寝ぼけ眼でシルバレットが返事ともいえぬ音を発する。答えは聞かなくても分かった。
アルヴェスは頭を下げる。
「ごめん、先に相談しておくべきだった。宿のことなんだけど――」
「んん……」
「おっと」
シルバレットの体勢がぐらりと傾き、椅子から滑り落ちそうになった所をアルヴェスが支える。これでは言葉の受け答えも無理だろう。
「いいじゃねぇかよ。泊めてやれ」
「……そう提案するつもりでしたよ」
厨房からにやにやとこちらを見てくるガレイに、アルヴェスは反論のしようもなく項垂れた。
「仕事が終わったら聞こうと思ってたんです」
「でも仕事終わりって夜だろ? 宿はもう閉まってるし、そんなの、はいって答えるしかねぇじゃねぇか」
「それは……、そうなんですけど」
良い答えが見つからない。
事実、アルヴェスはシルバレットが宿屋に泊まるのを嫌がった時には自宅に彼女を泊めるという選択肢を考えていた。
宿以外に彼女が生活できる場所はないし、宿がダメだったら必然的に誰かの家に泊まるしかないのだ。
この街に知り合いのいないシルバレットなら、唯一知り合ったアルヴェスの提案に頷いてくれる――などと少々汚い提案だったが、その提案もせず、もっといえば彼女の了承を得ずに自宅へ招くのは幾ばくかの抵抗があった。
決まりきった結論に踏み切ることができずにアルヴェスがシルバレットを支え続けていると、いつのまにか後ろに立っていたガレイに背中を叩かれる。店内に快音が響いた。
「ちょ、痛いですよ!」
「細けぇことはいいんだよ。さっさと嬢ちゃん寝かせてやれ。店も閉めなきゃならんしな。説明なんて明日の朝にでもすりゃいいだろ」
そう言うだけ言われ、アルヴェスは反論の時間も与えられずに店を追い出された。腕の中ではシルバレットが小さな寝息を立てていた。
理由もなく空を見上げる。今日は満月で、石畳の道を淡い光が照らしてくれている。
「……寝床があって、食事が取れるならどこでもいい。だろ?」
アルヴェスの問いかけにシルバレットが答えることはなかった。