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吸血鬼と銀色少女  作者: 吾亦紅
3/22

3 一悶着

 呪いを治す方法を一緒に探す。

 シルバレットと始めた捜索だったが、問題はすぐに浮上した。

 アルヴェスの記憶通り、やはり呪いは治せないというのが常識らしい。現にどの魔術師に訊いても首を縦に振るものは一人もいなかった。

 問題というより、ほぼ詰みに近かった。

「……まだ探す?」

 通算十人目の魔術師が、申し訳ないような、困ったような表情を浮かべて立ち去っていくのを見送ったアルヴェスが諦め気味に言葉を投げかけると、彼の隣にいたシルバレットは迷う素振りを見せた。

 休日のアルレイヤは人で溢れている。そんな中から十人の魔術師を運と勘で見つけだした。幸運といってもいい。

 そしてその全て、呪いを治す術を知るものはいなかった。

 シルバレットが現実を受け入れるのは十分な人数だった。

「……あの」

 フードから青い瞳が覗く。しかしその先の言葉が紡がれることはなく、瞳も伏せられてしまう。まだ探すと言おうととしたのだろう。しかし現実に直面し、自分の行動に意味があるのか分からなくなってしまった。

 やがてぽつりと呟く。

「ごめんなさい」

「謝ることじゃないよ。これからの事を考えよう」

 仮に呪いを治す方法が見つかっても、シルバレットの置かれた状況は切迫したままだ。

 今すぐ馬車に乗って村に帰ることが不可能な以上、どこかで宿を取らなくてはならない。馬車に乗るために必要な金額より宿をとる代金の方が少ない為、然程緊急性がないように見えるが、実は急がなくてはならない要件の一つだ。

「お金はどれくらいある?」

「これくらいです」

 言いながら、シルバレットは外套の中からわずかに膨らんだ布の袋を取り出した。外套の中には彼女の腕から予想できたように細い体が見えて、腰には一本の短剣が吊るされている。護身用だろうか。

 そんな考えはおくびにも出さず、アルヴェスは彼女の手から袋を受け取る。金属が擦れる音と僅かな重みが右手にかかる。

「……うん。これくらいあれば十分。じゃあ急ごう」

「あっ、ま、待ってっ」

「うおっ」

 ぐい、と服の裾を掴まれて、アルヴェスは人混みの中で危うく体勢を崩しそうになるが、なんとか堪えると裾を引っ張ったシルバレットに目を向ける。

「どうしたの?」

「えっと、宿を取るんですか?」

「うん。この街の宿って夜はすぐに閉めるんだよ。だから、昼間のうちにとっておかないとダメなんだ」

 理由は言わずもがな、吸血鬼である。

 吸血鬼のファミリーが結成され、半ば黙認される形で今に至っている現在、人間達は極力吸血鬼との接触を避けて生活している。

 とはいえ吸血鬼と人間の区別が正確にできる訳ではない。飲食店は例外として、夜遅くに宿を取りに来る客は嫌でも疑われる。店としても吸血鬼絡みのトラブルを起こすとファミリーに目をつけられかねない。それ故に、この街の夜は意外と静かだったりするのだ。

 説明を終えると、シルバレットは初めて知った事実に納得するように頷くと、一つ疑問に思ったことを口にした。

「アルヴェスさんは」

「アルヴェスでいいよ」

「……アルヴェスは、経験したことがあるんですか?」

 先程の話から推測するに、宿を取った時にトラブルを起こしたことがあるのか知りたいのだろう。

 アルヴェスはどう答えようか考えて、

「……うん、あるよ。少し面倒だったね、あれは」

 嘘ではない。ただ、説明を省きすぎた答えではあった。しかしここで自分がハーフヴァンパイアであることを明かす必要性もなく、幼い少女に説明するにはこれくらいが丁度いいとアルヴェスが判断した結果だった。

「そうなんですか」

「うん、そうなんだ。だから急ごう」

「分かりました」

 素直に頷いてシルバレットはアルヴェスの後ろを歩き始める。人混みにも慣れてきたようで、人と人の間を縫うように歩くアルヴェスを追う足取りは滑らかだ。

 真っ直ぐではあるが、馬鹿ではないらしい。

 目的が果たせなかったという現実を受け入れる素直さ、そして切り替えの早さ。この街で生活するには真っ直ぐすぎるのは玉に瑕だが、一人でこの街を訪れるだけはある。

 彼女に対する評価を改めつつ、アルヴェスは脳内にこの街の地図を広げる。

 安くて清潔な宿はいくつかあるが、幼い少女一人でも泊めてくれるような場所となればある程度絞られてくる。

 アルヴェスは歩きながらシルバレットに提案した。

「馬車乗り場の近くにしよう。外からやってきた人向けの宿があって――」

 そう言って後ろを振り向いた時だった。

「……シルバレット?」

 彼女に向けた言葉は人混みの中にむなしく吸い込まれていく。

 見慣れた外套を被った少女の姿は無く、アルヴェスはその場で立ち尽くした。

 いなくなった。

 その事実を受け入れて、アルヴェスは直ぐに頭を回転させた。

 はぐれただけなら問題はない。だがアルヴェス達は先程まで、魔術師達に呪いを治す方法を聞いてまわっていた。

 一番最悪な展開を予想する。

 シルバレットの体に宿る呪いの話が、他の魔術師へ流れていたら?

 全ての魔術師が礼儀を弁えている訳ではない。ことアルレイヤの魔術師はむしろ、弁えていない魔術師の方が多いといえる。アルヴェスがシルバレットを一人で魔術師に会わせたくなかった理由の一つだ。

(まだ近くにいるはずだ。人が密集した場で魔法は使用できない)

 呪いを治す方法を聞いてまわっていたのはほんの少し前のことだ。そんな短時間でシルバレットを拐うために人を集めるのは難しい。ともすれば、これは個人の犯行で、きっと計画性のないものだ。

 例えるならば、歩いている少女の手首を掴んで路地裏に連れ込むくらいに単純で、すぐにバレてしまうような。

「――おい」

 幸運というべきか、シルバレットはすぐに見つかった。

 今まで歩いてきた道の脇から伸びる、路地裏に続く曲がり角の先に、壁に背をつけているシルバレットがいる。フードは剥がれ、その銀髪が露わになっている。

 アルヴェスはそんな彼女の視線の先にいた初老の男性の手首を掴んでいた。

 アルヴェスは意図的に声音に怒気を滲ませる。

「何をしている」

「あ……、いや、これはだね」

 手首を掴まれた男はアルヴェスの姿に驚き、彼とシルバレットを交互に見て狼狽えている。

 先に言葉を発したのはシルバレットだった。

「あ、あの、この人が呪いを治す方法を知ってるって……」

「へぇ、すごいね」

 言いながら男の方を見る。しかしその表情はどこか罪悪感を感じられ、視線もあらぬ方向に飛んでいる。もはや逃走という手段を選択するほどの余裕も無いらしく、ただ反対側の壁に力なく背を付けていた。

「他に何か言われた?」

「は、はい。私の髪が欲しいって」

「そっか。予想通りで安心したよ」

 やはりこの男は、シルバレットにかけられた呪いを何処かで聞いたらしい。そして銀の効果を持つという彼女の髪――手に入るものなら何でもいいのだろう――が欲しくなって接触してきた。呪いを治せるというのは、シルバレットが話を聞かずに逃げる可能性を潰すための布石といったところだろうか。

 アルヴェスはシルバレットにフードを被せると、一度自分の後ろに後退させた。必然的に、アルヴェスの視線の先には男だけしか存在しなくなる。

「一応聞くけど、本当に治せるの?」

「……無理だ」

 項垂れた男だったが、次の瞬間には顔を上げてアルヴェスの後ろのシルバレットを見つめる。

「だが、彼女の呪いはむしろ幸運なものだ。君たちが他の魔術師達に話していた事を聞かせてもらったが、その呪いは絶対に治してはならない! 彼女は吸血鬼に対する最強の切り札となる」

 男の言っていることは間違っていない。

 吸血鬼に対抗できる存在の一つ、銀。

 その銀の効果を一身に受けるシルバレットはまさしく切り札と呼ぶに相応しい。

 その血は聖水に、その髪は魔除けに、その骨は吸血鬼を切り裂く武器に。

 仮にシルバレットの存在が広く認知されれば、魔術師達がこぞって彼女の元を訪れるに違いない。

 男が息継ぎをするのも忘れて話し続ける中、不意にアルヴェス服の裾が握られる。シルバレットの右手は震えてこそいなかったが、とても弱々しい握り方だった。

 このまま立ち去るか?

 思い浮かんだ選択を首を振って取り消す。

 ここで立ち去っても根本的な解決にはならない。この男が知り合いの魔術師にシルバレットの事を話さないという保証はなく、もしかすると手段を選ばない魔術師に襲撃を受ける可能性も否定できない。

 シルバレットという存在をあの男の記憶から消すのは不可能だ。ならせめて、彼女のことを口外できないようにしなければ。

 アルヴェスは僅かな逡巡の後、ある行動に出た。

「なあ、おっさん」

「な、なんだ。言っておくが、君がどう言おうとその少女は特別なんだ。然るべき場所で然るべき使い方をするべきだ」

 なおも自分の主張を続ける男にアルヴェスは驚きを通り越して呆れてしまう。しかしその方が今は都合がいい。

 アルヴェスは後ろに手を伸ばす。そうすると当然シルバレットの外套に手がぶつかるが、アルヴェスはその先にある物を素早く抜き取った。

 そして、努めて冷たい声音を維持しながらこう言った。

「血を吸われたことってある?」

「……なに?」

 発言の意図が分からずに僅かに生じた隙。アルヴェスはそれに合わせるように右手に握った短剣を男の左肩に走らせた。

 光沢のある短剣は、鈍い光を放ちながら正確に男の左肩をローブ越しに浅く切りつけ、その刀身を僅かに赤く染める。

 一瞬の出来事に男の理解が追いついたのは、その直後だった。

「な、なにを…….!?」

「いや、無防備だったんでつい」

 驚愕、恐怖、怒り。

 様々な感情が入り混じった顔をこちらに向ける男にアルヴェスは軽く謝ると、短剣についた血を指につけてそのまま口に運ぶ。

(うへぇ、まっず)

 鉄の味が口の中に広がってアルヴェスは内心で顔を顰める。どうにも味覚は人間寄りらしい。

 しかしアルヴェスの行動による効果は十分なものだった。

「お、お前、まさか……」

 この街で生活している者ならば、吸血と呼ばれる行為の意味が分からないはずがない。

 男はアルヴェスが吸血鬼であることに気づくと、その顔を恐怖に染めて一歩後退りする。なぜ吸血鬼が人間と一緒にいるだとか、なぜ少女に触っても灰にならないだとか、冷静になれば自然と湧き出てくる疑問も今は頭から抜け落ちているようだ。

 そんな男にアルヴェスは、ダメ押しするように再びを口を開く。

「あまり日陰には入らない方がいい。そこは俺たちの領域だ。最悪、さっきのおっさんの言葉も聞かれたかもしれない」

 この街で吸血鬼に恨まれる程の不幸はない。そうやって恨まれた人間の末路は度々新聞の見出しを飾っている。

「ひっ……!」

 男は前にも後ろにも逃げ場が無いことを悟ると、その場で立ち止まって細い悲鳴をあげる。すぐ近くに多くの通行人がいる為にお得意の魔法も封印されてしまった。

 もう十分か、と内心で呟いたアルヴェスは、道を塞ぐようにして立っていた自分の体を壁際に寄せる。そして喧騒が響いてくる通りに手を向けた。

「今日はもう帰った方がいいんじゃない?」

「わ、分かっている!」

 吸血鬼の恐ろしさは十分に理解しているようで、男はアルヴェスの前を通ると、そのまま多くの人が行き交う通りの中へと消えて行った。これで当分変なことはできないだろう。そう信じたい。

 慣れない演技を終えてほっと胸を撫で下ろす。綱渡りをしているような気分だったが、なんとかうまくいった。

 そして短剣を握ったままだったことに気づき、アルヴェスは袖でごしごしと刀身をこすってから、立ち尽くすシルバレットに短剣の柄を向ける。

「ごめん。勝手に使っちゃって」

「……え。あ、大丈夫、です」

 はっと我に返ったシルバレットは短剣の柄とアルヴェスを交互に見やって、おずおずとそれを握って腰の鞘に刀身を納めた。

 小さい口から小さな声が漏れる。

「……アルヴェスは」

「うん」

「吸血鬼?」

「うん。ハーフだけどね」

「ハーフ……」

 アルヴェスの言葉を反芻すると、シルバレットは自分の手を見た。次に髪を触る。まるで自分の中の何かを確かめるように。

「私に触れても、大丈夫なんですか?」

「うん、吸血鬼といっても体は人間に近いからね。少し痺れるけど、手が灰になったりはしないよ」

 言いつつ、アルヴェスは証拠を見せるようにフードの隙間から垂れている銀髪に優しく触れた。何秒経っても、その指が灰になることはない。

「ほらね」

 手をひらひらとさせて見せたアルヴェスは、そのまま人で溢れる通りに目を向けた。本来の目的はまだ達成できていない。

「じゃあ気を取り直して、宿をとりに行こう。安くて綺麗なところを紹介するよ」

「…………」

 努めて明るく言ってみたアルヴェスだが、シルバレットの反応はあまり良くない。

 自分が置かれていた状況に気づいたのだろう。その表情はふとした拍子に泣いてしまいそうで、下がり気味の視線が更に下を向いた。

 それは当然のことだ。村にいた時には会うことの無かったであろう別種の悪意を目の当たりにすれば、誰もがどれを信じていいのか分からなくなるものだろう。

「一人は怖い?」

 シルバレットは肯定も否定もしない。しかし弱々しく握られた拳が彼女の感情を雄弁に語ってくれる。

(しかし、そうなると困ったな)

 彼女が馬車に乗車するのにかかる代金を集める為には、この街での活動拠点が必要不可欠になってくる。せめて数日間だけでも雨風をしのげる場所が欲しい。

 しかしシルバレットの心境を考慮すれば今から宿を取るのは難しい。紹介するのはアルヴェスだが、決めるのはシルバレットなのだから。

 ふと、ここまでする必要はないんじゃないか、と思ってしまう。

 善意だけを振り撒くのは危険だし、何より疑惑の種になりかねない。このままアルヴェスがシルバレットに、懇切丁寧にこの街の事を教えたところで彼女はどこかで失敗するだろう。どこかで別れるのが一番な選択なのだ。

(まあ、しかし――)

 目の前で俯いている少女を見る。

 呪いを受けているが故に、恐らくは村で孤立したであろう少女。それが嫌悪であれ畏怖であれ、彼女はこうして村を飛び出して、右も左も分からないこの街にやってきた。

 その彼女からどう見えているのかは分からないが、少なくともアルヴェスが吸血鬼である事を知ってもなお逃げ出さずにその場に立ち止まってくれた人は数えるほどしかいなかった訳で。

「――よし」

 方針が決まる。少なくとも、今は別れる時じゃない。

 アルヴェスは一度大きく伸びをすると、それに釣られて顔を上げたシルバレットの瞳を見る。疑いは、無い。

「宿は一度保留にしよう。他にもやることはある」

「……?」

 首を傾げるシルバレットに、アルヴェスは言った。

「働く場所を決めてしまおう」

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