2 変わり者の提案
雪のような少女だと思った。
陶器のような白い肌、澄んだ青い瞳。そして、きらきらと煌めく銀髪。
太陽に当たっていればいずれ溶けて無くなってしまいそうな儚げな印象を与える少女は、何も言えずにいるアルヴェスの視線に耐えかねて再びフードを被り直した。
視界から銀色が消えて、アルヴェスもようやく落ち着きを取り戻す。
情報を整理する。
銀の呪い。
アルヴェスの記憶が正しければ、呪いとは負の感情をそのまま対象にぶつける魔術の一つだったはずだ。効果は凶悪なものから子供のいたずらのようなものまで、込めた感情によってかなりの差が出るらしい。
それをもとに考えれば、少女の言う銀の呪いとはその名の通りの効果なのだろう。
(体が銀になる。いや、銀の効果を持つのか?)
だとすれば、先程の指先の痺れにも納得できる。最初から銀と分かっていれば問題ないものの、ただの人間だと思って触れたら銀だった、なんて触れたのがアルヴェス以外の吸血鬼だったら痺れるどころか指先が灰になっていただろう。
予想を少女に話すと、少女は小さく頷いてくれた。
手を閉じたり開いたりして痺れがなくなったことを確認したアルヴェスは、律儀に待ってくれている少女に言う。
「呪いについては大体分かった、と思う。それで質問の答えだけど、俺に魔術師の知り合いはいないんだ。そもそも、呪いを治せる魔術師はいないと思う」
アルヴェスの拙い魔術知識によれば、呪いとは一方通行らしい。
誰かにかけられた呪いは解くことはできず、その呪いの効果を正面から受けるか回避するかのどちらかだ、と。
「そう、ですか……」
説明を聞いた少女が目に見えて落ち込んでいるのがわかる。
少女は先程、呪いを治す為にここに来たと言っていた。どこの街か村の出身かは知らないが、それなりの金額を払って馬車に乗ったはずだ。それが無意味だったと分かれば、落胆もするだろう。
人がまばらになった街の玄関口でアルヴェスはじっと少女と向き合う。なんだか少女がこうも落ち込んでいると動こうにも動けない。
どうすればいいんだ?
気の利いた男なら励ましの言葉の一つや二つ思いつくのだろうが、生憎吸血鬼という事実で寂しい幼少期を過ごした男の頭では何一つ思い浮かばない。
と、そんな時。
「……!」
風に乗って、間抜けな音が響いてきた。
それと同時に少女がお腹を押さえる。音の発生源は確認しなくても分かった。
本来であれば気まずくなる状況だが、今のアルヴェスにとってはとても好都合な出来事だ。
「お腹空いてるの?」
「……はい。馬車の運賃の為に食事は最低限のものしか取ってないので」
食事も削って運賃の足しにしていた事にアルヴェスは驚いた。それほどに呪いを治したかったのだろうか。
恥ずかしそうに顔を伏せる少女に、アルヴェスは少しの逡巡の後に一つの提案をした。
「良かったら君の分も買おうか?」
「……え?」
「俺もお腹空いてるし、屋台で売ってるものならすぐに買えると思う」
「……いいんですか?」
僅かに警戒と疑問が浮かんだが、空腹には勝てなかったらしい。
少しだけ期待と罪悪感のこもった瞳を向けられて、アルヴェスはなんだか自分が悪いことをしている気分になりながらも頷いた。
十分後、馬車乗り場のベンチには、並んで座りながら串焼きを食べる男女の姿があった。
「口に合うかな?」
「は、はい。おいしいです」
ぎこちなく頷いて串に刺さった肉を口に運ぶ少女。
安物の肉だがアルヴェスはこれが気に入っていた。片手で食べることができて邪魔にならないし、何より歩きながら食べられるのが魅力だ。
串焼きを数秒で完食したアルヴェスは、未だ肉が付いた串を持っている少女に一つ気になったことを質問した。
「帰るの?」
少女の目的が果たせなかった以上、彼女がこの街にいる意味はない。一応観光はできるが、少女の現在の心境を見るに、そんな気分ではないだろう。
少女は丁度串焼きを完食して満足そうに息を漏らした。
「そう、ですね。もうここにいる意味もないですし。……けど」
「けど?」
言葉を切って、少女は手元の串に視線を落とす。フードの隙間から銀髪が垂れて、彼女の瞳を隠す。
「……お金が無いんです」
「帰りの運賃は用意してなかったの?」
「行きの馬車は、私の村に来ていた商人に無理を言って乗せてもらったんです。代金も少し安くしてもらいました。けど、正規の馬車となると少し足りなくて……」
なるほど、とアルヴェスは納得する。
本当に少女の旅はぎりぎりらしい。
とはいえ、頼めば値段を下げてくれるような御者は恐らく一人もいない。短期間働くにしても、給料がもらえるのは当分先になるだろう。寝床を確保しようと思えば更に費用がかかる。
難しい問題だ、とアルヴェスが頭を悩ませていると、少女はベンチから立ち上がってアルヴェスに向き直った。
そのまま頭が下げられ、既視感のある光景が目の前に出来上がる。
「ありがとうございました。串焼き、おいしかったです」
「これからどうするの?」
「……自分で呪いを治せる魔術師を探してみます。もしかしたら、いるかもしれません」
「それは――」
無駄だ、とは言い切れなかった。アルヴェスは魔術が得意なわけじゃない。呪いは一方通行という知識も間違っているかもしれないのだ。
アルヴェスは咄嗟に訊いた。
「見つからなかったら?」
「……見つからなかったら」
アルヴェスの言葉を反芻して、少女の瞳が横に逸れる。
次に口にした答えは、アルヴェスの予想通りの答えだった。
「なんとかします」
何も考えていないのだろう。
踵を返してゆっくりと歩いて行く少女の背後を見つめる。その背中は無人島に漂着した遭難者のように頼りなかった。
次の瞬間には、アルヴェスは少女の腕を掴んでいた。外套越しにも分かる、折れてしまいそうな細い腕だった。
「……どうしましたか?」
そう言う少女の顔には驚きが浮かんでいた。覚悟して進めた歩みを止められたことに対する苛立ちは一切見られない。
これはダメだな、とアルヴェスは決意を新たにする。
「一人はやめた方がいい」
「それは、呪いの治し方が無いからですか?」
「違う。いや、違わないかもしれないけど……。ともかく、君が一人で魔術師に会うのはやめた方がいい」
その代わり、といってアルヴェスは痺れた右手の人差し指を立てる。
「俺も一緒に探すよ。夜まで時間を持て余してるからさ」
あまりしたくない提案だったが、半端に覚悟を決めている少女を止めるためなら仕方ない。
少女はアルヴェスの提案に反応して視線をアルヴェスの瞳に向けた。言葉の真偽を見極めるように彼女の青い瞳が細められる。いきなり他人に親切にされたら誰だった疑ってしまうのは無理もない。
しばらくして、少女は小さく呟いた。
「……分かりました」
「ありがとう」
頷いてくれたことにほっと胸をなで下ろす。これで頷いてくれなかったらアルヴェスに出来ることは何も無かった。今のアルヴェスは初対面の少女にお節介を焼く変わり者なのだから。
ハーフヴァンパイアだしいいか、とよく分からない言い訳をしながら、アルヴェスはゆっくりと歩き始める。その後ろを少女がぴったりついた。
歩きながら言う。
「アルヴェス」
「……?」
「俺の名前さ。君は?」
「……シルバレット、です」
「そっか。じゃあほんの少しの間だけど、よろしく」
「よろしくお願いします」
後ろで律儀にシルバレットがお辞儀をする気配を感じて、アルヴェスは苦笑した。