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吸血鬼と銀色少女  作者: 吾亦紅
18/22

18 死角

 手をつたって血が床へ落ちていく。自分の命の蝋燭の炎がゆっくりと小さくなっていく。

 しかしその甲斐あって、室内の空気はアルヴェスの側についた。

 吸血鬼にとって血とは金と同義であり、だからこそ掛け金を血に変換したこの賭場も運営を続けることが出来ている。

 そしてその血を全て使って、アルヴェスは自分が持っている情報の価値を裏付けた。その事実の重大さはこの場にいる全ての吸血鬼が理解できているだろう。

 流れ出る血の量から残された時間は少ないことを悟ったアルヴェスはゆっくりと口を開く。

「昨日、真祖に会った」

 効果は覿面だった。

「し、真祖だと!?」

「待て、ボスは死んだはずじゃ……」

「でも死体は見つかってないんだろ?」

 波紋のように動揺と憶測が広がっていく。

「嘘ですね」

 しかしアルターだけは冷静で、アルヴェス――正確には彼の周りにいる吸血鬼達に向けて言う。

「確かにボスの死体は見つかっていません。真祖のことです、ちょっとの怪我では死なないでしょう。しかし現時点で、ボスが生きているという事実と彼がボスと会ったという事実はどちらも同じくらい不確かなものです」

 それに、と言ってアルヴェスは続ける。

「彼はハーフヴァンパイアであって完全な吸血鬼ではありません。そんな人に果たして本当の血の価値なんて分かるんでしょうか?」

 ぞわり、と嫌な感覚を覚える。正面から戦うな、と本能が警鐘を鳴らす。

 アルターの問いかけは的確だった。ここにいる吸血鬼達が抱いている疑問を示唆するような言葉。心の隙間に入り込んでくるような、アルヴェスにとっては嫌な切り返し。

「そうだ! たかが一人のガキに体張る奴がいるかよ!」

 更にはアルターの言葉に簡単に流されるルドーのような存在がいれば、まとまりかけていた考えは再び散り散りとなる。

 空気が完全に変わってしまう前にアルヴェスは手を挙げた。

「分かった。じゃあ俺が真祖に会ったと仮定して話を聞いてくれ。さっさと済ませないと死んじまう」

「ええ、いいですよ。仮定して聞きましょう」

「助かる。じゃあ、ルドー」

「あ?」

「ボスが死んだのはいつ?」

「あのなぁ、なんで俺がお前の質問に答えなきゃ――」

「ルドー、教えてやれ」

 難色を示したルドーだったが、アルターの一言に押されて渋々といった様子で口を開いた。

「数ヶ月前って聞いてるぜ。俺がこの街に来る前だ」

 ルドーがこの街にやってきたのは、シルバレットがこの街に来た日と同じだったはずだ。

「吸血鬼殺しの事件が起きたのは?」

「俺がファミリーに入った時と同じくらいだったはずだ。正確な日は知らねぇ」

「殺された吸血鬼は?」

「三人です」

 最後の質問にはアルターが答えた。

「全員夜に殺害されていて、心臓を刺されていました」

「遺体はどこに?」

「灰にしましたよ。夜警団に見つかると色々面倒ですからね」

 淀みなく回答するアルターからは嘘の気配は感じない。他の吸血鬼達も納得しているようで、異を唱えるものはいない。 

 アルヴェスは最初の疑問を口にした。

「アルターは俺に会いに来たとき、吸血鬼殺しの件とその件に関するボスの予想を言ってたよね?」

 『鶏の尸亭』での会話を思い出す。

 ――「ファミリーの構成員も何人か殺されてて油断できない状況です。そしてボスは、ファミリーの外に犯人がいると思っています」

 あの時は特に疑問に思わなかった言葉。しかし、

「あの時、既に真祖はいなかったはずだ。それなのになんでアルターはボスの言葉を知ってたんだ?」

 周囲の反応が僅かに鈍る。察するに、他の吸血鬼達はボスの言葉なんて聞いていないのだろう。

「なんだ、そんなことですか」

 アルターはなんてことはないように答える。

「ボスは吸血鬼殺しが起こることを予見していたようで、事前にそのことを私に話してくれたんです」

 筋は通っている。

 ボスは吸血鬼殺し――ファミリーに不利益をもたらす出来事の発生を予見していた。しかしその出来事が起こる前に死んでしまった。アルターはそのボスの言葉をもとに動いていた。

「アルターって、もしかして結構偉い?」

「それなりですよ。ちなみに、ルドー達があなたを襲わないのは私が止めているからです」

 さらりと自分の権力と立場の高さを示してくるアルターにアルヴェスは苦笑する。

 彼の言葉が事実なら、彼がボスの言葉を聞いたという発言も信憑性を帯びてくる。

(そしてきっと、ボスの座に近いんだろう)

 ここで納得してしまえばどんなに楽だろうと思う。

 アルヴェスが帰ると言えばアルターは止めないだろう。夜道で襲われることもないし、むしろ怪我をした手首の治療もしてくれる。ここでアルヴェスが踵を返しても、一人の少女が命を落とすだけだ。

(もう長くは保たないな)

 吸血鬼の性質なのか、自分から流れ出る血の量を無意識に理解できている。早く手当てしなければ失血死することもすぐに分かった。

「……よし」

 自分に言い聞かせるように頷く。靴越しにしっかりと床を踏み締める。自分の足が逃げようとしていない事を確認するように。

 その姿が辛そうに見えたのか、アルターは彼の左手首を指さして、

「その傷、大丈夫ですか? 人間であれ吸血鬼であれ、早く手当てしないと死にますよ?」

 嘲りではなく、本気で心配しているような声。

(アルターのやつ、余裕だな)

 無理もない。

 アルターの言っていることは事実だ。仮に事実じゃないとしても、それを嘘だと言い切れる証拠がない。

 この数日で、アルヴェスは運良くその疑問に辿り着いた。そして導き出された結論が正しいことをアルヴェスは既に確認している。

(残るは証拠。その事実を信じさせるに足る証拠が必要だ)

 ぐらりとアルヴェスの体が傾く。テーブルに左手をつこうとして、力が入らずそのまま床に膝をつく。短剣が床を転がった。

「ほら、強がったっていい事ないですよ」

「っ、……俺だって、好きでやってる訳じゃないんだ」

「……包帯を持ってきてくれ」

 アルターが背後の部下と思しき男に言うと、男は一度部屋の奥に消えていく。そしてすぐに包帯を持って戻ってきた。

 アルターは包帯を受け取ると、ゆっくりとアルヴェスに近づいていく。

「ここは血を扱う賭場ですが、命を扱う訳ではありません」

 アルターは膝をつくと、アルヴェスに包帯を差し出す。

「どうぞ」

「……」

 アルヴェスは差し出された包帯を見つめて、やがて緩慢な動作でそれを受け取る。左腕を押さえていた時に右手についた血がアルターの右手に僅かに付着した。

 包帯を巻きながら、アルヴェスはぽつりと呟く。

「革手袋」

「え?」

「してないんだな。左手にはしてるのに」

 アルターの左手を覆っている見慣れた茶色の革手袋を見ながらそう言うと、アルターは血が僅かについた自分の右手を見て、

「サイズが合わなくなったんですよ」

「……そうか」

 話している間に包帯を巻き終わる。

「ありがとう、アルター」

「いえいえ。むしろこの賭場で死なれたら評判が落ちるので」

 ゆっくりと立ち上がると、それに合わせてアルターも立ち上がる。彼の瞳がアルヴェスを再度捉える。

「それで、どうします? まだやりますか? 私の部下達もそろそろ鬱憤を晴らしたい頃合いですし、帰った方がいいのでは?」

「そうだ! 俺は早くあのガキを殺してぇんだよ!」

 ルドーに同調するように周りの吸血鬼達も声を上げる。きっとアルヴェスが来なければ、今頃この場所ではさぞ愉快な事が行われていたのだろう。

「……そうだな」

 アルヴェスは顎に手を当てて考える仕草を取る。そして、

「うん。じゃあ、二つ目の疑問だ」

「二つ目?」

「はぁ?」

 アルターとルドーが同時に反応する。

「おいおい、この期に及んでまだやるのか? お前、アルターの言ったことに何も言い返せなかったじゃねぇか」

「うん、それはそうなんだけど、他にも疑問があるんだ」

 アルヴェスは一度アルターを見た。二つ目の疑問がある事が予想外だったのか、まだ疑問符を浮かべている。

 そんな彼に、アルヴェスはただ一言、

「ありがとう」

 とだけ言った。

 視線をずらす。そこにはアルターと同じような顔するルドーの姿。

 思えばアルヴェスはルドーの事をあまり知らない。知っていることといえば、シルバレットと同じ日にこの街に来て、彼女に腕を消し飛ばされた事くらい。

 本当に不幸な男だと思う。

「ごめん」

 謝罪の言葉を口にする。彼にはきっと謝っても謝りきれない。これからする事を含めれば、本当に不幸という他ない。

「は?」

 ルドーが間抜けな声を上げる。否、隙ができた。

 一歩踏み込む。右手を上げる。その先には彼の左耳。

 周りの吸血鬼にはどう見えたのだろう。

 半端者の無駄な足掻きに見えただろうか。

 ならば、予定通り。

「本当に、ごめん」

 最後の謝罪の言葉が聞こえたかは分からない。

 同時にアルヴェスの右手が彼の左耳を包む。

 ルドーの悲鳴が夜の街に響き渡ったのは数秒後の事だった。

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