17 長い夜
どよめきが広がる。
その原因が自分である事はアルヴェスも理解していて、そしてそれは計画通りでもあった。
(符丁って嘘かよ!)
アルヴェスは外套のフードの奥でローレインを呪う。
このアルレイヤの街中に賭場と呼ばれる場所は合法非合法問わず数多く存在するが、その中で最も異質な賭場がこの『ブラッドダイス』だ。
脳裏にローレインの言葉が浮かぶ。
「そこはヴァンパイアファミリーが運営している吸血鬼専用の賭場だ。通常の賭場と違う点はひとつだけ――賭け金が金ではなく自身の血液であることだ」
人間の国での吸血行為は即極刑の重罪であるため、こちらで暮らす吸血鬼達は、言い方を変えれば吸血行為をやめた元吸血鬼だ。
通常の食事でも栄養は取れるためそこまで問題はないが、吸血行為は吸血鬼にとっての本能でもある。
そこでヴァンパイアファミリーは吸血行為に近い体験ができる賭場を運営した。それがこの『ブラッドダイス』らしい。
(なるほど。確かに従業員も客も吸血鬼だ)
建物の中をぐるりと見渡す。
大きなテーブルが三つ。部屋の隅には小さな机と椅子が並び、テーブルの上にはトランプが散らばっている。ローレインの言っていた通り、見かけはただの賭場だ。
「困りますよ、アルヴェスさん」
聞き覚えのある声が耳に届く。視線を右奥へ。
「アルター、久しぶり」
フードから顔を出してアルヴェスは声の主に笑いかける。
アルターが出てきたのはカウンターの奥。布で遮られてはいるが、きっとあそこにアルヴェスが探している人物がいるのだろう。
「扉は優しく押してもらわないと。入場料は……まあ、今回はいいでしょう」
アルターが懐から取り出した数枚の硬貨をアルヴェスの後ろにいる男に投げる。確かあの男はアルヴェスが扉を蹴破って入ってきたとき、最初に声を上げた男だ。どうやら入店に必要だったのは符丁ではなく金だったらしい。
「何故ここに?」
「友人を取り返しに」
「彼女はここにいませんよ」
きっぱりとアルターは言い切った。
「お引き取りを」
余裕をもった動きでアルターは扉が無くなった出口を指し示す。
無駄だと分かりつつアルヴェスはローレインから聞いた言葉をそのまま口にした。
「街中の吸血鬼が一番集まる場所はここだ。人間達は誰も寄り付かないから、何かをするにはここが最適だろう。例えば、吸血鬼殺しの犯人を見せしめにするとかね」
吸血鬼殺しという単語を聞いて、室内の雰囲気が僅かに剣呑になる。吸血鬼殺しの事件についてはこの街にある全ての吸血鬼が知っていることだろう。そして、皆一様に怒りを覚えている。
そんな時、室内に突然笑い声が響く。アルターが口に手を当てて肩を震わせていた。
「あなたはもう少し賢いと思ってましたよ。まさかそんな事を言うために来たんですか? あなたが何と言おうと、ここにあなたの望むものはありません。あったとしても、余所者のあなたにそれを教える筋合いはないでしょう?」
正論だ。反論するのも馬鹿らしくなる。
アルヴェスには何の権力もない。夜警団がいれば話は別だったかもしれないが、彼らにはまだ待機してもらう理由がある。
アルヴェスの沈黙を図星と捉えたのか、呆気にとられていた吸血鬼達も愚かな侵入者を馬鹿にするように笑い声を漏らす。
空気が一転する。アルヴェスの立場が弱々しくなっていく。
しかし、
「アルター」
そう言って、アルヴェスは一歩を踏み出した。
一歩、二歩と、賭場の中央に足を進め、程なくしてアルターの前に立つ。アルターの顔に疑問と警戒が浮かんだ。
「なにか?」
息を吐く。
自分がこの場に立つのに実力が不足しているのは彼自身が誰よりも理解している事だ。
細い人脈を駆使して人を集め、言葉を弄し、策を弄し、運さえも頼って、それでも足りないものを気合でなんとか繋ぎ止めている。
(大丈夫。ここからだ)
夜警団の仕事はもう少し後。それまではアルヴェスの番だ。
顔には笑顔。純粋なものではなく、嘲りを滲ませたものを。口調は自然に、もとからそうであったかのように。
アルヴェスの口から出た言葉は、狭い賭場の中によく響いた。
「そんなにファミリーのボスになりたかったのか?」
「……なんだと?」
「言葉通りの意味だよ。吸血鬼殺しなんて事件をでっち上げて、いもしない犯人を作り上げて殺す。真祖はすでに殺してるから、自動的に成果を上げたお前がボスの座につく。随分と大がかりな作戦だ」
「そんな作戦知りませんよ。私がそんなことするわけないじゃないですか」
アルヴェスはアルターの右手を素早く掴み上げた。
「汚れ仕事は部下にやらせて自分は安全な場所にいる。なるほど、どうりで裏社会にいるには随分と綺麗な手をしている訳だ」
「っ、離せ!」
アルターが初めてを本気の拒絶を示す。
アルヴェスは払われた手を外套の中へ引っ込めながら周りを見た。
「吸血鬼殺しの本当の犯人、知りたいか? 知りたいよな」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇ!」
誰かが怒鳴り声を上げた。
「お前、どうせあの女を取り返すために嘘ついてんだろ!? 俺はあいつに腕を消し飛ばされたんだ! 犯人はあいつに決まってる!」
その男には見覚えがあった。名前は確か、ルドー。
ルドーは左手でアルヴェスを指さすと叫んだ。
「犯人は絶対にあの女だ! あんな力を持ってるんだからな。お前がなんと言おうとその事実は変わらない。……それに、右腕の借りも返さなきゃならねぇ」
「じゃあ、別の誰かが犯人だったら?」
「はっ! そんときゃあ女を殺してそいつも殺すぜ」
「……そうか」
深く息を吸い込む。
吸血鬼達の怒りは最高潮に達している。次の瞬間にはアルヴェスを殺そうと飛びかかってくるのではないかと予感するくらいに、室内の空気も張り詰めていた。
やるなら、今だ。
右手を自分の腰に滑らせる。
「吸血鬼にとって、血は金よりも価値のあるものだ。そうだろ?」
「血? そ、そりゃあそうだが、今はそんなことより――」
「ほらよ」
直後、外套から光沢とともに右腕が現れる。その光沢が彼の右手に握られた短剣の刀身であることにルドー達はすぐに気付き警戒を強めた。しかし、
「――は?」
刀身が赤く染まる。アルヴェスの血で。
切り裂かれたアルヴェスの左手首から血が流れ落ちている中、ルドーとアルター含めた吸血鬼達は当惑して言葉を発することが出来なかった。
アルヴェスはだらだらと絶え間なく血が流れる左手を見て、
「深く切りすぎたな……」
「お、おまえ、な、何して……」
「何って、手首を切ったのさ」
「そ、そうじゃねぇ! お前、あの女を連れ戻しに来たんだろ!? なのになんでそんなっ、死にてぇのか!?」
「まさか。逆だよ。俺は死なないし、ここを出るときは彼女も一緒だ」
確定事項であるかのようにそういったアルヴェスは、改めて周囲を見渡す。
嘲りが驚きへ、怒りが疑問と興味へ。こちらの思惑に気付いたものも何人かいるようだ。
吸血鬼達が抱いている感情が変わっていることを理解する。ひとまず、いきなり襲いかかられる心配はない。
アルヴェスはおどけるように言った。
「ま、賭場に来る機会なんて今後無いだろうし、何事も経験だろ?」
「アルヴェスさん、あなた……」
アルターの額に汗が流れているのを見て、見たか、と内心でほくそ笑みつつ、アルヴェスは左手を掲げる。この場にいる全ての吸血鬼に見えるように。生温い血が頬を伝おうが関係ない。
きっとアルヴェスの人生において一番長いであろう夜の到来を宣言するように、アルヴェスはその言葉を口にした。
「今ここで、俺の血全てに誓って、吸血鬼殺しの本当の犯人を教えてやる」