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吸血鬼と銀色少女  作者: 吾亦紅
13/22

13 真祖

「やっぱり治ってるな」

 月明かりに照らされた傷一つない右手を見てアルヴェスはしみじみと呟いた。

 時間が巻き戻ったのだと錯覚しそうになる。

 アルヴェスが初めて自分の体の回復速度を目の当たりにした時は、自分が化け物なのかと本気で疑ったが、何回もそれを見てしまえばもう驚かなくなっていた。

 診療所で巻いてもらった包帯をズボンのポケットに突っ込む。しかし自宅の扉には向かわない。肝心の冴えた目はまだ治っていない。

 今日のアルヴェスの働きぶりはお世辞にもいいものとはいえなかった。

 注文の聞き流しに、料理の配達抜け多数。彼自身もあまり集中できていない事を理解できるくらいにうまくいっていない。

 シルバレットの馬車代は今日の働き分で達成できた。それはきっと嬉しい事だが、それがアルヴェスの不調の原因でもあった。

「覚悟、決めたはずなんだけど」

 昼間の決意は何処へやら。

 やめようと思っていても、頭の中にはいつも最悪の事態が浮かんでしまう。

 人間のファミリーとあれ程騒ぎを起こしたヴァンパイアファミリーなら、馬車一台を爆破するなんて造作もない事だ。

 庭の芝生へ腰を下ろす。頭上には満月が浮かんでいた。風の音しか聞こえない、珍しく静かな夜だった。

 今日の仕事をもってシルバレットが『鶏の尸亭』を辞めるのは既に決定している。明日からはアルヴェスも休みをとってシルバレットの乗る馬車を探す予定だ。 

 このまま平和に終わってほしいという願いと、絶対に何かが起こるという確信に似た不安に挟まれてアルヴェスはやり場のない焦りをため息に変換した。

「はぁ……」

 思わず叫んでしまいたいが、寝ているシルバレットを起こして妙な心配をさせてしまうのは避けたい。とはいえ、シルバレットがアルヴェスの感じている不安に気付いていないとは思えないが。

 少なくとも彼女が帰るまではこの焦りは隠しておこう、とアルヴェスは息を吐き終えた口で再びを空気を体内に取り込む。溜息は一回で終わりそうにない。

 その後、アルヴェスは何度か悪いことを想像する度に溜息をついた。ここまでくると最悪な事態を全て予想しておこうと半ばやけになりながら頭を回転させる。

「やっぱりこの家も危ないな。ガレイさんの所有物だし、できるだけ壊されるのは避けたい」

 そんな風に、考えを整理している時だった。

「なるほどのぅ、この家は借りモンじゃったか」

 唐突に声が響いた。アルヴェスの隣から。

「――――」

 声が出ない。しかし頭はいつも通り働く。

 霊園での出来事を思い出す。音も無く、気配も無く、ただそこにいるのが当然だというようにアルヴェスの隣に立っていたローレイン。

 今の状況はそれに似ていた。

「うむ、やはり月は良い。お主もそう思うじゃろう? アルヴェス」

 ここからシルバレットに逃げろと叫べば、彼女は反応してくれるだろうか。

 そんな考えが頭を過ぎる。アルヴェスの隣にいる男は自分の名前を知った上で接触してきた。ならばこの男は間違いなく吸血鬼だ。

 叫びそうになる口元を押えて、アルヴェスは必要最低限の声量で返答した。

「そうですね。で、何か私に用ですか? 生憎吸血鬼の知り合いは少ないもので」

「おや? 儂を知らんのか?」

 隣にいた男は意外だという風にアルヴェスに視線を送る。

「ふぅむ、儂ってばもう少し有名人じゃと思ったんじゃがのぅ……」

「ヴァンパイアファミリーの者であることは分かりますが、それ以外は何も」

 予想を多分に含んだ発言だったが、男は納得がいったように頷いた。

「なんだ、やはり知っておるではないか」

「? どういうことです?」

「今ファミリーでは、二つの出来事が起きておる」 

 吸血鬼殺しとボスの後継争い。どちらもアルヴェスが知っていることだ。

「お主は何やら、吸血鬼殺しに関わっておるようじゃな」

「おかげさまで。それで、あなたは私を殺しに来たんですか?」

 ファミリーの内部を知っているなら、当然アルヴェスとシルバレットの情報も掴んでいるはずだ。

 夜更けに音も無く現れた暗殺者にアルヴェスが問いかけると、隣から首を横に振る気配を感じた。

「いやいや、今日はちょっとした激励に来たんじゃよ」

「……激励?」

 アルヴェスの思考が止まる。

 激励? 何故? こいつは挑発しているのか?

 さまざまな予想が巡る中、次に男が言った言葉にアルヴェスの頭は更に混乱することとなった。

「ま、老いぼれの真祖の言葉じゃ。信じるもよし、信じぬもよし。お主次第じゃ」

「……は? 真祖?」

 最近聞いた言葉だ。けれどその時耳に届いた情報は始祖の死だったはずだ。

 アルヴェスは努めて見ないようにしていた自分の隣へ目を向けた。

 そこにいたのは老人だった。

 服装は街中にいる老人と同じような恰好だ。顎には立派な髭を蓄え、側には杖が置かれている。

 アルヴェスのぽかんとした顔を見て真祖と名乗った男は愉快そうに笑った。

「化かされたような顔をしておる。まあ本当に化かしたんじゃが」

「……じゃあ死んだってのは」

「そう見せかけたんじゃよ。……うむ、分かっておるぞ。なぜそんなことしたかじゃろ?」

 アルヴェスの抱いた疑問を見透かしたように男は勝手に答えを言う。

「ファミリーは儂の手を離れつつある。老いぼれに従いたくないという奴らがいるからじゃ。そして儂は数ヶ月前にその者らの罠にはまった」

 正確にははまってやったんじゃがな。

 そう付け加えて、真祖ははぁ、と物憂げなため息をつく。

「おかげで儂はこの通り街中の老人に扮しているわけじゃ。深夜に来たのもその為じゃよ。しかし……」

 月から視線を外して、男は背後のアルヴェスの自宅を見る。

「なるほど、それなりに手を打っていると見える。お主、帰り道を何通り用意しておるんじゃ?」

「……二十と少し。道とも呼べない道を合わせるならもっと」

 この街は広大で、歩こうと思えばどこへでも道は繋がっている。

 自宅がばれること危惧して、そんな道を把握、記憶して、『鶏の尸亭』からこの家にまで繋げられるのは、長年この街にいるアルヴェスだからできることだった。

 しかし今はその誇らしさよりも、全て見透かしているような真祖に少し恐怖に似たものを覚える。

 今度はアルヴェスから質問した。

「吸血鬼殺しの件はどこまで?」

「儂が死んだ後じゃったから細部まで知っているわけではない。だがお主が匿っている娘が犯人にされたというのは、ファミリー内の部下から聞いておる」

 犯人にされた。

 今まで犯人の疑いをかけられていたと思っていたアルヴェスだが、ファミリー内では既にシルバレットに的が絞られているらしい。今日の夜が静かな理由をなんとなく理解する。

「人間のファミリーとの争いは終わったんですね」

「そのようじゃな。じきに……いや、明日にでも娘を狙ってくるじゃろう」

 恐れていた事態がすぐそこまで迫ってきている。

 心臓が早く脈打つのを実感しながらアルヴェスは男に尋ねる。焦りからか、その言葉は少し厳しい口調になってしまう。

「他の情報は?」

「まあ落ち着け。そもそも激励の内容はこれではない」

「じゃあなんだ」

「うむ。儂が思うに、今回の吸血鬼殺しの事件とボスの後継争いは繋がっておる」

「なぜそう思う?」

「ボスなんて聞こえはいいが、実の所信頼を得られなければすぐに引きずり下ろされる。要求されるのは実績じゃ」

「……なるほど」

 筋は通っている。

 ボスの後継争いと同時に吸血鬼殺しの事件を起こす。そしてその犯人を捕まえて周囲の信頼を得る。その犯人が実際には冤罪だったとしてもそこは重要じゃない。

「殺せばいい」

 抵抗なく口から出たその言葉にアルヴェスは少し不快な気持ちになる。それと同時に疑問もあった。

「そもそも、俺にそれを教える理由は?」

「理由か。……ううむ、なんと言えば納得してもらえるかよく分からんが……」

 考えるような仕草をして、「呆れるなよ?」とアルヴェスに釘を刺した上で男はこう答えた。

「儂は上に立つのが好きなんじゃ。じゃから早死にした先代の後を継いで真祖などと名乗っておる。ファミリーもそんなもんじゃ」

 男はゆっくりと立ち上がる。尻についた草と土を手で払い落としてから杖を持つと、その先端をアルヴェスへ向けた。ローレインと男の姿がなんとなく重なった。

「故に、儂はまたボスに戻る。その為に利用できそうなお主に接触した。それだけじゃ」

「……流石、真祖様ですね」

「よせよせ、今はただのジジィじゃて」

 鼻を鳴らしながら男はアルヴェスに背を向けた。

「選択は慎重に。考える頭があるなら使え」

 あとは好きにしろ。

 それだけ言って、男は姿を消した。

 アルヴェスは男が去っていった方向を見つめていたが、本当に帰ったのだと分かると彼も立ち上がってぐっと伸びをした。

 月は相変わらず頭上にある。淡い光を目にしていると僅かに睡魔に襲われた。

「……寝るか」

 随分と話し込んでしまった為、今日の睡眠時間は少なくなりそうだ。

「忙しくなりそうだ」

 胸に抱いた不安と僅かな希望を抑えつつ、アルヴェスは自宅の扉に手をかけた。

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