5月7日その1 いざ退魔課
努力すればなれないものは無い。それは本当なのだろうか。少なくとも、俺はそう信じたいと思う。
いや、そう信じなくてはいけないんだ。
気がつくと時間がたつのは早いものだと思う。連休は流れるように過ぎていき、いつの間にかもう金曜日になっていた。朝起きて部活して、選挙の準備をして、帰宅して宿題する。ある意味無駄がない。だけどどうしようもなくむなしい連休である。
今日はついに退魔課へと〔力〕の登録へと行く日だ。昨日はがらにも無く夜の寝つきが悪かった俺は、朝起きるときも妙に目が冴えたままだった。
「早く朝ごはん食べてよね。片付かないから」
言葉に出来ない期待感と共に朝の食卓につく。母さんは今日が退魔課に行く日だと分かっているのだろうか。そうとは思えない母さんの台詞に確認をとりたくなる。でも、あんまり気にしているのが母さんにばれるのもいやなので、黙って朝食を片付けることにした。
朝食を済ませるとそのままリビングのソファーに座って朝のニュースを眺める。昨日はUMAが県内で出なかったのか、UMA関連のニュースはやらなかった。
「……死亡していたのは県内の高校に通う……」
ニュースを流し見しながら母さんの様子も確認する。朝食の洗い物を済ませた母さんは、ダイニングのテーブルについてニュースを眺めていた。やっぱり今日が退魔課に行く日だと忘れているんじゃないのか。ここは一言言ったほうがいいのかもしれないな。そう決心した俺は母さんに話しかけようとした。
「母さん、今日ってさ」
「早く退魔課に行く準備してよね」
「……家出をしたと思われ、数日前から行方不明になっており……」
……何でこう母さんは俺を脱力させるのが上手なのだろう。深いため息一つ。母さんから白い目で見られながらも、ニュースに見送られながら身だしなみを整えに行くのであった。はぁ、俺も家出しちゃおうかなぁ。
退魔課の建物とはどんなものだろうか。身だしなみを整えながらそんなことを考える。得体の知れないUMAという怪物の脅威から一般市民を遠ざける異能力者集団。公的機関という言葉も相まって、とてもかっこいい感じじゃないか。きっとすごい綺麗でスタイリッシュな建物に違いない。いまだ見ぬ退魔課に思いをはせつつ、身だしなみを整えた俺は玄関へと向かうのであった。
あ、でも市役所の隣にそんな建物ってあったっけ……
「ここが退魔課、か」
母さんの車に乗って約20分。中心街に着くと、30階建ての無駄に巨大な県庁が迎えてくれる。その県庁から少し離れたビルの間に、あまりに巨大な県庁に申し訳なさそうに7階建ての市役所が建っていた。
えっと、市役所の隣が退魔課だよな。市役所の駐車場に止まった車から降りて、周囲の建物を見渡す。
右。保険会社のビル。違う。正面。見るからに古そうな3階建てのコンクリート造りの建物。……とりあえずスルーだ。左。喫茶店や旅行会社などのテナントが集まったビル。違う。
最後に祈りをこめて後ろを向く。そこには巨大な県庁だけが堂々とそびえていた……
えっと、まさかとは思うが消去法で行くとこれしかないよな。見るからに古そうなコンクリート造りの3階建ての建物。それが小山原市の退魔課であった。……微妙だ。なんというか、想像以上にしょぼい建物である。もっとこう、秘密基地のような物を期待していたんだけど。
上の方から黒ずんできているコンクリートの塊には、日が沈んでからは出かけない、とか今月UMA発生数増加中、と書かれた垂れ幕がぶら下がっている。UMAと戦う公的機関というイメージは湧かないなぁ。
どうにも今日は自分のペースで物事が進まないみたいだ。俺は建物から視線を外すと、もう既に車に鍵をかけて建物の入り口に向かっている母さんを追いかけたのであった。
「本日はどうなさいました?」
何故か二階にある正面入り口へ続く、巨大な黒ずんだ階段を上る。手動のドアを押し開いて退魔課に入ると、クーラーの冷気が俺たちを迎えた。今日は暑くもないのに、お役所だからつけているのか。受付の人と母さんとの会話を聞きながら、室内の様子を確認する。
予想外に広い室内であった。学校の体育館くらいはあるんじゃないか? 入って正面にはすぐカウンターがある。その奥には事務机が並んでいて、スーツ姿の人が席に着いて事務仕事をしていた。時折響く電話の着信音が印象的である。
外見もそうだが、中も想像を見事に裏切ってくれている。部屋自体は広いのに、ほとんどのスペースを事務机が占領してしまっている。これじゃあ、どこかの会社、といった感じじゃないか。市役所でさえ1階は丸々大きなホールになっているというのに。
カウンターにあった退魔課のお仕事、というカラフルなパンフレットを手に取ると、受付の人が事務机の方へと消えていった。退魔課って略称は本家公認なんだな。意外な事実に感心しつつ、パンフレットをめくっていると受付の人が病院で会ったあのおじさんを連れて来た。
「今日はよろしくお願いします」
母さんがおじさんに向かってお辞儀をするのを見て、俺も合わせるようにお辞儀をする。おじさん。名刺をもらったような気がするが、名前はなんといっただろうか。ああ、思い出せない。とりあえず曖昧な笑顔を浮かべながらおじさんのあとについてカウンターの向こう。事務机の群れの中へと踏み込んでいった。
「さて、勇人君。僕のことは憶えているかな?」
おじさんに部屋の片隅にすりガラスのついたてによって作られた応接間に招かれる。机をはさんでおじさんと向かい合うようにソファーに座ると、おじさんは笑顔でこう切り出してきた。
あ〜、どうしよう。素直に憶えてないとでもいえばいいのだろうか。でもそういって印象悪くなるのも嫌だしなぁ。しばらくそんな感じでどもっていると、おじさんは笑顔で改めて自己紹介をしてくれた。
「それじゃあ改めて、小山原市対UMA特別対策課の吉田です」
吉田さん。もう忘れないぞ。もうこれから会うことも無いかもしれないけど。それでも吉田さん。あなたのことは永遠に忘れません。
そうして少しの間世間話をすると、いよいよ吉田さんが本題を切り出し始める。能力者としての登録。俺は自分の〔力〕がどんなものかも分からないし、発動すら出来ないのだけど。こんなので登録なんて出来るのか。
俺がその旨を伝えると、吉田さんは予想していたのか笑顔で話を始める。
「それじゃあ、勇人君には僕と来てもらって。お母さんはこちらの方に」
そう言うと吉田さんは別の人を連れて来て母さんを頼むように言うと、俺についてくるように促す。母さんのことが気になるけれど、どんどん行ってしまう吉田さんを見て小走りについていった。
「あの」
吉田さんに追いついた俺は一言声をかける。とりあえずどこに行くのかの説明くらいは欲しかった。吉田さんはカウンターの向こうに出て、左手にあった階段の前で止まると俺に向き合う。それにあわせて俺も吉田さんに視線を合わせた。
「えっと、勇人君にはこれから〔力〕を発生させてもらうからね」
吉田さんがそういうのを聞いて、俺はすぐに反論しようとした。発生させてもらうも何もそんなやり方なんてわからないぞ。せめてもう少し説明してもらわないと……
そんな俺の思うを無視するように、吉田さんは階段を下りていってしまう。むう、なんだか不安になってきたな。本当に大丈夫なのか? 不安と胡散臭さを感じながらも、吉田さんに続いて俺も階段を下りていったのであった。