4月29日その6 特別な出来事
「君、大丈夫?」
「のわぁ!」
唐突に身体が自由になり、自転車が横倒しになる。それにまたがっていた俺も、横倒しになってしまう。反射的に頭だけはかばえたが、身体を強く地面に打ち、自転車の下敷きになってしまった。鈍い痛みが全身を走る。それでも重傷を負ったなんてことはなさそうだった。
「あ、ごめん。大丈夫?」
もう一度、何かから声をかけられる。その何かは人間だった。長い髪をポニーテールにしてまとめたスーツ姿の女性。その人が心配そうな表情を浮かべながら、俺の上から自転車をどかして、手を差し出してくる。その手はやはり、というべきか、女性らしい細くて白い手だった。何かその手をつかむのが恥ずかしかった俺は、彼女の手は借りずに自分で起き上がる。
「大丈夫です、平気です」
起き上がった俺に話しかけてこようとする彼女をさえぎって、先に言葉を放つ。俺の言葉を聞くと、目の前の女性は俺のことを頭先から足の先まで観察するようにじっと見つめてきた。微妙にどぎまぎしていた俺であったが、女性の表情がきりっとした感じに変わるのを見て姿勢を正す。
「小山原市、対UMA特別対策課です。この先で、対UMAの作戦活動を行っているので、この区画は迂回して進んでください」
予想していたことであったが、やはりこの女性は退魔課の人間だそうだ。と、いう事は公園で戦っていた二人の人型は、退魔課の人間なのだろう。俺の身体が「停止」したのも、道を封鎖するために誰かが〔力〕を使ったに違いない。
対UMA特別対策課。その名の通り、国の防衛省の管轄の下、各市町村が運営するUMAに対する対策を執り行う組織。UMA被害や、能力者の管理も執り行っているそうだ。もっとも、ほとんどの人間は長い正式名称など呼ばず、「対」U「MA」から退魔ともじって退魔課、と呼んでいる。
「分かりました。……あの、どうして普通に封鎖してないんですか?」
別にこの道を迂回するのはどうという事ではない。だけれども、わざわざ〔力〕を使って道を封鎖したのかが気になって、女性に尋ねてしまう。別に道を封鎖するなら、コーンでも何でも置いて、人を配置すればいいじゃないか。それなら別に、俺は転ぶ必要はなかったはずだ。
俺の、少し憮然とした空気を感じ取ったのだろうか、女性はりりしい表情を、申し訳なさそうに変えて、答え始めた。
「すいません。人の配置が間に合わなかったもので……」
そう言いながらも、彼女はぶつぶつと、遅いのよ、とか文句言われちゃったじゃない、とか、早く行けよこのガキ、とかつぶやいていたのは、俺の心にしまっておこう。世の中、気にしないほうがいいことはたくさんある。なんか気まずくなった俺は、女性から自転車を受け取ると、出来るだけすばやくそれにまたがるのであった。
最後に何気なく公園の方に視線を向ける。そこではやはり、光を纏った人型が、巨大な化け物と熾烈な戦いを繰り広げていた。輝く人型が、光輝く何かで巨大な化け物を切りつけようとする。ちょうどその時、女性から急かされ、俺は自転車を公園とは反対方向へ向けるのであった。
「なんだかなぁ〜」
今の自分の気持ちを表すならそんな感じだろう。UMAと退魔課との戦い、という普通では決して見ることが出来ない「イベント」を見た俺。間違いなく気分は高揚して、このことを誰かに話したくてうきうきしている。それは、ペダルをこぐ足が、どうも地に着かない感じがすることが証明してくれている。
だが、どうにもやりきれない感じがすることも確かなのだ。この世の物とは思えないUMAと互角以上に戦っていた退魔課の人々。道を封鎖していた〔力〕。全て俺と同じ「人間」の仕業だ。しかし俺にはそんな真似は出来ない。「平凡」な高校生である俺にはせいぜい逃げるくらいしか出来ないのである。
同じ人間なのに、どうしてこうまで差があるのか。俺にはない〔力〕を持つ人々。その、〔力〕というたった一つの違いが「平凡」な俺と、「特別」な彼らという絶対的な壁を作り出している。俺にも〔力〕があれば「特別」になれるのに……
クリスさんや、あの退魔課の人間達のような〔力〕を得た俺。俺はその〔力〕をふるいUMAたちを次々と消滅させていく。そんな中での美しいヒロインとの恋愛。そして俺はUMA発生の原因を突き止め、世界を救う。
俺は自宅に迂回して進みながら、そんなくだらない、子供が考えるような妄想をしていた。
だがもし、もしもその妄想が実現したとき、果たして俺は「特別」になっているのだろうか。
そして、俺は自転車を停めたんだ。
退魔課の女性に促されて俺がとった迂回路。それは少し遠回りする程度で、別に何が変わったというわけでもない。いつもの帰り道とほとんど変わらない路地。その路地の中央に、街頭に照らされてたたずむ「何か」がいた。
俺はどうして自転車を停めたのだろうか。その「何か」は人と同じ姿をしている。身長は150センチくらい、黒ずんだ色の肌をしていた。手足は細いのに、腹が異常に出ているのが気になったが、遠目から見れば「普通」の人間に見えなくもない。普通の人間なら通り過ぎればいいじゃないか。
それでも俺は自転車を停めた。当たり前じゃないか。その「何か」は、粗末な腰巻を身に着け、細い腕に似合わない、丸太のように太いこん棒を持って、こちらをにらみつけていたんだから。
4月29日も長いですが、もうすぐ終わります。