4月29日その3 真昼の出来事
「……いえません」
さんざんためた結果、クリスさんが放った言葉はこれだった。
「言えないって、どういうこと?」
納得が出来なかった。会長に立候補を薦められるなんてよほどのことがないとありえないことだと思う。それなのに、その理由が言えない。後見人である俺にも言えない。どうしてなのか、会長と彼女の間の秘密なのか。
「特別」な人間同士の秘密なのか。
だから、「平凡」な俺には伝えることが出来ないのか。
俺は、彼女の態度が納得できないだけだったはずだった。
なのに、いつの間にかいろいろな事が頭をよぎって、目の前の「天使」のことをにらみつけてしまっていた。
頭の中がぐちゃぐちゃする。「平凡」とか「特別」とか俺にとってはどうでもいいはずの事が頭に染み付いて離れない。
いや、本当にどうでもいい事なのだろうか。
あのUMAに襲われた夜、彼女に言われた言葉が、また頭をぐるぐる回っていた。
あなたに、ちからはないのですか?
「たじまさん?」
「あ、クリスさん。……すまんぼぉっとしてた」
クリスさんに声をかけられて我に返る。一つ席をはさんで俺と話していたはずの彼女は、いつの間にか俺の正面に来ていた。
「それで、立候補を薦められた理由はどうしても話せないのか?」
「はい、いえません」
もう一度、答えは分かってはいたが、念を押すように彼女に確認をとる。
やはり彼女は、予想したとおりの答えを返すのであった。
……彼女がどうしても言えない、というならあまり気にしてもしょうがないじゃないか。
俺だってクリスさんに俺の全てを話しているわけじゃない。クリスさんの話せないことがたまたまそれだっただけのことだろう。
俺は自らにそう言い聞かせて、自分を納得させた。いや、これ以上彼女の秘密について考えると、自分が自分でなくなってしまいそうで怖かった。
「それでだ、クリスさんは選挙をどう戦う?」
これまでの雰囲気を打ち破るよう、少し声を大きくして彼女に話しかける。
そう、そもそもの本題はこれなのだ。俺はクリスさんの後見人になった以上、どうしても彼女を当選させてやりたかった。
彼女は、俺のすぐ隣の席で少し押し黙る。
すぐ近くなので彼女の顔が良く見える。う〜ん、やっぱりかなり綺麗な顔である。天使のような、という言葉がぴったりだ。これで笑顔とか浮かべちゃったら男子は一発K.Oなんだけどなぁ。
クリスさんは、ほんの少し、俺が彼女の顔を見ていなかったら分からなかったくらい少し眉をひそめると、
「わかりません」
なんて言い放ったのである。
俺の中で何かが凍りついた気がする。
……何か前にも同じような事があった気がするなぁ。
いや、少し考えれば分かることじゃないか。そもそも会長に推薦されて、何も分からないまま立候補したんだ。選挙の戦い方なんて知らなくても不思議じゃない。
しかし、これは困った。俺だって生徒会選挙の戦い方なんて知らない。何しろそれまでの選挙で、選挙活動などじっくり見たことなんて無い。いや、じっくり見た奴がいたら、逆にこっちが聞きたいくらいである。なんとなくのイメージはあっても、選挙活動の詳しいやり方なんて知るわけないじゃないか。
「まあ、これから考えていくか」
先行きには大きな不安があったが、あんまり気にしても仕方が無いか。ほそちゃんにでも聞けばいろいろと教えてくれるだろう。俺は、とりあえずほそちゃんのところへ行くか、なんて決めて、クリスさんと講義室の外へ出ようとした。
すると唐突に講義室のドアが開いたんだ。そこから見覚えのある男子生徒が飛び込んでくる。と、いうか飛び込んできたのは尚だ。奴は何がしたいんだよ……
「お主ら、困っておるな」
飛び込んできた尚は、教壇に立つと、俺たちを見るなりなんかほざいてきた。まあ、ああいう時の奴は無視するのが一番。触らぬ神に祟り無しってね。
俺はこんにちは、なんて挨拶しようとしていたクリスさんを引っ張って職員室へ向かおうとする。後ろで、あいさつはたいせつです、とか無視するな、とか聞こえるけど気にしない。
気にしないはずだったんだけど、クリスさんは俺の手を振り切って教壇の奇人の元へ挨拶しに行ってしまったのである。……やっぱりクリスさんは堕天使だと思う。
「こんにちは、こばやしさん」
「こんにちはクリスさん。君はどっかの誰かとは大違いだね」
教壇でなにやら会話を始める尚たち。尚はクリスさんと話しながら、勝ち誇ったような笑みを俺の方に向けてきていた。くそ、奴のペースになってしまった。
これは面倒くさいことになるぞ、なんて思いながら結局俺も尚との会話に加わるために、教壇へ向かう。ふと、教室の前方にかかっている時計を見る。昼休みはまだ30分は残っている。
「助っ人を連れて来た?」
「うむ、ありがたく思うがいい」
教壇で話していた二人の元へ向かうなり、尚はそんな事を言ってきた。助っ人。今の俺たちにとってはありがたい話である。でもいまいち信用できないんだよな。
もちろんそれは提案者が尚だから。長年の付き合いで分かっている。こいつの俺に対する基本行動原理は俺を貶めることだと! まあ、俺もそうなんだけどな。
「さあ、助っ人さんどうぞ!」
どうせ大した奴ではないだろう。多分茶化されて終わるんだろうな。あんまり期待しないで、再び開いた教室のドアへ目を向ける。するとそこには。
「ど〜も、助っ人で〜す。なんてね……」
委員長がいた。予想外です。彼女は身をかがめながら、何かものすごく恥ずかしそうにこちらへ向かってくる。彼女の気持ちはなんとなく分からんでもない。でも、それよりも、尚がまともな人材を連れて来たことに俺はビックリ仰天だった。
「委員長、クリスさんの後見人断ったんだよね」
俺は委員長が来るなりそんな質問をぶつける。彼女が後見人になっていれば俺はこんな苦労を背負わずに済んだのに……
多分今、俺はとても恨みがましい表情をしているだろう。委員長はそんな俺にものすごく申し訳なさそうな表情をしながら、謝ってきたのである。
「生徒会長の推薦演説なんて無理だと思ったの。その、私のせいで後見人になったみたいで本当にごめんね。代わりといったらあれかもしれないけど、その、選挙私なりに協力させてもらうから」
むう、ものすごい申し訳なさそうである。怒る気にも、からかう気にもなれないじゃないか。俺は表情を緩めると、委員長に協力を要請したのであった。