4月28日その3 帝王現る
「しつれいします」
クリスさんは凛とした態度で、職員室へ入っていく。クリスさんの後見人になることを了承した俺は、彼女と共に職員室の先生に報告へ来ていた。
「失礼します……」
クリスさんは職員室をほそちゃんに向かってどんどん進んでいく。それに対して俺は戦々恐々としていた。周りをきょろきょろと見回し、微妙に腰を引かせながら職員室を進んでいく。
帝王はもう部活へ行ったよな。もう、職員室にいないよな。
もし彼が職員室にいた場合、俺としてはとても気まずいことになってしまう。無駄に心臓を高鳴らせ、胸に何か詰まったような気分になる。
出来るだけ職員室にいる人間を見逃さないように進んでいった。見渡した限り、帝王はいないようだった。とりあえず一安心である。ふとクリスさんの方を見ると、彼女は既にほそちゃんと話し始めていた。
ちょっと焦った俺は、小走りに彼女の元へ駆け寄ったのである。
「細山先生。クリスさんの後見人になることに決めました。田島です」
彼女の横に並び、ほそちゃんに挨拶をすると、彼はやさしい笑顔で迎えてくれた。やっぱりほそちゃんは癒される。なんだか胸のつかえがとれたようだ。先ほどまでの緊張を忘れ、ほそちゃんと話していると、後ろからいやになるほど身体に沁みこんだ声がした。
「田島、部活はどうしたんだ……」
その瞬間、もう終わりだと思った。
体中の筋肉がこわばったようになって、なぜか身体が震えてしまう。
しっかりと地に足をつけているのに、薄氷の上を進んでいるような気分になる。
俺は後ろに立っている人物に静かに挨拶しているクリスさんを尻目に、ゆっくりと後ろを向きながら、出来るだけ角の立たない言い訳を考えていた。
「田島……」
どうやら何も言わない俺に少しイラついたらしい。先ほど俺に声をかけたお方は、ドスの効いた声で俺の名を呼ぶ。
もう、その人物は俺の正面に来ていた。
俺は歯が浮いたような感覚を必死に押さえつけながら、その人物に話しかけた。
「近藤先生。あの、俺クリスさんの後見人になること決めてその、西山に言ったんですけど……」
結局、口を開くとすべるように言葉が紡ぎ出されて、意味不明な言い訳になってしまった。
正面の人物――剣道部顧問の近藤先生は俺の言い訳にすぐには返事は返さず、俺の横を通り過ぎる。
帝王はほそちゃんの奥の机に腰を下ろすと、机の引き出しからなにやら書類を取り出した。
俺はそれを魔王を目前にした一般人のように怯えながら見つめていた。
横ではなにやらクリスさんとほそちゃんが話しているが、まったく気にならない。
と、いうか俺の周りの世界には既に帝王と俺だけしかいなかった。
書類を取り出した帝王はそれを片手に俺の方に目をやる。
ついにきたか。その瞬間全身の筋肉に意図せず力が入る。頭の中では意味のない空想が頭を駆け巡っていた。
怒鳴り散らされてしまうのか。殴られてしまうのか。許可が出るまでランニングさせられるのか。いや、あの書類はなんだ。もしかしたら退部届けか?
俺は剣道部をやめさせられてしまうのだろうか……
緊張が限界まで高まり、どうしようもなくなくなった頃、帝王はため息を吐くと、何も言わずに俺から目を離してしまったのである。
その瞬間風船から空気が抜けたように、身体から力が抜けた。
とりあえず今、目の前の危機を乗り越えたことに対して安堵する。
しかし、まだ俺の世界には二人しかいない。
そう、まだ何も終わっていないのだ。彼が何も言わない、ということは後で何かしらの制裁が下されるということであろう。
そうだと分かってはいたが、帝王が何も話さないことがかえって未知の不安を俺に与え、俺は彼に声をかけてしまったのである。
「あの……」
すると事務仕事を始めていた彼はこちらに目も向けず、やはりドスの効いた声で
「用が済んだら早く部活行け」
とおっしゃったのであった。それに反射的に元気よくはい! と答えてしまった俺の気持ちは、きっとうちの剣道部員なら全員が理解してくれるだろう。
先に大きな不安が出来てしまったが、とりあえずは大丈夫そうである。
そう思うと急に俺の世界が開けてくる。
横を見ると、ほそちゃんが笑顔でお話は済みましたか、なんて話しかけてきた。
なんとなくほそちゃんの奥を気にしながらほそちゃんの問いに肯定する。
すると彼はうなずきながら、
「それでは二人とも、生徒会長目指して頑張ってくださいね」
なんていったのであった。
「へ?」
思わず変な声が出てしまった。
ほそちゃんの発言が、一瞬宇宙人の言語であるかのように感じる。
が、ほそちゃんの奥からの冷たい視線を感じ、すぐに我に返る。そういえばクリスさんにどんな役職で選挙に出るか聞いてなかったなぁ。なんて思った。
そしてすぐ、安請け合いした俺の決断を、深く後悔したんだ。
「それではたじまさん、いきましょう」
クリスさんが、俺の気持ちを知ってか知らずか、クリスさんが職員室を出るよう俺のことを促す。それに相槌を打ちながらも、彼女を恨めしい目で見てしまう。
しかし、彼女は俺の目をまったく気にしない様子で、そのまま職員室を出てしまった。
なので俺も、ほそちゃんと帝王に会釈すると、小走りで職員室を出たのであった。
「たじまさん、せんきょのことで……」
職員室を出るとクリスさんがすぐに話しかけてきた。しかし、先ほど帝王の勅命を受けた俺は彼女に構っている暇はもう無かった。早く行かないと俺は本当に大変な目にあってしまうのである。こうしている間にも、俺の運命の天秤は、悪いほうに傾いてきている気がした。
「すまん、その話はまた今度でいいか? 俺部活行かないとやばいんだ」
話を続ける彼女をさえぎって駆け足で部活に向かう。
彼女には色々と言いたい事があったし、聞きたいことがあった。
だけれども俺は、とりあえず目の前の危機を軽くすることに全力を注ぐのであった。
4月28日はこれで終わりです。
作品についてご意見ご感想いただけると、とてもうれしいです。