月光の凪より彼方へ
デビッドの初めての狩りから3日経った。
「お前、まだ光ってるのか」
養分を吸収すれば収まる筈の瞳の光が、まるで消える気配がない。四六時中、爛々と輝き、当のデビッド自身が睡眠不足に陥ってしまった。
「どうすれば消えるんだよ、じいちゃん」
「そうさなぁ……」
実のところ、自然と消える性質のものだから、意図的に光を収める術など知らないのだ。
しかし、このままにしておく訳にもいかないし……この先、捕食の度に何日も光っていては、人間社会で暮らせまい。
迷った挙げ句、俺はナディアにコンタクトを取った。彼女の一族なら、こんな事態の対処法に覚えがあるに違いない。
「ご無沙汰しております、お父様」
連絡を受けてから1週間後、ナディアは1人でやって来た。新作の発表会が近いジェームスを欧州に残して来たとかで、日帰り予定の慌ただしいスケジュールだそうだ。
「いや、忙しい中、すまないね」
「いいえ。すっかり息子の面倒を見ていただいて、ありがとうございます」
ジェームスに紹介された日とまるで変わらない美貌のまま、彼女は頭を下げた。
「デビッドには、退屈な年寄りの相手をして貰ってるよ」
ソファーを勧め、俺は紅茶を入れる。アメリカ人はコーヒーを好むが、俺は若い頃の習慣でイギリス仕込みの紅茶の方がいい。
「……母さん」
デビッドが自室から現れた。
「まぁ。見事な色ねぇ」
ナディアは、両手を広げて息子を抱き締めた。少しくすぐったそうにしながらも、彼女が自分のためにわざわざ海を越えて来てくれたことを知っているので、されるがまま大人しくしている。
「ふふ。こんなに立派になって。父さん達にも見せてやりたいわ」
腕の中の息子の髪を撫で、頬にキスを落とす。流石にデビッドは、照れくさ気に身を引いた。
「母さん、もういいだろ」
「あら、まだダメよ。あなたをちゃんと覚えておくんだから」
離れて暮らしても、ナディアの愛情は深い。長い腕でしっかり捕らえ、息子の髪や額に何度も口づけた。
「さ、あなたもキスして頂戴」
困り顔のまま、彼は母親の頬に愛情を返す。
ティーセットを乗せたトレイを手に、俺もソファーに着いた。
「お父様、感謝します。この子を立派な仲間に育ててくださって」
ナディアの瞳が、うっすらと潤む。
「デビッドは、いずれ我が一族を率いなければならん」
彼女はハッとしたように微笑みを消した。
「そう見込んどるでな」
俺は、目を細めて2人を眺める。
ナディアは息子を腕から解放すると、すぐ隣に座らせ、真っ直ぐ俺に向き直った。
「光が引かないのは、能力を蓄える器が小さいからです」
「やはり……そうか」
「私の故郷でも、ごく希にこういう者がいます。その時は、デバイスを身に付けるのです」
「デバイス?」
怪訝に眉を寄せ、デビッドは母親を見上げる。
「そうよ。あなたに合いそうなものを用意したわ」
微笑むと、彼女は持っていたバッグから小さな木箱を取り出した。手渡されたデビッドが蓋を開けると、大きな赤い宝石の付いたアクセサリーのようなものが入っている。
「動かないで」
ナディアは長い指で取り出すと、息子の首に黒い革を巻き、パチンと留めた。正面の宝石が妖しく輝いている。
「何、これ――」
聞きかけたデビッドは、突然瞳を見開いて、ビクッと身体を震わせた。母親は穏やかな眼差しで、彼をしっかりと抱き締める。
「……あ……ぅっ」
抱かれたまま、ダラリと垂れたデビッドの腕が、もう一度ビクンと波打った。同時に、深紅の閃光が室内を染めた。
「……大丈夫?」
「あ――身体が、軽い……」
ゆっくりと腕を解かれ、顔を上げたデビッドは、元の漆黒の瞳に戻っていた。
「もう大丈夫よ」
ナディアは愛しげに我が子の額にキスをした。
「その石が吸収したんだね?」
「ええ。その通りですわ」
彼女は、にっこり笑顔を見せた。
「石が肌に触れているうちは、余剰の力を吸収します。外すと開放されるので、力が一気に戻ります。普段の捕食や飛行なら、チョーカーを着けたままでも問題ありません」
説明を聞いて、ふと思い出した。
「そう言えば、村長は幾つも指輪を着けていたね」
「ええ、あれもデバイスです」
「なるほど」
宝石、と呼ばれる貴石の中には不思議な力を持つものがある。有名なのは「ホープダイヤ」だろうか。ルイ14世が臣下に入手させたブルーダイヤは、孫のルイ16世と妻マリー・アントワネットの悲劇を含め、持ち主を次々に不幸に導いた。1830年にイギリスの銀行家ホープ氏の手に渡って以降、「ホープダイヤ」の通称が広まったが、ホープ氏もまた、破産の悲劇を免れなかった。「呪われたダイヤ」と恐れられているが、元を辿れば異国の神の石像に飾られていたものだという。恐らく神力を籠めた「デバイス」であった可能性が高い。欲望に駆られた愚かな人間が扱いを間違えたから、不幸に見舞われたのだ。
「いいこと、デビッド。あなたは、とても貴重な環境にいるのよ。お父様は偉大なお方。しっかり学びなさいね」
「分かった」
「あなたを誇りに思うわ」
ナディアは、もう一度息子をギュッと抱き締めた。
礼を兼ねて、本当はきちんともてなしたかったのだが、積もる仕事が待ち構えている彼女は、紅茶を飲むとすぐに旅立った。
ー*ー*ー*ー
「じいさん、元気か?」
ベランダから侵入してきたシルエットが問う。こういうぞんざいな口の聞き方をする者は、1人しかいない。
「こら、デビッド。お祖父様に失礼だぞ」
「今更、畏まった喋り方なんか気持ち悪いよ」
クリスの長男――エドガーに向けて笑いながら、スラリとしたモデル体型の青年が俺のベッドに近付いて来た。
傍らに立ち、俺の右手に口づける。その横顔は、かつての自分を見るように、よく似ている。
「相変わらずだな、お前は」
クッションを積み上げて、上体を起こしてもらっている。もう、自力では動けないのだ。
「じいさん……老けたな」
軽口のようだが、彼の眼差しは酷く切な気だ。何故呼ばれたのか、理由を把握しているからだろう。
「そりゃあ……お前が、こんなにでかくなるんだ。老けもする」
一族が一堂に会するのは、何時以来か――ああ、そうだ。ジェームスがナディアとデビッドを連れて来た、あの夜以来だ。遠い過去だが、昨日のことのように鮮明に甦る。
「俺の子どもが出来るまで、長生きしてくれよ、じいさん」
殊勝なことを言うが、思わず掠れた笑いが溢れる。彼が真実を知る日が来るのか、俺には分からないが――彼の子どもは目の前で老いぼれている、この俺だ。
「何だよ、笑うなよ」
「お前の浮き名は、聞いとるぞ」
「……チッ、エマのお喋りめ」
従姉を毒づいて、デビッドは眉間にシワを刻んだ。
若さと端正な容姿をいいことに、あちこちの美女を食い散らかしている――嘆かわしいと報告してきたのは、確かにスティーブの末娘のエマだった。
成人を待たずに、デビッドは、この家を離れた。年寄りの隠遁生活に付き合わせてもメリットは少ない……むしろ弊害だと判断したからだ。若い内に、多くの人間が暮らす実社会を経験させる目的で、子どものいないティモシーに託し、商売も学ばせた。
現在はNYの高層マンションで、勝手気ままな独り暮らしを満喫しているらしい。
「女遊びも程々にせんと、痛い目に遭うぞ」
「遊んじゃいないさ。女共が、俺を放っとかないんだ」
「やれやれ」
悪びれない様子に苦笑が漏れる。ドン・ファンを気取るには、若すぎるのだが。
不意に、デビッドは真顔で、俺の手に触れた。
「ちゃんと子孫は残す。一族は繋ぐから、心配すんな、じいさん」
「ああ。頼んだぞ」
室内の明かりは灯されたままなのに――視界が暗くなってきた。そろそろ、時間なのか。
「……ティモシーを、呼んでくれ」
「分かった。叔父さん!」
「ここにいる。お父さん、僕です」
しっかりと手を握られた感触が伝わるが、もう息子達の姿は見えない。
「一族を、頼む。子を成し、一人前になるまでは、デビッドを……支えて、やって、くれ……」
身体から力が抜けていく。もしかすると、もう塵になり始めているのかもしれない。
「分かりました。皆、一丸となり、レスターの繁栄を守りますから、安心してください」
ティモシーの声は、頭の中で反響して、徐々に曖昧に溶けていく……。
「母さんに……話す、こと……尽き、ない……な……」
最期の言葉は、ヒューという風の音に重なり、掠れて消えた。
『……貴方も、パーティーは、お嫌い?』
暗い闇の中から、若い女の声がする。振り向くと、細いプラチナブロンドにエメラルドの瞳の女性が立っている。ああ――ここは。
『騒々しいのは、苦手なんだ。でも――貴女となら、ずっと踊りたい。どうか、お手を』
シルクのように凪いだ海。象牙色の月明かりの下、デッキに佇む黒衣の令嬢は、ほんのりと頬を染めて左手を差し出した。約束の証――「J・L」と刻印された金のリングを嵌めた、細い手を取る。
『貴女に話したいことが、沢山あって……何から話したらいいだろう』
波音が奏でるゆったりとしたワルツのステップを、静かに踏み出した。
『あら。私、全て存じておりましてよ、アルバート』
身体を俺に委ね、軽やかに踊りながら、彼女は澄んだ深緑の瞳を細めて、クスクスと悪戯な笑みを溢す。
『ああ――そうだ。そうだったね』
微笑んで顔を寄せる。俺は、エミリアに口づけた。
【了】
拙作をご高覧いただき、ありがとうございます。
この話は、『牲は新世界より』という短編の続編として、書き始めました。
今作の主人公アルバート・レスターは、17世紀に新大陸に向かう船上で、後に最愛の存在となる女性エミリアと出会い、大家族となる一族を成します。
このレスター家開祖の一代記とも言える物語には、運命の男「デビッド」というキーパーソンがいます。
何故、アルバートの孫である筈のデビッドが、アルバートの父親なのか――このことは、今作でもアルバートの母親・ジャンヌとの回想中に触れていますが、『牲〜』の中で詳しく紐解かれています。
ジャンヌの言葉を信じて『牲〜』を読まれますと、意外な事実に笑ってしまうかもしれません。
今回、今作の完成に当たって、『牲〜』も少々手直ししました。
「ミッシング・リンク」編として、追加しましたので、ご高覧いただけましたら、幸甚に尽きます。
最後に、アメリカ近代史に関する記述について、間違い等ありましたら、ご指摘いただけると、大変有難いです。
あとがきまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
また別のお話で、ご縁がありましたら、よろしくお願い致します。
2019年12月10日
砂たこ 拝