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メビウスの男

 襟元より、やや下――左胸に止めた金のタイピンに視線を落とす。そっと触れる指先で、刻まれたイニシャルが読み取れる――「JL(ジャンヌ・リンデマン)」、そう、これは母と妻の形見のリングを加工したものだ。俺の指にはサイズが合わないので、いつでも肌身離さず、側に居られるように、この形にしたのだ。


「父さん! 遅くなりましたぁ!」


 ノックもそこそこに、冷えた外気が滑り込み、ドアが開く。真っ赤なコートを翻して、長身の青年が満面の笑顔で入って来た。漆黒の長髪を背中の辺りでまとめ、黒曜石のような双眸を輝かせている。


「何だ、ジェームス、父さんに失礼だぞ」


 半開きの入口から、ティモシーが眉を潜めて弟を咎める。


「相変わらず堅いなぁ、兄さんは」


 意に介さないジェームスは、長い腕で既に俺をハグしている。元々、明るく人懐こい性格だったが――華やかな都会暮らしが磨きをかけたらしい。


「あっちでの暮らしはどうだ?」


 ハグとキスを交わすと、ジェームスはニコニコと頬を緩める。


「ライバルは多いですけど、楽しいです。遊びに来てくれたら、1日中退屈させませんよ」


 ここより南部、急激に発展していく都会で、彼は最先端を競う服飾業界にいる。デザイナーや職人を抱え、オーダーメイドの高級品を請け負う一方で、少し値を抑えたオリジナルブランドも展開している。

 製品の元になる生地は、ティモシーが切り盛りしている紡績工場に発注している。都市間輸送は、スティーブが経営する物流会社が担っている。

 子ども達は、俺が命じるまでもなく、しっかりと手を組み、互いに繁栄の道を進んでいるようだ。


「ありがとう。だが、移動は身体に堪えるからな」


 やんわりと誘いを断った時、廊下から近づく足音がした。


「父さん、兄さん。皆が待ってますよ」


 栗色の髪を揺らして、クリスが顔を出す。しびれを切らして呼びに来たのだ。

 息子達と共に、階下の広間へゆっくりと向かう。


 ティモシーが両開きのドアを押し開けると――懐かしい一族の顔が迎えてくれた。

 10人の子ども達は、それぞれ独立した。家庭を築いた者も――或いは、子を成したものの伴侶に恵まれなかった者もいる。


「父さん、紹介します。妻と息子です」


 赤子を抱いた色白美人が、口角を上げて、ジェームスの隣に立つ。東欧系の中性的な顔つきで、涼しげな切れ長の二重に、金茶の瞳。鼻筋はくっきりと高く、陰影も明確な頬。艶やかなブロンドも色素が薄く、全体的に彫像のような――美しいが冷たい印象だ。


「ナディアと申します。お父様、お目にかかる日を楽しみにしておりました」


 ややハスキーだが通る声。東欧訛りの響きが懐かしい。差し出された掌を握り返そうと近づけた瞬間、肌の下にみなぎる力のうねりを感じた。


「貴女は――同族だね?」


 ほっそりと形の良い右手を握り、ほぼ同じ高さの瞳を見詰めた。

 若き花嫁は、嬉しそうに頷くと、パッと蕾が弾けるように破顔した。第一印象を裏切る、愛らしく気取らない笑顔。……なるほど、ジェームスが心奪われたのも無理はない。


「はい、私の旧姓は『エルデーイ』と申します」


 ハッとした俺の表情を見逃さず、彼女は悪戯な微笑みを溢した。


 エルデーイ――生まれ故郷の吸血族の長の()だ。


「お父様のお名前は、一族の記録にあります。出自不明ながら、濃い力をお持ちだと」


「謙遜を」


「いえ、真実(まこと)です。両親始め一族の者達から、くれぐれも宜しく申し上げるように、言付かって参りました」


 ナディアは、深く腰を落として一礼した。敬意を示す丁寧な態度に、胸が熱くなった。ずっと出自(ルーツ)の分からない余所者という疎外感や、魔女の血が入った異端(ハーフ)という劣等感を抱えて生きてきた。こんな形で、大いなる一族に繋がろうとは。


「こちらこそ、不肖息子だが……宜しく頼みます」


 俺も頭を下げた。彼女との会話を、息を詰めるように聞いていた子ども達が、ワッと祝福に沸く。


「お父様、私達の息子です」


 ナディアに渡された孫を腕に抱き、思わず息を飲んだ。不思議そうにこちらを見上げる幼い瞳も、柔らかな髪や容貌も、どれひとつ取ってもレスターの特徴を写し取っている。だが、俺を動揺させたのは、強い鼓動のように全身から発せられる同族の力だ。この子に眠る潜在能力は――俺を凌駕するかもしれない。


「名前は?」


「はい、デビッドです」


 ナディアは幸せそうに微笑んだ。


「デビッド……」


 俺の父親の名前は、子ども達には教えていない。いつか自然に巡り会う筈の特別な名前に、先入観を与えたくなかったからだ。


 そうか――この子が。


 感慨を噛みしめながら、腕の中のデビッドを見詰める。幼子は、胸に止めた形見のタイピンを小さな指で弄っている。


「父さん?」


 何かを感じ取ったのか、ジェームスが心配そうに、こちらを窺っていた。俺は微笑んで、孫の髪を撫でた。


「いや……。デビッド・レスターか、いい名だ」


 額に祝福のキスを落として、ナディアの腕に渡した。息子夫婦は笑顔を返し、一族から祝福を受けている。

 彼らの姿を眺めつつ、タイピンにそっと触れ――今は亡き大切な女性達に、その存在を報告した。


ー*ー*ー*ー


「……塩味が濃いな」


「はいはい、作り直しゃいいんだろっ」


 俺が突き返した皿の上に乗った、不恰好なポテトステーキを忌々し気に睨み付け、デビッドは踵を返した。ダメ出しは、これで4度目だ。


「いいか、よく見ておくんだ」


 よいしょ、とダイニングの固いチェアから腰を上げ、キッチンに立つ孫の隣に並んだ。


「……じいちゃん、この料理がそんなに特別なのか?」


 手早く芋の皮を剥く俺の手元に視線を向けながら、隣の少年はたどたどしく真似をしている。


「ああ……レスター家の者は、必ず覚えにゃならん」


 この料理は『レスター家伝統の味』だと言って、母さんが俺に散々仕込んだものだ。一族の発祥(ルーツ)が、未来から来た男(デビッド)と母さんの出会いにある以上、子孫の中に「デビッド」がいつ誕生してもいいように、一族全員に伝承してきたのだ。


「……だから、何で?」


 不機嫌を隠しもせずに眉間にシワを刻むが、それでも茹でた芋を潰す手は止めない。


「特に、お前は完璧に覚えるんだ、デビッド。喩え未開の孤島に流れ着いたとしても、材料さえ揃っているなら、この味を再現できにゃならんのだ」


「未開の孤島にフライパンなんかあるのかよ」


 ブツブツ言いながらも、勘の良いデビッドは、8回目には『伝統の味』をマスターした。


「ジェームス達は、まだ帰国せんのか」


 ダイニングテーブル一杯に並んだポテトステーキと、ライトボディの赤ワインを傾けながら、彼と2人切りの食卓を囲む。


「パリが終わったら、イタリアに行くって言ってたから、まだ2ヶ月は帰らないんじゃないかな」


 ジェームスが立ち上げたブランドは、服飾業界で成功し、国内最大級の新作発表イベントでも中心的存在になりつつある。海外にも事業展開しており、元専属モデルのナディアと共に、国内外を飛び回っている。


 両親が年中家を空けていることを理由に、初吸血の儀式を済ませたデビッドは、俺の元で暮らし始めた。しかし親の多忙は建前で、本音を言うと、ゆくゆくはレスター家の当主となるべく躾るために引き取ったのだ。更に、抜きん出た激しい力をコントロールする術を学ばせ、完璧に身に付けさせなければならない。


 恐らく、デビッドの教育は、俺の最後の仕事になるのだろう。


「今夜は――満月だな」


 月の満ち欠けは、空を見ずとも身体の奥深くで感じられる。月に魔力を左右されていた母さんの影響を、少なからず受けているのかもしれない。


「少し、遠出するか」


 食事が済んだことを確認し、グラスの底の赤ワインを空ける。


「待って! 着替えてくる」


 パッと瞳を輝かせると、デビッドは食器を片付けた。パタパタと部屋に駆けて行く足取りが、期待に弾んでいる。


 一族が増え、子ども達が家を出てからは、昔のように皆で食事会を行うこともなくなった。

 それぞれが糧を求めて狩りをする。慎重に人間の目を欺き、信用を築きながら、闇に溶け込んで獲物を歯牙にかけるのだ。


「じいちゃん、行こう!」


 息を弾ませ、5分と待たせずに、デビッドが戻ってきた。

 プリーツが多いダークグレーのシャツブラウスの上に、漆黒のマント。下は、同じく闇を溶かしたような細身のパンツ。一族伝統の狩りに出向く際の「正装」だ。彼の顔立ちによく似合うが、残念ながら袖と裾がやや短い。


「お前、また背が伸びたのか。ケイトおばさんに、大きいヤツを頼まにゃならんな」


「前に作ってもらってから半年だよ? そりゃ、小さくなるって。でも、今夜はこれでいいだろ」


 生意気盛りのデビッドは、ツンと澄ました眼差しで見上げている。

 俺は、手にしたマントをバサリと羽織ると、両端にルビーの付いたチェーンで止めた。


 飛行を想定した狩りに出る時には、肩から脇にかけてスリットの入ったシャツを着る。プリーツを増やしたのは、翼を広げた時に必要以上に肌が露出しないよう、エミリアが考案したスタイルなのだ。

 今では、長女のケイトが引き継いで、親族のために縫製している。


 ベランダに出ると、黄金色の月が、針葉樹林の上に浮かんでいた。我々の住まいを囲む原生林ごと、広大な土地が我が家の敷地である。

 ティモシーに商売を譲ったのを契機に、隠居の名目で、一族が繁栄の礎を築いた古都を離れた。この北の土地を選んだのは、表向きには、偏屈な爺が世捨て人を気取るには丁度良いと思われたからだ。しかし、本当の目的は、我々の本分――飛行や狩りの習得を、人目を気にせず行うためだった。


 漆黒の双翼をバサリと虚空に広げる。ベランダを蹴りあげて、一気に上空まで飛翔する。重力からの解放と、人間という殻を脱ぎ捨てた爽快感に気持ちが昂る。夜の湿度が翼にしっとりと馴染む。地上では足腰に(ひず)みが出てきた老体だが、空中では自在に動くことが可能だ。

 デビッドは、すぐに目線が合う高さまで昇って来た。俺同様、彼の瞳も紅く輝いている。


「付いて来い」


 デビッドに言い置いて、先に翔出す。一瞬遅れ、慌てて追いかけてきた。彼の気配を感じながらのタンデム飛行。

 目的地は決めている。月を左手に、南へ――。



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