牲は新世界より(3)
早いもので、6日が過ぎた。不可抗力でやって来たものの、タダ飯を食わせてもらう居候の身なれば――俺は食事当番を受け持っていた。
館には、週に一度、腰の曲がった小男が訪れて、食糧や日用品などを売りに来るという。この男は魔物ではなく、正真正銘の人間だが、後ろ暗い品物も平気で流すらしい。闇ルートに通じているようで、金さえ積めば夜伽の男女でも、呪術に使う赤子でも用意すると嘯いているそうだ。そういうヤバい調達屋は何処にでもいるものだ。
「だったら、苦労して鏡を使わなくても、奴に『穢れなき乙女』を頼めば良かったんじゃねぇの?」
蒸した芋を潰し、微塵切りした玉ねぎとキャベツ、細かくカットしたベーコンを混ぜて、少量の岩塩と胡椒で味を整える。かまどでは、鉄のフライパンがジリジリ熱を帯びている。
使い勝手は違えど、現代の調理器具の原形らしき道具が存在していることに驚いた。多少の不便は、毎日がキャンプと思えば、何てことはない。
「彼ね、便利な男ではあるけれど、油断ならないのよ。以前、思い切って金貨を弾んだのに――処女じゃなくてね。死体の処分に苦労させられて、散々だったわ」
うんざりしたように首を振ると、ジャンヌは赤ワインをグラスに注いで、調理中の俺の元に持って来た。
「やっぱり、牲は人に頼っちゃダメね」
鏡に頼った結果が、俺だろうが――とは言わずに、グラスを受け取る。赤い液体に触れる前に、朱色の唇を塞いだ。彼女の頬一杯に薔薇が咲く。
「美しき魔女に」
揺れる青い瞳に微笑んで、こちらからグラスを合わせる。毎夜就寝前の挨拶で慣らしているのに、未だ戸惑いを見せるから、つい翻弄したくなる。
慌てたようにワインを含む彼女の隣で、クィッと中身を空けて、グラスを返した。そろそろ、フライパンがいい頃合いか。
「危ないから、座っててくれ」
彼女をダイニングテーブルに戻すと、オリーブオイルをひと匙入れる。ジュッと小さく跳ねながら、美味そうな香りが立ち上る。木ベラで掬ったタネを、平たく楕円形に置き、表面がこんがりキツネ色になるまで焼く。祖父直伝のポテトステーキの出来上がりだ。
「美味しい……! いつもの食材なのに……あなた、天才?」
初日の「魔法使い」より格は下がったが、彼女の素直な感動に口元が緩む。
「レスター家伝統の味だ。気に入ったなら、なによりだな」
キャベツとソーセージのスープに、ライ麦パンを浸して食べる。決して豊かな食卓ではないが、テーブル越しのジャンヌの姿に、癒されている自分に驚く。
元の時代にいた頃、食事なんて、単に人間社会に溶け込むための偽装行為の一環でしかなかったのに。
「デビッド、あなた、余り食べないのね?」
彼女の笑顔を肴にワインを嗜んでいると、不意に瞳を上げ、表情を曇らせた。
「まぁな……元々、血さえあれば、食わなくとも死なねぇからな」
「血が欲しい?」
「そりゃあ――って、おい、何考えてんだ」
思い詰めたように刻まれた眉間の皺が、良からぬ考えに囚われていることを窺わせる。
「あたしの血で良かったら、いくらでもあげるけど、こんな穢れた血じゃ、ダメよね……」
何で、そんなに悲しそうに自嘲するんだよ。
鋭い氷柱に胸を貫かれた感触だ。凶器は融けて消えたのに、痛みだけが冷たく広がっている。
「血を失えば、死ぬか服従するしかねぇんだぞ。俺は、あんたを支配するつもりはねぇよ」
吸血には、生命の搾取と同時に、精神を蝕む作用がある。俺は、彼女とは対等な関係でいたい。
「どうして……あたしなんかに優しいの」
青い蛇口から滴が溢れ出す。顔をクシャクシャにした彼女は、ごめんなさいと呟いて、席を立つ。
咄嗟に動いた身体は――彼女を後ろから抱き締めていた。腕の中の肩が震えている。
「何故かな。魅了の魔法に掛かっちまったのかもな」
「そんなの、使ってな――」
否定すべく振り向いた唇は、甘い孤独の味がした。長く深く重ねる程に、肌がしっとりと熱をもっていく。緊張に強張っていた身体も、徐々に力が抜けていった。
抱き上げると、ギュッとしがみついてきたので、そのまま彼女のベッドに直行した。
ー*ー*ー*ー
元の時代にいた頃、特定の相手は作らなかったが、相手に不自由することもなかった。この容貌のお陰で、夜の経験は少ない方ではないと自負している。
そんなことを考えたのは、ジャンヌとの身体の相性が想像以上に良かったせいだ。
男慣れしていない所作と反応が愛しくて、珍しく溺れるように一晩中抱いた。彼女は、満たされた微笑みを浮かべたまま、ぐったり深く眠っている。狭いベッドで密着する肌の感触が心地好く、俺もまた微睡みながら柔らかな乳房に触れ続けた。
「――う……んっ!」
異変は、突然現れた。
彼女は小さく呻いたかと思うと、ビクンと大きく痙攣し、カアッと肌が発熱した。額にうっすら汗が滲んでいるのに、瞼は固く閉じられたままだ。
「おい……ジャンヌ? どうした?!」
肩を掴んで強く揺する。何度も名前を呼ぶと――。
「う――あぁ……っ!!」
悲鳴に近い声を上げ、彼女はパッと目を覚ました。焦点の合わない虚ろな眼差しだが、俺は思わず息を飲んだ。
「ジャンヌ……」
アイスブルーの瞳を越えて、眼球全体が濃い輝きを放っている。上気する肌、全身の内面から、波動のようなエネルギーの昂りが伝わってくる。
「は――ぁ、デビッド……あたし、魔力が……どうしてっ?」
明日は下弦の月。本来なら魔力が消えるはずなのに、こんなタイミングで彼女の魔力はリミッターを振り切る程に高まっている。イレギュラーな力のうねりに、他ならぬ彼女自身が制御不能で苦しんでいる。
――俺が抱いたせいなのか?
答えられないまま、彼女の身体を抱き締める。肌の下で、確かな激りがのたうち回っている。
「……今なら、鏡を、動かせるかも、しれない」
乱れた呼吸を整えるべく、深呼吸しながら、彼女は呟いた。
「だが、鏡に還す力はねぇんだろ?」
「『ヤヌス』っていうのは、本来は門を司る神の名なのよ……試してみる価値、あると思うわ」
ジャンヌの声に力が甦る。一縷の望みがもたらされたことで、俺の気持ちも加速する。
「だったら、一緒に行こう。これから大陸中で魔女狩りが激化する。この地域でも、長い戦が始まるんだ」
彼女が身を捩ったので、腕の力を緩める。眩しい程だった瞳の発光は落ち着いてきたものの、紅潮した肌は妖艶な色香を漂わせ、男を惑わす危険な魅力に満ちている。これこそ魔女の力を本領発揮した姿だろう。
「あなた――未来が見えるの?」
息を飲んで見詰めていると、細い腕が伸びてきて、そっと俺の頬に触れた。指先が震えている。
「いや、歴史の事実だ。本物も偽物もなく、多くの女達が、『魔女』の名の元に捕らえられ、処刑される……」
彼女は悲し気に瞳を伏せた。憂いを帯びた表情にさえ、背筋がゾクゾクする。甘美な衝動を抑えるように、俺は額にキスを落とした。
「もう、大丈夫。服を着ましょ」
フワリと微笑むと、汗ばんだ身体が離れた。情事の後のシャワーが恋しかったが、生活水の乏しい中世で贅沢は言えまい。
現代に還れたら、真っ先に彼女と泡風呂で戯れてやるさ――。
ベッドの近くに散らばった服を集めながら、溜め息を吐いた。




