牲は新世界より(2)
食卓でライ麦混じりのココア色のパンを千切り、芋と鹿肉のスープに浸してから、口に運ぶ。付け合わせは、チーズオムレツ。
普段の俺からみたら、まぁ質素な食事だが、贅沢は言うまい。第一、これを料理したのは俺自身。味に不満はない。
「……美味しい!」
向かいの美女、ジャンヌはチーズオムレツを一口食べた途端、朱に染めた頬を両手で押さえた。
「何これ、何これっ?! あなた、魔法使い?」
魔法使いは、お前だろ。ま、正確には魔女だが。
「俺の時代じゃ、こんなもの普通だ。特別料理の腕がある訳でもねぇしな」
瞳をキラキラさせて料理をパクつく彼女を、呆れながら眺める。
冷蔵庫も電子レンジも、勿論ガスコンロさえない時代――ここは、16世紀のヨーロッパ中北部。現代ならドイツ、当時はプロイセンと呼ばれている。隣国フランスに近い、アルプス山系のとある山の麓に位置する……らしい。
「1520年――か」
21世紀を生きる、未来人の俺は、この時代が持つ意味を知っている。
「美味しーい! これホントに、うちの食糧庫にあった食材なのぉ?!」
「当たり前だ」
唯一、俺を歓喜させた美味い赤ワインを傾け、はしゃぐジャンヌを観察する。
彼女は、予知などしないのだろうか。これから訪れる――嵐のような時代を。
「ね、デビッド。あなた、行くところがないなら、ずっとここで暮らす気はない?」
「そうだな――」
21世紀には還れない。
その残酷な現実と向き合う覚悟は、未だ出来ない。何か手段は無いのか、もう少し足掻いてみようと思うのだが。
「なぁ、ジャンヌ。あんたの魔力ってのは、どういう仕組みなんだ?」
「……他言無用よ?」
赤ワインを口にした彼女は、グラスをテーブルに置くと、神妙な眼差しを向けて来た。
「あたしは、生まれつきの魔女じゃないの。15の時に、領主のバカ息子に森の中で手込めにされて――妊娠した途端、堕胎薬を盛られて死にかけたのよ」
中世の農民は、領主の土地に縛られている。家族や家財を持てるとはいえ、土地を借りて生活する彼らは奴隷同然――農奴と呼ばれた。
領地内では、領主が不可侵の権利を持ち、国王さえ手出しできない。農奴達は、専制的な領主の支配下で生きることが強いられた――それが当然の時代だ。
「虫の息のあたしは、神を呪ったの。こんな人生から解放してくれるなら、魔物に落ちても構わない……って」
俺は、血のように濃厚なワインを含む。
恐らく、ジャンヌのような生涯を送った女は珍しくないのだろう。
「願いが叶った――あんたは幸運だったのか」
「面白い言い方ね。そうね」
彼女もグラスを傾けた。空いたグラスに、俺はイエスの血を注ぐ。
「多分、幸運だったわ。死にかけたのが、10月最後の夜で満月だったから」
その夜は、ハロウィン――魔物達が跋扈する夜。
元々はケルト民族の祭が発祥だが、中世にはキリスト教圏にも伝わって宗教行事になっていたはずだ。
「悪霊達の精を受け――憐れな小娘は生き返り、魔力を得たという訳」
ジャンヌはおどけた口調で微笑んだが、封印していた凄惨な過去が甦ったのか、青い瞳が潤んだように見えた。
「満月の夜に生まれ変わったせいか、あたしの魔力は満月を挟んだ半月の間しか使えないの」
「じゃあ、次の半月までは、まだ力があるんだろう?」
「残念だけど、鏡を動かすには、最大能力がなくちゃ無理なのよ」
飲み込めた俺は、溜め息を吐いた。
「――そういうことか」
眉尻を下げたままのジャンヌは、俺のグラスにワインを注ぐと、頬杖を付いた。
「ねぇ、デビッド」
彼女の肌にやや赤味が差している。食器もボトルもあらかた空いた。酔いが回ってきたに違いない。
「あなたは――何者? あなたのいた場所では、魔女は珍しくないの?」
「あぁ? いや、会ったことはねぇけど?」
21世紀でも、いるところにはいるんだろうが、幸か不幸かこれまで接点はなかった。ただ、祖父から聞いた昔話に時々登場したくらいか。祖父は東欧の出身だから、彼女らとも関わりがあったそうだ。
「恐く……ない?」
まるで嫌われまいとする少女のような顔付きに、思わずククッと笑いが漏れた。
「あんた、可愛いな」
「な――何よぅ」
首までロゼに染まったのは、酔いに感情が加わったせいか。
「あんたの秘密を打ち明けてくれたんだ。こっちも明かさにゃ、フェアじゃねぇよな」
俺は、グラスの中身を一気に空けると立ち上がる。
彼女の視線を感じながら、ブラウスのボタンを上から2つ外し、首のチョーカーをグイと引き――。
サァ……ッと、深紅の光が全身から放たれ、天井を仰ぐ。光が身体に馴染んだところで、顔をゆっくりと下ろす。緋色の焔を瞳に宿し、彼女を真っ直ぐに見詰める。
「あ……あ!」
驚愕、いや恐怖を浴びたように、ジャンヌは両腕をギュッと抱えるようにして、椅子の上で震えていた。
「――ふぅ」
深く息を吐き、ブラウスの背中に空けたドレープの隙間から闇色の羽を広げ、鋭く伸びた犬歯をニヤリと見せ付けてやる。
「あ、あなた……悪魔だったのっ?!」
「何でだよ。この時代でも聞いたことねぇか? 俺の一族は、吸血鬼と呼ばれているがね」
ー*ー*ー*ー
「……本当に、ここでいいの?」
毛布とクッションを抱えたジャンヌは、戸惑いながら俺を振り返る。
チョーカーのルビーに力を封印した俺は、元の人間の姿に戻っていた。コキコキと首と肩を回すと、ヤヌス鏡に歩み寄る。間近で覗き込んでも、鏡面は相変わらず白く濁ったままだ。
「ああ。棺桶でも寝れる身体だ。気にすんな」
窓のないバスルームは、改めて考えると吸血鬼には適した環境だ。
「……棺桶で寝たことが?」
俺が目覚めたバスタブにクッションを詰めたジャンヌは、怪訝な眼差しで見上げる。
「いや、俺はねぇよ。祖父が『落ち着く』って言ってたんだ」
「あなたって、よく分からないわ」
呆れ気味に眉を寄せた彼女は、脇を通り抜けようとした。
「それじゃ――おやすみ、ジャンヌ」
素早く腰を引き寄せて、唇を重ねた。一瞬身を強張らせたものの、彼女はさしたる抵抗もなく受け入れた。
柔らかな肌は抱き心地も良く、挨拶と言い訳するには長過ぎるキスになる。
「……あなたの国では、これって普通なの?」
涙の滲んだ瞳を伏せる。長い睫毛が、薄く影を落とした。
「ああ。ここじゃ違うのか?」
「――普通よ」
抱擁を解くと、彼女は慌てたように踵を返し、パタパタと走り去った。
魔女の割には初な反応が楽しい。ま、このくらいの代償は頂いても構わねぇだろう。何せ――彼女のせいでこんな物騒な中世に連れて来られたんだからな。
バスタブに身を沈めると、毛布にくるまった。
元の時代で使っていた低反発マットほどではないが、これはこれでそう寝心地悪いもんじゃない。
とりあえず、次の満月まで策を講じつつ、ここでの生活を楽しませてもらうさ。




