前書き 6
診療所について、中に入る。
受付は既に終わっているということで、待合室の端にある椅子に座る。
この部屋には既に三組の人たちがいた。
どれも、上司と部下の組み合わせなのだろう。
メンタルカウンセラーは需要がある。トップの人はどれだけ稼いでいるのだろう。
そんなことを考えた。
一組、また一組と、移動して、面談をしていく。
そして、自分の番がやって来た。
一人だけということで課長は待つことになった。
面談室のドアと横にずらし。中にはいる。
目の前には、女性が二人いて、左を向くように指示された。
部屋の中は広く、中央に楕円形のテーブルが置いてあり。テーブルの右端にはパソコンが置かれていて、そこにメンタルカウンセラーのトップが座っていた。
部屋に入った時に見た、女性たちの顔は覚えていない。それだけ印象に残らないような、綺麗でも不細工でも無いような普通の顔だったのだろうと今は思う。
それ以上にトップの顔は強烈に印象に残った。
年齢は四十代ぐらいだと思う。頭はモジャモジャ、髭もアフロを顎につけているような、モジャモジャだった。モジャモジャとしか言いようがない。目付きは鋭く。モジャモジャと合わせてよく分からない存在なのが印象に残っている。
不思議な人を演出して、面談者の心に衝撃と安らぎを与える作戦なのかと思った。
トップの前に椅子が置かれていて、トップと対面するように座る。
そして、お互いに自己紹介する。
トップの声は低く透き通っていて、所謂イケボというやつだった。
私はこれまで三回してきた説明を、トップにする。
これまでは、その話しに対して、感想や同情などを言って終わっていたが、今回は違った。
トップは話した内容に加え、これまでの人生について聞いてきた。
どこで生まれたのか、どうやって育ってきたのか、友達といて楽しかったか、なぜそう考えているのか、どうしてこの会社を選んでいたのか、いま、大切な人はいるのか、これまでに大切な人がいたのか、など。
完全にプライベートについて聞いてきていたが、これも、面談なのだという。
まずは、ここに来た原因。私の場合、自殺しようとした事の真の原因は会社にあるのか、私生活にあるのか、ということを知る材料にするとのこと。
また、面談者本人が自覚していない場合もあり、第三者として原因を見つけることにもなるとのこと。
正直、どうでもよかったので、聞かれたことにすべて答える。
結果としては、判断がつかないから、暫く仕事を休むということになった。今は何に対してもやる気が起きない状態だから、仕事を休んでやる気が起きるようだったら、それは仕事、もしくは、仕事で関わる人間関係が原因だったということで、職場を変えたり、時間を変えたりすることになるそうだ。
それに加え、とりあえず彼女を作れとトップに言われた。
話の内容の一つとして上がったのだ、彼女はいるのか?彼女はいたことはあるのか?と。
それに対して、今は居ません。いたことはありますと答えた。
それは高校生の時だった。
高校三年の修学旅行で海外にいった。期間は7日。宿泊先はホームステイ、一人に対して一家族。私のホームステイ先はとても楽しく、休みの日には色んな所に連れていってもらったし、日本の料理を振る舞ったりと、とても楽しい修学旅行だった。
修学旅行の行事のなかで、学生との交流があり、ペアを作って、一緒に授業を受けるというのがあった。
私のペアはひとつ下の女の子でとても可愛かった。
授業は数学と化学、そして音楽を受けた。
一番難しかったのは化学だった。なぜなら先生が何を話しているのかわからなかった。ある程度簡単な英語は知っていたけど。専門の言葉になると理解できなかった。ペアの子に絵を描いてもらってやっと理解できた。内容自体は習ったことのあるものだった。
数学は数式を見れば理解できた。そもそもやったことのある内容だったから、ついていくことができたから。
一番楽しかったのは、音楽だった。
これに関しては英語が使えなくてもいけた。そもそも英語を使う機会があまり無かった。歌うことは好きだったし、先生も個性的で面白かった。
そんなこんなで海外交流はとても楽しかった。
そして、交流の最終日、修学旅行の6日目。
全体交流の時間に告白された。
告白されたフレーズは「あなたの笑顔を見たときに好きになりました」というものだった。
本当にそういう意味かはわからないが、聞こえた英語を、変換するとこんな感じになった。
相手はペアの女の子、ではない。
音楽の授業の時に一緒だった女の子だった。名前はユリ。一度も話してはいない。
私は英語は少し聞き取れるが、話すことは難しい。自分が一言話す間に相手は三言話す。そんな感じ。
結局、ごり押しされて付き合ってしまった。
「私はあなたの事を、何も知らない」
「これから知る機会がいっぱいあるよ 」
「私は明日帰るから、メールでしか連絡できないよ」
「メールでも、電話でもいっぱいすればいい」
「私は、君の事を好きにならないかもしれない」
「絶対に私の事を好きにしてみせる」
「でも……」
「私、来年、日本の大学に留学するの。また日本で会える。その時にあなたにまだ好きな人がいなかったら、正式に私と付き合って」
「わかった。そのときが来たらね」
というような会話だった。そのときの彼女の笑顔は、可愛いと思った。
そして、次の日、飛行機に乗って日本に帰る。
フライト時間は11時間。時差は12時間、丸一日経過したことになった。
日本に着いたとき、やっと電波が届くようになり、機内モードを解除すると、
スマフォのバイブレーションが止まらなかった。
通知バーを見ると、次々と更新されていく彼女からのメッセージ、あっという間に通知欄が+99と表示されてしまった。
一日連絡してなかったことになるからなぁと思ったし99を越えるか?普通?と言う風にも思ってしまった。
そして、今疲れていて、めんどくさいからと返信せずにスマフォをマナーモードにして、ポケットにしまった。
それから一時間ほど経って、電車の乗り換えで待っているとき。同じクラスの女子に話しかけられた。
内容は、ユリから私の彼氏から返事が来ない。事故とかにあったりしてない?生きてる?大丈夫なの?というものだった。
連絡しても返事が来ないのは、飛行機に乗っているからと思っていたが、彼氏と同じ学校の友達から返事がきて、彼氏から連絡が来ないのは、彼氏に何かあったからと思って話しかけてきたとのこと。
返事してあげなよ。伝えたからね。そう言ってクラスの女子は元いたところに帰っていった。
今思えばこの時返事をしてあげればよかったかな、と思ったもするが。この時はやっぱりめんどくさくて、帰ったら返事しようと、スマフォを放置していた。
そして、家に帰ってきた。時間は土曜日の午前0時。
メッセージアプリを開くと、膨大な数のメッセージが入っていた。
一番新しいのは
「本当に大丈夫?生きてるよね?」
というものだった。
すぐに、「心配かけてごめん。今家に帰ったよ」とメッセージを送る。
すると、すぐに電話がかかってくる。
スマフォからよく聞き取れない英語が聞こえてくる。恐らく心配している声なのだろう。
つたない英語でこちらは大丈夫だよ。ということを伝える。
少しすると、声も静かになり、通話をテレビ電話モードに切り替える。
画面に写った彼女の顔は笑顔だった。
こちらも笑みを返す。
それから、よく分からない会話が続いた。
こちらが、つたない英語で一生懸命伝えようとするがよく伝わらなくて、何回も言い直す。向こうが、ネイティブな英語で話してくるので聞き取ろうと何度も聞き返す。……あれ?私がダメダメなんじゃない?とか思ったりもした。
それから、眠くて意識を無くそうとしているのに気づくと、ねぇ、ちゃんと私を見て。と、ちょっときつめの言葉で伝えてくる。
そんな感じで、通話をしていたが、向こうも疲れてきて。また明日と言って通話を切った。
壁にかけている時計を見ると午前六時だった。
明日も休みだから今日は一日寝ようと、アラームを設定せずに眠りについた。
目が覚めたのは、午後二時。
顔を洗って、遅めの昼食を取り、ゆっくりしていると、ふと昨日の会話をおもいだした。
それは、私は写真を投稿するのがメインのSNSをやっていると言うことだった。
気になったので、そのアプリをインストールして、彼女のアカウントを探す。
そして、アカウントを見つけて、ページを開くと、最新の投稿に私の写真が写っていた。「私の大切な彼氏と電話♪とても楽しい時間だった!」と言う文章を添えて。
その投稿を見たとき、私はイラっとしてしまった。