前書き 2
目が覚めると、部屋が明るかった。太陽の光がカーテンに当たって明るくなっていた。
時間を知るために、スマフォを取ろうと左手を動かし、距離が足りないため、体を右に寝返りをうつ。
すると、お腹に載っていた何がベットの上に落ちる。
それが包丁であることに気づいて、びっくりする。動きは無いが。
包丁を無視して、スマフォを取る。
時間を見ると、午前九時だった。
出社時間を過ぎているので、入社して初めての遅刻である。……いや、行く気が無いので初めての無断欠席である。
スマホの画面の中央、時間表示の下に、電話機のマークが3つあった。恐らく上司からの、電話であろう。
これから事情説明をしないといけないのがめんどくさい。
改めて、自殺できなかった事を後悔した。
このまま無視して逃げることも可能だけれど、失踪した後の事を考えると、警察を通して会社自体に大きな迷惑がかかってしまうと思い、実行できなかった。
第一、寮に住んでいるので既に寮の管理者に連絡がきているはずだ。
なにしろ初無断欠席なのである。今まで一度も休んだことの無い人が急に無断欠席したら、知る人は誰でもおかしいと感じるだろう。
結局、自殺をする事、逃げることを諦めて、上司に連絡をする事を選んだ。
上司の連絡先を表示して、電話をかける。
1コールですぐに上司が出た。
どれだけ心配してくれていたのだと思った。
もしかしたら、たまたま手元にあっただけかもしれないが。
「おはよう。よく眠れた?」
と、上司が聞いてくる。
その台詞はよく知っていた。
同じ部署に、よく遅刻してくる人がいた。その人は、起きたらすぐに上司に電話をかける。そのときの第一声は必ずそう言うのだ。
他の人たちもそのやり取りを聞いて、相変わらずだな、と目配せをして、職場の空気が少し緩くなっていた記憶がある。
「おはようございます。よく眠れました」
と、ただ寝坊した風を装おって返事をする。
「どしたの?珍しいね」
こちらの状況を知らない上司は、明るい声で聞いてくる。
「私も珍しいと思いました」
自殺しようとしたんですよ。という一言が言えず。別の言葉に逃げてしまった。
電話越しに、上司の微笑が聞こえてくる。
「えっとですね。……あの、えっと」
その単語がうまく声に出せない。事実を伝えるだけなのに。心配をかけたくないのか、失望されたくないのかわからない。
ただ、言葉に出せない。
上司は言葉を待っていてくれている。
「……自殺しようとしました」
やっとの思いで言葉に出来たが、少し早口になってしまった。
「え?」
「自殺しようとしましたが、できませんでした」
聞こえてなかったのか、想定外の言葉だったから驚いたのか、そう返事した上司にもう一度同じ事を言った。今度は、落ち着いて言えた。
「そうなのかー」
「はい」
上司は明るく言葉を放った。軽いなと思ったが、今思えば、職場に影響を与えないようにしていたのかもしれない。
「ちょっと上司に変わっていい?それとも、俺と話した方がいい?」
そう聞いてきた。
少し考えたが、上の職制の方がいいと思い、
「変わってもらえますか?」
と、返事をした。
「わかった」
その一言が聞こえたあと、上司が動くのがスマフォ越しに聞こえてきた音でわかった。
内容は聞こえないが何かを話している音、歩く音、扉が開く音、閉じる音。
上司が、上司の上司=課長に事情を説明して、空き部屋に移動したことがわかった。
「もしもし」
課長の声がスマフォから聞こえた。
「もしもし」
「今はもう、大丈夫?」
課長の気を使うような声が聞こえる。
「今の所、死ぬ気はありません。というより自殺できませんでした」
と、ベットの上にある包丁に視線を向けて返事をする。
「そうか」
課長の短い返事が聞こえた。
「それからなんだけど、今から会いに行っていい?」
「大丈夫です」
課長の問いに、これがかわいい彼女とかだったら嬉しいのにな、と実際は嬉しいと思わないのにそう思って、返事をした。
「わかった。すぐに向かいます」
と、言ってから、上司に電話が変わった。
「課長がそっちに着くまでなにか話す?」
と、上司が聞いてきた。
その提案に乗り、色んな他愛のない話をした。
美味しいものは先から食べるか、後から食べるか?休憩中のテーブルにおいてあるお菓子、最後の一個になると取りにくいよね。流れ星が流れてる間に願い事三回言うの難しいよね。飴は噛み砕くのか舐めて食べるか。など
色んなどうでも良い話をした。
自殺や死を連想させるような会話に一度もならなかった。
上司はイイ人だな、と改めて思った。
課長から、着いたと連絡がきたので、通話が終わった。
久しぶりに人と長時間通話をしたと思った。
ドアが、三回ノックされた。
ドアを開けると、スーツを右手に抱えた、カッターシャツ姿の課長がいた。
課長は私の姿をみて、
「生きていてくれてよかった」
そう言った。