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とある死志望者の日記  作者: 冬真 春
てきとうなとこを書くだけの只の自己満足
13/14

金と愛

 (かね)と愛。


 それはこの世には無くてはならないもの。

 どちらか片方が掛けてしまってはダメになってしまう。割合は人それぞれでも0に絶対にしてはいけないもの。


 この二つの物が一つの言葉によってルールを決められたとき、その二つのなかで争いが起きてしまう。


 その一言とは、

「どちらか一方しか選べないのなら?」




 古来より、人と人はあらゆる物事で争いを起こしてしまった。

 領土を得るために。食料を得て生き抜くために。自分の誇りを守るために。他者を否定するために。


 武器や兵器を使った、肉体的に戦い争った時代は終わり、パソコンやスマートフォン、インターネット環境の構築と共に顔を会わせなくても会話が出来るようになった世の中。お互いにお互いを簡単に知ることの出来る世の中。


 そんな便利になった世の中でも争いは無くならない。


 使う武器は言葉。


 言葉は正しく使えば、コミュニケーションツールで時には人の心を救うことが出来る。一方で使い方を誤れば、人を傷つける武器となる。


 言葉で争うことは悪いことではない。

 それぞれが別の立場になり、お互いの状況を知ることが出来る。

 知ることが出来るということは、良い所も悪いところもわかるということなので、良い点を伸ばすことも悪い点を改善することもできる。


 問題なのはやり過ぎることなのだ。

 一つの物事について必ず良い点悪い点が存在する。光と影があるように片方だけを無くすことはぜったいに出来ない。少なくすることは出来るが。

 そこで、悪い点だけを挙げ必要以上に責めるとその時点で苛めとなる。

 何事にも、ちょうど良い割合があるはずだ。


 話を戻そう。


 金と愛。この二つは生きていく上で切り離せないものである。

 金だけあっても、人と人とが繋がっているこの世界で孤独になんてなれやしない。必ず、どこかで誰かと関わって生きているのがこの世の中である。誰も信じられなければ人間不信になってしまう。

 反対に愛だけあっても、生きる上で必ずお金が必要な場面が発生する。大昔なら、農業や漁業で自給自足の生活が出来ているだろうが、現在は何かしてもらうための対価は大抵お金である。


 と言うように世の中の物は0には出来ない。あらゆるものにそれと反対の対価が発生する。


 と言うように、世の中には切っても切れない縁をあえてえんがちょして、討論の題目とすることがよくある。


 因みに私自身はどちら片方しか選べないのなら迷わず「金」を選ぶ。やはり、先立つものがなければ、生きていけないのである。私は死にたいと思っているが、苦しい死は嫌だ。略して苦死。


「金と愛」以外にも「黒か白か」「ぶたじるかとんじるか」「キノコかタケノコか」「トリックオアトリート」等様々な題目がある。


 これらは永遠に終わらない議題であり、相手を知ることや、会話につまった時の振りとして多用されている。


 ディベートは広く使えるゲームの一つでは無いだろうか。それこそ子供の教育にも良いのではないかと私は思う。

 その議題について、自分の立ち位置から、良い点悪い点を探して、良い点はどうやってアピールするか、悪い点はどうやって対策するかを考えることでその力が身に付く。それを相手にぶつける。明確な敵がいることで、競争心が増す。

 攻撃すれば、相手から攻撃されることも理解できる。

 論理的に考えることで、考え方を理解できる。


 全く良いこと尽くしではないか!

 私自身も子供の頃、ディベートをやっていれば今とは少し変わっていたのだろうか?

 まあ、討論する相手がいなかったので変わらないのだろう。頭ひとつ抜けていた訳ではない。周りに人がいなかったのだ。


 考えることは一人でも出来る。むしろ、深く考えるのなら一人の方が良いのではないかと思う。もう少しで答えが掴めそうなのに、話しかけられて意識がそっちに向いて考えていたことなんて良くある。


 ただ、アイデアを出すのならやはり、複数の方が良い。それこそ、ブレインストーミングのようにとりあえず意見を出すのならより多くの意見が出るだろう。一人だと自分の知っていることしか出てこない。それだと深い思考に入っても、知っている答えしか出せない。考えるキーワードがいつも同じなのだから。


 結局、世の中はあらゆるものが複雑に絡み合ってバランス良く存在している。蟻の集団の中でサボっている蟻を排除したとしても、働き蟻の中からまたサボる蟻が出てくるように。必ず何かを0にすることは出来ない。

 何かを0にしたまま存在できるのなら、それは別の新しい何かなのだろう。


 結論

「金さえあれば大抵のことは出来る」

キノコかタケノコかと聞かれれば、私はチョコが嫌いだから食べられないと答えます。

バレンタインなんて、チョコ貰えなくても寂しくないもんね!

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