お前にこの毒が飲めるか
2165年 6月25日
15年前
『ごめんなさい……私、付き合ってる人が居るから……』
高校時代、俺はクラスメイトの女子へ想いを告げた。
結果は惨敗。もう既に彼女には相手が居たのだ。
『あぁ、すまん……忘れてくれ』
その告白を最後に、彼女と会話した記憶はない。
俺は今更ながら後悔していた。
こうなる前に……せめて彼女の笑顔を見て卒業すれば良かったと。
午後23時00分 都内 某大学病院 集中監視施設
俺の元に彼女が事故にあった、と友人から報せが入ったのは一時間前だった。
大学の研究室でFDWの義体を検査中、突如として彼女の状況を知らされたのだ。
ガラス越しに集中治療を受ける彼女を見る。無菌室のカプセルの中で眠る彼女。不謹慎極まりないが、その姿は棺桶の中で眠る死体のようだった。
いつかの文化祭を思い出す。高校時代、彼女と共に主役を演じた演劇を。
ロミオとジュリエットという俺の大嫌いな恋愛悲劇。
何故今それを思い出す、と思わず目の前のガラスを殴りたくなってくる。
彼女は死んだわけではない。まだ確かに息がある。
トラックに跳ねられ、胸から下と左腕が潰された彼女。
こんな状態で生きている事自体が奇跡なのだろう。事実、今彼女は治療というより、延命処置を施されている状態だった。
「ハラルド君……」
俺の名を呼ぶ男。彼女の夫だ。俺の高校時代のクラスメイトでもある。
廊下の長椅子の上で力なく項垂れ、彼の横には彼女の娘が毛布に包まって眠っていた。
「すまない……俺は何も出来なかった……」
一体何を謝っているのだ、この男は。
俺は黙って彼の隣に座り、震える肩へ落ち着かせるように手を掛けた。
「……謝るのは俺だ。何も言葉が出てこない……」
励ませばいいのか? 一体何と言って励ませばいい。
愛する妻が、トラックに体の半分を潰され瀕死の状態なのだ。
こんな状況で俺は何と言えば良い。
ふと彼の隣で眠る子供を見る。
二、三歳だろうか。比べるまでもなく母親似の女の子だった。
「その子……名前は?」
「……あぁ、麻耶だ。先月で二歳になった……」
「そうか……うちは二人目が生まれた。一人目の男の子は俺に全く似てない」
俺は励ましているつもりなのだろうか。
訪れる沈黙に耐えられず、俺は立ち上がり再びガラス越しに彼女を見る。
助けたい、出来る事ならもう一度……彼女の笑顔が見たい。
だがそれは不可能だと俺は知っている。
助かる見込みがあるとすれば義体だ。彼女の脳を換装し、FDWの義体へと移す。
しかしそれを実行するには面倒な法の壁がある。
意識の無い患者の体を勝手に義体へ移す事は出来ない。
(なら一部……脳の換装さえしなければ……)
だがそれも無理な話だ。
一体どこにそんな便利な義体がある。
義体とて万能ではない。適合させるにはナノマシンのデーターを取り出し調整する必要がある。
だがそんな時間は無い。取り付けただけで適合する夢の義体など……
(いや……まて、あの義体なら……)
そうだ、今研究している義体ならば出来るかもしれない。
一世紀前の世界大戦から生き残っているFDWの義体。
人間の自己治癒能力を極限にまで高めたかのような異常な再生機能を持つが、その機能にナノマシンが一切関わっていない。つまり彼女のナノマシンと喧嘩する事は無い。それでも調整する必要はあるが、あの義体なら誰にでも適合する。正直オーパーツ的な義体だ。一世紀前にどのような手段で作成されたのか分からないのだ。
そんな義体が、一か月程前に教授の手によって持ち込まれた。
(出来るかもしれない……だが医師は……? 正式な書類を揃える暇など無い。腕のいい話の分かる人間が居れば……)
「ハラルド君……」
必死に彼女を助ける手段を模索していると、後ろのベンチから泣きそうな彼の声が聞こえてきた。
ゆっくり振り返ると、実際彼は泣いていた。
そして拳を握りしめ、何か決意したような顔を向けて来る。
「もう……ゆっくり眠らせてあげよう……さっき、先生に言われたんだ……生命維持を外すタイミングは任せると……」
「……ちょ、ちょっと待ってくれ! もしかしたら助かるかもしれない、もしかしたら……」
「もういいんだ……もう……すまない……」
そのまま幽霊のように立ち上がり、監視室に備え付けられた内線に手を伸ばす男。
その震える手を止め、説得を試みる。
「まて……! 俺の研究室に中身のないFDWの義体がある! あの義体なら……」
「もういいんだ……もう……俺も……彼女を見送ったら……」
「お前……っ!」
思わず男の頬を殴っていた。
一瞬頭に血が昇った事を後悔する。
この男の気持ちは痛い程分かる筈なのに。
「もういい……もういいんだ……」
床で蹲り、大粒の涙を流す彼女の夫。
その涙を見た瞬間、再び思いだされる。あの大嫌いな恋愛悲劇が。
「すまん……だが少しでいい、俺に……時間をくれ……」
「君に……何が出来る……」
分からない。
俺に出来る事など……自分の手を汚す事くらいしか思い浮かばない。
「何の騒ぎかね」
その時、医師だろうか。
白衣を来た男が集中監視室から出てきた。
人の好さそうな顔をしている。
「君、ここは病院だ。騒ぎたいなら出ていきたまえ」
白衣を着た男は俺に無表情のまま言い放ってくる。
ふと首から下げた認識証を見ると、聞き覚えのある名前だった。
金鳥 辰巳
「……金鳥……もしかして、○○大学の教授とお知り合いでは?」
「……? あぁ、君はもしかして彼の弟子か。聞いてた通り……日本語が達者だな。例の義体の調子はどうかね」
この人もしかして……あの義体の提供者か?
なら……教授の言う事が正しければ、この金鳥という医師なら……
「……先生、数か月前に……人体実験を行ったというのは……本当ですか」
その言葉に金鳥の眉が一瞬釣り上がる。
図星か、行きたくもない酒の席がこんな所で役に立つとは。
「あいつめ……相変わらず口が軽いな。何故そんな事を聞く。興味本位で聞いている訳では無さそうだが?」
「例の義体、その時の協力者らしいですね。なんでも粒子血栓除去と双子の出産を同時に行う手術だったとか……しかし本当は……」
そこまで言うと金鳥は片手を上げて制して来る。
先程まで穏やかだった金鳥の視線は鋭くなっていた。
教授の話は本当だったのか。妊婦をAI化し、胎児の体を作り変えたというのは。
「余計な詮索はいい。君の要求は?」
「……彼女を助けたい……例の義体を彼女に移植する」
難しい顔をする金鳥。
それはそうだ、これは犯罪行為。
なにせ、あの義体は明らかに”戦闘用”だからだ。
それもかなり高性能な。
「考えている事は分かった。だが私の義体に関する知識は一般人に毛が生えた程度だ。とても出来るとは……」
「義体の調整は俺がやる。金ならいくらでも払う、なんだったら……俺を人体実験のサンプルに……」
「君は私を何だと思ってるんだね……まあいい、貸し一つだ。やるなら早くしろ」
「……ニ十分で戻る、恩に着る」
それだけ言って病院内を走りだした。
真っ暗な空間をひたすら走る。
彼女を助ける、ただそれだけを想いながら。
※
大学から義体をトラックで持ち出し、病院内へと持ち込んだ。
医師の他に助手らしき物が数名。その全員がFDWだ。
「当然ながら、この手術は非公認だ。降りたい者は今すぐ降りろ」
だが全員出て行こうとはしなかった。
彼女の状態を見て、悲しそうな顔をしている者も居る。
正直、俺はFDWの事を同等の人間だと思った事は無い。なんせ研究対象が彼らの義体なのだ。明らかに人間とは違う素材で構成された彼らを、俺は便利な人形程度でしか見ていなかった。
この時、俺は初めてFDWを人間だと感じた。
だからだろうか、思わず涙が溢れ出て来る。
「では始める。朝霧 紗弥へ、義体を移植する」
手術が始まった。
俺は片っ端から義体をバラしていき、ナノマシンの管理を助手のFDWに指示しながら調整していく。
通常ならば彼女のナノマシンも一度解析し同期させる必要もあるが、そんな時間は無い。
(この義体なら……可能な筈だ……頼む……無事に……)
彼女の欠損した内臓の代わりに、義体の内臓を次々と移植していく。
やはり、この金鳥医師は相当の腕だ。
本当に人間か? と疑いたくなる程に仕事が早い。
「君……名前はなんといったかな」
「あ?」
思わず間抜けな声が出てしまう。
このタイミングで何故名前など聞くのだ。
指示なら別にお前でも貴様でも構わない。
「葉月……」
「葉月君、手が震えているぞ。少し落ちつけ」
何を言いだすかと思えば……。
落ち着ける筈が無い。一歩間違えれば彼女は今すぐにでも死ぬ。
こんな状況で……
「人間の死とは何だ、肉体が死ねばそれで終わりか?」
「……何?」
金鳥は手を休める事なく、そんな事を俺に聞いてくる。
俺も義体の調整をしつつ、耳を傾けていた。
「……少なくとも一世紀前はそうだった筈だ。でも最近は……少し違うかもしれない」
「興味深い、話してくれ」
なんなのだ、この医師は。
手術中に雑談するのか?
俺は次々と内臓を移植していく金鳥の手捌きに見惚れつつ、要求通り質問の答えを模索する。
「人間の大半は魂の存在を認めていない。あんたもそうだろ」
「当たり前だ。そんな物があれば医師などいらん」
俺は周りのFDW達に目配せしつつ、端末を操作し、それぞれに指示を出しながら金鳥の雑談に付き合う。
「でも……FDWに反感を持つ人間は少なくない……俺も……さっきまではFDWは人間とは程遠い存在だと思ってた……」
それを聞いて、助手の一人が俺の肩を叩きながらGJサインを送ってくる。
微かに胸が熱くなるのを感じる。
「それで?」
「それで……人間の大多数が、彼らに魂はあるか、と聞かれた時……殆どの者が魂は無いと答える。明らかに矛盾してる。魂の存在なんて認めてない人間さえも、FDWには魂が宿ってないと答える……まるで人間には魂が宿っていると言いたげに……」
「成程、矛盾してるな」
全ての内臓が移植された。ここまで三十分掛かっていない。化け物か、この医者は。
「で……FDWの死はジュールなら脳の破壊。一切の電気信号も発し無くなったら死亡と断定する。でも記憶を記録した媒体さえあれば……以前と変わらない状態で復活できる。マシルに至っては……ネットを殲滅するか、スタンドアローンのブラックボックスに閉じ込めてウェルスを流し込むか……どちらにしても”死んだ”とは言い切れない」
次に欠損した下半身を移植。
多少不格好だが仕方ない。目を覚ましたら好きにカスタマイズしてもらおう。
「成程、FDWには明確な死が無いと言いたいのか?」
「そうじゃない。FDWにだって死はある。しかし少なくとも、彼らの死は肉体の死じゃない。ならそもそも……人間の死が肉体の消滅だと何故言い切れる。人間だって、脳を解体、解析してナノマシンの”群”で再現すれば……元の人間になる」
「それはAI化の事を言っているのか?」
「そうだ。だが大半の人間はこういうだろう。そいつには魂が宿ってないと。さっきの話と同じだ。魂の存在を否定しているくせに、義体には魂が無いと言い出すんだ」
気がつくと手の震えは止まっていた。
だがまだ安心できない。彼女に移植した内臓が正常に動き出すまでは。
「成程、つまり君は人間の死が肉体だと証明するには……魂の存在を立証する必要があると? それが出来なければ、義体に魂が宿ってないと言えないからな」
「……夢物語だ。魂の存在なんて、結局は死んでみないと分からない」
「……そうだな」
※
手術が終了した。
だが、まだ彼女の内臓は機能していない。
このまま生命維持装置を外せば死んでしまうだろう。
死ぬ……?
さっきまで肉体の死は明確な死じゃないとか講釈垂れておいて……結局はそうなのか。
俺自身も……彼女の肉体が死ねばそれで終わりだと感じている。
たとえ脳を解析して再現したとしても……それは彼女じゃないと俺は言うだろう。
「バカか、俺は……」
手術室のベンチに腰掛け、体の半分をサイボーグ化した彼女を見る。
再び無菌室のカプセルに入れられ、ここでもまた、あの演劇の記憶が蘇ってくる。
ロミオはジュリエットが死んだと思い込み毒を飲んだ。
でも俺は違う。
あの時代とは技術が違う。
だがどうしても、カプセルに入った彼女が重なる。
棺桶で眠るジュリエットと。
「朝霧……紗弥……」
そっと彼女が眠る棺桶に寄り、そっと顔を眺めた。
彼女の心臓は動いている。
だが内臓の活動を示すパラメーターが全く変化していない。
「内臓に人工血液は流れてる。でも機能しない……まだ義体の内臓に脳からの電気信号が送られていないんだ」
ロミオはジュリエットが死んだと思って毒を飲んだ。
もう少し待っていれば、目覚めたジュリエットと逃げる事が出来たのに。
「頼む……っ」
俺は奇跡など信じない。
それは積み重ねられた必然だからだ。
今、この時も同じだ。金鳥医師は完璧だった。
なら俺は? 義体の調整、ナノマシンの管理、ソフトウェア……
「頼む……動いてくれ……」
暗い空間
彼女が眠る棺桶を覗き、俺は叫ぶように言い放った
「動け……起きろ……! 紗弥……!」
再び蘇る記憶。
高校時代、彼女と演じたロミオとジュリエット。
あの時、俺はロミオを演じて毒を飲んだ。
ジュリエットはロミオが毒を飲んだ直後に目覚め、自決した。
その結末が大嫌いだった。ロミオはただ会いたかっただけだ。笑顔のジュリエットに。
悲劇だ。誰もが疑う余地も無い程に。
だが今は違う。
悲劇で終わらせない
この現実で、この世界で
俺と彼女は決して悲劇で終わってはならない
「延命装置を……切る」
これ以上無理やり肺と心臓を動かしても意味は無い。
彼女自身が生きようとしない限り、義体の内臓へ脳からの電気信号は流れない。
もしこのまま死んでしまったら……そう思うと延命装置の解除キーを押す手が震える。
これは毒だ。
ロミオが飲んだ毒と同じだ。
笑顔の彼女と再び会う為に……俺は、この毒を飲む
俺は彼女を殺した事を一生悔やみ続けるだろう
解毒できない、何をしようにも体の中に残り続ける毒
さあ、覚悟を決めろ
この毒を、お前は飲めるか?
「……飲めるさ……一滴残らず……飲み干してやる」
延命装置の解除キーを押す。
心電図モニターのアラーム音が鳴り響く。
そっとそのアラームを止める金鳥医師。
何も聞こえない
まさに闇だ
だんだんと……視界から彼女が消えていく
視界が闇へ沈む
もう、何も見えない、何も聞こえない
彼女は……紗弥は……死……
「……死亡を確認した。撤収するぞ」
金鳥医師の声で現実に引き戻される。
助手のFDWが泣いているのに気が付いた。
あぁ、あのFDW……涙腺機能なんて付けて……
その時、再び心電図モニターのアラーム音が鳴り響いた。
全員がその画面に注目する。
ピ、という電子音と共に流れる心電図波。
動いている。
彼女の心臓が……
「ボーっとするな! 内臓のパラメーターをチェックしろ!」
金鳥医師に怒鳴られ、義体の管理をしている端末をチェックする。
起動している。義体の内臓が正常に動いている。
「奇跡だ……」
思わず口にしてしまった。
そう思わずに居られなかった。
「奇跡では無い。君の腕が確かな事が証明されただけだ」
金鳥医師の言葉に体中が震え、そのまま床に尻餅をついた。
足が震えて立つ事すらできない。
あぁ、毒が回ってきたのかもしれない。
もう……瞼が重い……
それから病院で一夜を明かした俺は、普通の生活を送る。
あれ以来、彼女には会っていない
彼女の笑顔が見たいから、と言っておいて何だが、俺には既に妻も子供もいる。
これは浮気では無いよな……? と心配しつつ、俺は我が家へと帰宅した。
――15年後
紅葉の下
息子の高校のベンチに腰掛け、美人教師から聞いた情報を思い出す。
「あの朝霧さんの娘がリオと……あのやろう、俺はフラれたってのに……」
電話でリオを呼び出し、紅葉を見上げながら待つ。
すると校舎群の方から我が息子が向かってくるのが見えた。
「……生意気な奴……」
全く俺に似ていない息子
だが中身は全く一緒のようだ
まさか親子そろって……同じ血縁の女に惚れるとは
「楓に知られたら殺されるな……」
勿論妻には内緒だ
この想いは、あの日の秋風に……置いてきたのだから




