麻耶 P16
11月 14日 (火)
目を覚まし、上体をゆっくり起こす。
自分でもびっくりするほど体が軽かった。どうやら風邪は全開したらしい。
和室から出てリビングへ。
すると父が既に起きていて、新聞を読みながら母の作る朝ごはんを待っているようだった。
「おはよう」
父に挨拶すると、「ん」と頷くだけの反応が返ってくる。
今まで父は不愛想な男だと思っていたけど、もしかしたら恥ずかしいだけかもしれない。
風邪が全開して気分が楽になっているのか、私は父にイタズラしたくなってくる。
「父さん」
「……ん? どうした」
「大好き」
それだけ言って母が朝食を作っているであろう台所へと逃げるように向かう。
父は何も言ってこない。でもきっと、今頃父は新聞紙で真っ赤な顔を隠してるに違いない。
「母さん、おはよう」
「あらーっ、麻耶ちゃん大丈夫? ぁ、お風呂入る? 体気持ち悪いでしょ」
「うん……それよりお腹空いた……」
母は相変わらずニコニコしながら、父の弁当のオカズのミートボールを一個、私の口の中へと放り込んで来る。
「ちょっと待っててね。もう出来るから……ぁ、お父さん呼んできてくれる?」
うん、と頷きつつ父の元に向かうと……そこにはフルフェイスのヘルメットを被った不審者が。
「……何してんの? 父さん」
「別に……」
そういいながら新聞を読み続ける父。
だが読める筈が無い。ただでさえスモークが入っているヘルメットで、新聞の小さい文字が見える筈が無い。
「ご飯だから、来てって母さんが……」
「あぁ、分かった」
そのままフルフェイスのヘルメットを被ったまま台所へと移動する父。
当然のように、母から叱られる事態となった。
※
学校に行く支度をしていると、リオ君がしていたマフラーを見つけた。
もしかして私に巻いてくれていたのか。
「麻耶ー、学校行くならお父さんが送っていってくれるって」
「ぁ、うん。分かった」
マフラーを首に巻きつつ、鞄を持ち外に出るとタバコを吹かしている父の姿が。
「もう、娘が学校に行くって時に……煙草なんて吸わないでよ、あなた」
「ん? あぁ、すまんすまん」
タバコの火を消しつつ、父は運転席へ。
私も母に「いってきます」と言いつつ助手席へと座った。
「父さん、朝ごめんね、恥ずかしかった?」
「……んっ、んっ……」
咳払いで誤魔化す父。
そのまま母に見送られつつ、父の車で高校へと向かう。
途中、真っ赤にそまった紅葉が目についた。
なんて綺麗なんだろうか。桜も綺麗だけど、これはこれで破壊力がある。
「今日は帰り何時になる」
紅葉に見惚れていた私に、父は突然そんな事を聞いてきた。
何時になるだろうか。文化祭の準備もあるだろうから、正直分からない。
「病み上がりなんだからな。あまり遅くになるようだったら迎えに行く」
「うん……分かった」
正直過保護なのでは? と思ってしまうが、父の気持ちも汲んでやろう。
リオ君をいきなり家に連れ帰ってしまったのだ。
父としては心配だろう、同じクラスにそんな男子が居ると分かれば。
高校の正門前に到着し、車から降りる私。
当然のように登校する生徒達から注目される。車で送ってもらえるとは、どんなお嬢様だと。
「じゃあな。リオ君によろしく伝えといてくれ」
「え?」
そんな事を言い残して走り去っていく父。
よろしく伝えておいてくれって……あの父にそんな事を言わせるなんて。
リオ君は父に一体何をしたのだ、と思いつつ校門をくぐると、生徒指導の井之頭先生が竹刀を持って立っていた。体育の教師でもある井之頭先生。皆は厳しい厳しいと嫌っているが、私は寧ろ好きな方だ。
「おはようございます、先生」
「あぁ、朝霧。クリス先生から聞いてるぞ。風邪はもういいのか?」
「はい、大丈夫です」
そうかそうか、と大きな手で頭を撫でて来る。
この手が何気に好きだ。
とても暖かい。父のような手。
私は父に頭を撫でてもらった事など無いが。
「あまり無理しないようにな」
「はい、失礼します」
そのまま進学科棟に向かうと、彼の後ろ姿が見えた。
思わず心臓が高鳴る。
彼に会える、と思っただけで体が熱くなる。
ゴクっと唾をのみ込みつつ、まるで獲物を狙うトラのように静かに背後へ。
そのまま声をかけようとしたとき、後ろから何者かに抱き付かれ邪魔されてしまう。
だ、誰だ! もう少しだったのに!
「まーやぁー! 会いたかったよぅーっ 寂しかったよぅー!」
瑠衣が抱き付きながら頬ずりしてくる。
うぅ、濃い、濃いスキンシップ。
わかった、わかったから……っ と何とか瑠衣を引きはがすと、こちらに気づいた彼が振り返って私を見ていた。
目が合った。
彼と目があった。
何てことない事でも、今では心臓が破裂する程嬉しい。
たった一日会ってないだけなのに……彼が目の前にいる事が奇跡だと思ってしまう。
「お、おはよう、リオくっ……!」
と、突然手を掴まれ音楽準備室へと連れ込まれる私。
え、えっ?
ちょ、何? 何されるの? なにしてくれるの?!
「朝霧……その、すまん……相談がある」
「な、何?」
何気に壁ドンしながら顔を寄せて来るリオ君。
こんなに……こんなにも積極的だっただろうか、彼は。
「実は……ロミオとジュリエットをやるに当たって……その……クラスの連中には俺達が付き合ってるって事、秘密にした方がいいと思うんだ」
そういう事か、まあ確かに……周りから色々言われるのは私もあまり好きじゃ無いし……
「やっぱり……付き合ってる二人がロミジュリの主役なんて……その、なんていうか……」
「う、うん、わかるよ。リオ君の言いたい事……見せつけてるみたいで嫌なんだよね……?」
「い、いや……別に朝霧との関係がバレるのが嫌ってわけじゃないぞ? ただ……」
そんな彼の唇を、私の唇で黙らせる。
あぁ、だって……もうガマン出来なかったんだから。
「リオ君……私が寝てる時にキスしてきたよね……仕返し」
「……うん……じゃあさらに仕返し……」
私を抱き寄せ、唇を重ねて来る彼。
リオ君の首に腕をまわし、私も抱きしめながらキスを……もっと、もっと……とおねだりする。
「なんか……映画に出てきたロミジュリみたい……」
彼がそんな事を口にする。
映画? 映画を見たの?
「あぁ、早乙女からオススメされて……演劇部に資料としてあったんだ。朝霧も見るか? 少し前の映画だけど……」
「うん……見たい……」
そっと手を握りしめ、その温度を確かめる。
あぁ、彼の手だ。
ほんとにほんとの……彼の手だ。
「あ、そのマフラー……」
「ぁ、ごめん、返そうと思って……付けてきちゃった」
マフラーを外そうとする私の手を止めるリオ君。
「教室でいいよ。ここは寒いし……って、あかん! また麻耶が風邪曳く!」
途端に焦りだす彼。
急いで戻らなければ、と音楽準備室の扉を開けて教室に。
空調の利いている教室は暖かい。
私はそっとマフラ―を外し、リオ君へと手渡そうとするが
「帰り……また寒いだろうから持ってていいぞ。俺今日泊まりだし……」
「……え? 泊りって……宿泊して文化祭の準備するって事?」
頷く彼。
その時、私は何故風邪など曳いてしまったのだと後悔した。
だがもう遅い。無理はするなと父にも念を押されているのだ。
うぅ、宿泊して文化祭の準備とか……凄い楽しそうなのに……っ
※
午前の授業が終了し、午後からは文化祭の準備に取り掛かる。
私はリオ君と共に演劇部の部室へと来ていた。すでに開いている部室の扉。
中に入ると、一人の女生徒が椅子に座ったまま微動だにせず佇んでいる。
「マクティ、悪い、待たせたか?」
『……イエ、それほど待ってはいませン。そちらがジュリエット役の方ですカ?』
この子……FDWか。
でも瑠衣とは全然違う。まだAIとしては幼い方なのか。
『こんにちハ、私は情報技術科一年、マクティベルと言いまス。マクティと読んで下さイ』
手を差し出されつつ自己紹介される。
私はその手を取りつつ、自分も名乗る。
「進学科三年……朝霧 麻耶です……麻耶って呼んで貰えれば……」
『では麻耶、どうぞ座って下さイ。もう準備は整っていまス。いつでも上映できますのデ』
いいながらパイプ椅子へ座る様進められ、そっとリオ君の隣りへと。
そして何か気を使っているのか、元々リオ君の隣りにあったパイプ椅子を私の横に移動して座るマクティ。
私を挟むように二人は座り、前方のスクリーンにタイトルが表示された。
燃えろ! 闘魂! プロレス界の星達!
汗まみれの男二人がリングに上がり、熾烈な戦いを繰り広げる。
しかし片方の男が突然胸を押さえて倒れ、救急車で病院に。
診断は急性胃腸炎。
確か胸を押さえて無かったか。胃腸炎ならお腹だろう。
私が首を傾げていると、マクティが立ち上がり映像の再生を止める。
『すみませン。間違えましタ。実は最近格闘技にハマってテ……失礼しましタ』
ぁ、ちょっと続きが気になるが仕方ない。
私はロミジュリを見に来たのだから。
『では気をとりなおしテ』
今度こそ、とロミジュリの再生を開始するマクティ。
タイトルが表示され、映像が流れ始める。
サム&ジュリー ~激しいイタズラバトル~
あぁ! 惜しい!
でもこれはこれで見てみたい!
超有名なトラとカピバラの友情物語だ。
カピバラがトラに対してイタズラを仕掛け、見事に罠にハマるトラの様子が面白いと評判になったアニメだ。私も子供のころはよく見てた。
『ムム、すみませン、間違えましタ。決してワザとではありませン』
いいつつ再びディスクを入れ変えるマクティ。
リオ君は肩を揺すって笑いを堪えていた。私もつい、お茶目なマクティの様子に楽しくなってくる。
次はどんな映像が流れるのか。
『では気を取り直しテ』
つづいて流れた映像は……
ロミオとジュリエット
「ん?! いや、待ってマクティ!」
そこでリオ君が待ったを掛け、マクティは首を傾げつつ停止ボタンを押す。
『どうしましタ? 今度こそロミオとジュリエットですガ……』
「いや、ドジっ子マクティを期待してたんだが……こういうのは三回程繰り返すのがベターだろう」
うんうん、と同意する私。
しかしマクティは首を振りつつ
『今日はロミオとジュリエットを見に来たんでしょウ? なら真面目に見てくださイ』
お、おぅ、と反省する私達。
でもなんだろう、どこか釈然としない。
約二時間程の映画。
現代風ロミオとジュリエットだが、登場する人物の名前や地名などは同じだった。
冒頭から始まる銃撃戦、展開は早いが、私が見たいシーンは非常にガッツリ、うっとり見せてくれる。
最初は本当にロミオとジュリエットか? と思ったが、これは正しくロミオとジュリエットだ。
登場人物のセリフも、その時々で印象が変わりそうな意味深な物ばかり。
賛否ありそうだが、私は好きだ。
「どうだった、朝霧」
リオ君に感想を求められ、私は素直に抱いた印象を口にする。
最初の銃撃戦は正直「え?」と思ったが、肝心なシーンはちゃんと描写されていて面白かったと。
「そうだなぁ、引き込まれやすいよなぁ……」
確かに引き込まれやすい。
なにせロミオがかっこよすぎる。
そしてジュリエットも美人すぎる。
こんな美男美女が主演で、いきなり度肝を抜かれる展開で始まるのだ。
引き込まれるな、という方が無理な話だろう。
「じゃあ朝霧、戻って練習するか。早乙女が台本出来上がってるって言ってたし……」
「ぁ、うん」
マクティにお礼を言いつつ文化棟から出る。
前を歩くリオ君の手へ、自然と視線が行ってしまう。
ダメだ。今朝約束したばかりでは無いか。
私達が付き合っている事は秘密にしようと。こんなところで手を繋いでしまえば、一発でバレる。
うずうずしながら教室へ戻ると、女子達が一斉に私へと駆け寄ってきた。
な、なんだ、何事だ!
「朝霧さん! ちょっとドレス着てみて!」
そのまま女子更衣室に連れ込まれ、瑠衣を含む数人に制服を脱がされる私。
「コート! コート持ってきて!」
風邪をぶり返すと思ったのだろうか、女子の一人がトレンチコートを用意。
そのままドレスに着替えさせられ、コートを羽織る。
「ぐふふふ、よし、教室でゆっくりお披露目と行こうか、麻耶ちゃん」
女子連中の目が怖い。特に瑠衣が。
教室に移動すると、リオ君も同じように着替えさせられていた。
中世ヨーロッパの、まるで貴族の騎士のような姿。腰にはちゃんと剣が装備されている。
やばい、リオ君カッコイイ。
思わず見惚れてしまう。そのスキに瑠衣にコートを奪われた。
「ん? うぉぉぉぉぉ!」
その時、男子を中心に歓声が。
な、なんだ、どうした?
「朝霧……なんと可愛らしい……特に胸の部分が……」
そんな事を言ってくる早乙女君。
私のまな板の事を言っているのだろうか。
ちょっと地獄に落としてやりたい。
するとリオ君もマジマジと私のドレス姿を見つめて来る。
ダメだ、恥ずかしい……このドレス、白が基調になってて……まるでウェディングドレスだ。
そんなリオ君の前に立ちはだかる瑠衣。
「レオ君! そんなマジマジと見て……ドレスに穴が開いちゃったらどうするん! ほらほら、さっさと台本のセリフ覚えんと!」
シッシ、とリオ君を追い払う瑠衣。
いや、見せびらかす為に私に着せたんじゃないのか。
「ぁー、ちょっと皆揃った所でいいかー?」
その時、助監督の早乙女君が皆へと声をかける。
全員に台本を配り、その説明を始めた。
「前にも言ってた通り、今回のロミジュリは内容をソフトな物に変えてる。キャピュレット家のパーティーでロミオはジュリエットに一目惚れ。その後、ロミオはジュリエットに秘密裡に会いに行って結婚を約束。この後……まあ、従兄が殺されたり親友が殺されたりするんだけど、その辺りは割愛する」
確かに、公演時間はたったの三十分だ。
その間にロミジュリのすべてのシナリオを出来る筈が無い。
「んで、ラストはジュリエットが仮死薬を飲み、そこにロミオが駆けつけ……本来ならばここでロミオは毒薬を飲むんだけど、今回は……ジュリエットに口移しで仮死薬の解毒剤を飲ませるって事で」
ほ、ほほぅ。
ストーリー破綻してないか。
たしかロレンス神父の手紙がロミオに上手く伝わらず、ジュリエットが本当に死んでしまったと思い込んでしまった筈だが。それに仮死薬の解毒剤って……。
「細かい事はキスシーンで全て吹き飛ばす。皆も知ってると思うが、この文化祭でロミジュリは特別な位置づけにある。レオと朝霧さんには……申し訳ないけど、今から文化祭までの間、本物のカップルのように過ごしてもらう! 以上!」
……え?
えぇ……?!