リオ P11
11月 12日 (日)
時刻は午後五時。
めでたく朝霧家のご両親に認められた俺は、和室の布団で眠る麻耶の隣りで一人、その可愛い寝顔を眺めている。
やばい、マジで可愛い。
なんというか、寝息が凄い。
別に凄まじい轟音を立てて眠っている訳では無い。
麻耶の唇から漏れる寝息の微かな音が、俺の聴覚を支配している。
「ん……」
麻耶の寝息が止まり、微かに瞼が動く。
どうやら目を覚ましたようだ。
「大丈夫か?」
時計を確認しているであろう麻耶に声を掛けると、薄暗い部屋の中でも驚く顔が確認できた。
それはそうだ。まさかずっと寝息を鑑賞……いや、看病していたとは思わなかっただろう。
「リオ君……」
泣きそうな子供のような顔で名前を呼んでくる麻耶。
思わず抱きしめたくなってくる。だが二人きりの薄暗い部屋でそんな事をしてしまえば、自分を抑えきれる自信が無い。
このままではあかん、一度この場を離れて頭冷やしてこよう。
「汗、掻いてるか? ちょっとお母さん呼んでくる……」
片膝を立て、立ち上がろうとする俺。
だが制服の袖を引っ張られた。
他ならぬ麻耶に……。
え、ど、どうしたんですか、麻耶さん。
そんな可愛い事されたら、自制が利かない……
ぁ、そうか。もしかして……
「……どうした、喉乾いたのか?」
何せずっと寝たままで、汗は掻きまくってるのだ。
喉乾いて当然だ。
だが麻耶は無言でただ見つめて来る。
やばぃ、そんな子猫みたいな目で見つめられたら……
麻耶の目から目線を外そうと、唇を見る。
何か言いたそうに微かに動いていた。
聞きとろうと耳を傾けてみるが……やばい、唇から目が離せない。
二人きりの教室でキスをしようとした。
あの時は未遂で終わったが、今なら……
いや、風邪で弱ってるのに一方的に唇を奪うなんて……そんな大胆な事は……
「リオ君……」
俺の名前を呼ぶ声。
ひどく擦れた声で、麻耶がどれだけ弱っているのか、それだけで分かった。
そして俺の袖を引っ張る力が、先程よりも強まっている。
麻耶に求められている、と自惚れてもいいんだろうか。
俺は、麻耶に……麻耶の、もっと近くに居てもいいんだろうか。
「麻耶、汗掻いてるなら着替えないと……」
自然とそんな事を口にしていた。
唇から目が離せないくせに、表面上は冷静さをアピールするように。
すると麻耶の手が袖から離れた。
やっと離してくれた、という気持ちと……離されて何処か寂しい気持ちがぶつかる。
矛盾するにも程がある。
俺はどうしてしまったんだ。
麻耶をどうしたいんだ。早く着替えさせないと、また風邪が酷くなる。
それはダメだ。
でも麻耶が……彼女が欲しい。
彼女のすべてが欲しい。
どうしてそんな事が考えれるのか分からない。
まともに頭が働かない。
ただ、麻耶を少しでも感じたい。
今俺が一番恋しい人、一番欲しい人、守って……あげたい人。
男の性なのか、俺はもう麻耶のすべてを支配したい、とさえ思っている。
この子の全てが欲しい。
そんな事を考えながら麻耶の目を見る。
その泣きそうな顔を見て、我に返った。
やばい、早く着替えさせてあげないと……
「大丈夫だよ、すぐに戻ってくるから……」
そう言いつつ立ち上がろうとした時、麻耶と離れる数分、数十秒が耐えきれない、などと考えてしまう。
麻耶は着替える、当然そこに俺が居ていい筈がない。
いくらご両親に認められたとはいえ、着替えに同席などしたら頭を疑われるだろう。
でも、その数分が耐えきれない。
欲しい……麻耶が欲しい
「ん……ん……っ」
彼女を求め、唇を重ねる
一番近い存在でありたいと願いながら。
キスは誓い
だがこれは誓いでも何でもない
ただの俺の……わがままだ
唇を重ねている時間が、どのくらい経ったのか分からない。
もしかしたらこのままずっと……ずっとこうして居られたら……
そんな事を考えていると、麻耶が抱きしめるように腕を回してくる。
ぁ、まずい、これはまずい。
ダメだ、これ以上は……本当にヤバい……!
逆に頭は冷静さを取り戻し、そっと唇を離した。
だが麻耶は逃がしてくれない。
力ずくで腕を振りほどくなど造作もないが、今の彼女に対して……そんな事、出来る筈も無い。
麻耶……麻耶……
ごめん、俺が悪かった
これ以上は……抑えきれない……
そう心の中で叫びながら、麻耶をあやすように頭を撫でる。
大丈夫だから、すぐに戻ってくるから。
だから、ゴメン。俺からキスしといて何だけど……これ以上は……
麻耶の腕から力が抜ける。
その瞬間、俺は逃げるように麻耶から離れた。
これ以上一緒に居たら、本当に不味い事になる。
彼女が欲しい、麻耶が……一番近くに居たい。
でもまだダメだ。
今の俺は……まだ彼女を守る事は出来ないんだから。
※
お母さんに麻耶が起きたと報告し、しばらくお父さんと学校の事について話した。
もうすぐ文化祭があるとか、今はその準備なのだとか。
「文化祭か。葉月君のクラスは何をするんだ?」
ん? 麻耶から何も聞いてないのか。
「えっと、演劇を……ロミオとジュリエットです」
「あぁー、そうなのか。ははっ、それで葉月君と麻耶がロミオとジュリエットだったらな。もう今すぐ新しいビデオカメラ買って永久保存版に……」
「……そうですけど……」
ピタ……とお父さんが止まる。
今何と言った、とギラついた目で睨んで来る。
「いや、あの……俺と麻耶さんです……ロミオとジュリエット……」
「……なんてこった……っ! こんな事をしている場合じゃない!」
凄い剣幕でお父さんは棚の奥から封筒を……ぁ、へそくりって書いてある。
まさか本当に買う気か、ビデオカメラ。
「家内には内緒だぞ、葉月君。そろそろ帰るだろう? 車で送って行こう」
成程、そのついでに家電屋へ寄る気満々だな。
確かにもう時刻は午後六時を回ろうとしている。シアに何も連絡してないし、心配しているかもしれない。
麻耶と離れるのは寂しいけど……今日の所は帰ろう。
その時、お母さんが和室から出てきた。
着替えは終わったか。
「麻耶寝ちゃったわ。ご飯何も食べてないのに……」
マジか。俺はお父さんの料理たらふく食べたからな……しかし麻耶は何か食べないと治る物も治らないのでは。
「まあ、ナノマシンが必要な栄養作ってくれるから大丈夫だと思うけど……」
「それはそうと紗弥、葉月君を家まで送ってくる」
紗弥? あぁ、お母さんの名前か。
というか、お父さんビデオカメラ買う気満々だな。
ポケットにヘソクリが十万程入っている。
「あらー、もう帰っちゃうの? 泊って行けばいいのに」
「そうだな、葉月君なら麻耶の部屋に泊まっていってもいいぞ」
な、なにを言い出すんだお父さん!
そんな事になったら……今からビデオカメラを買いに行くことバラすぞ。
「ま、まあ妹も居るんで……今日はお邪魔しました。ご飯まで頂いてしまって……」
「いえいえーっ、またいつでも来てね。今度は妹さんも一緒に……」
「はい、是非……」
お母さんにお礼を言いつつ、朝霧邸をあとにする。
外は既に真っ暗だ。十一月なだけに日が短い。
「葉月君、ナビにナノマシン読みこませてくれ」
「ぁ、はい」
カーナビの画面へと手の甲を近づけ、ナノマシンの情報の一部を開示。
すると自動的に俺の家までのナビが表示される。
「よしよし、近くにヤ○ダ電気あるな……」
ポイントカードは持ちましたか、お父さん。
※
約三十分程かけて我が家へ。
帰り際、お父さんは「またいつでも来てくれ、我が息子よ」などと行ってヤ○ダ電気へと向かった。
最初に会った時は厳しそうな頑固親父ってイメージだったが……あそこまで気さくな人だったとは。
「ただいまー」
鍵を開けて家に入り、再び施錠するとシアがパタパタと玄関まで出迎えてくれる。
「兄様っ、朝霧先輩は大丈夫でしたか?!」
ん? 我が妹よ、何故君が麻耶の事を知っているのかね?
「生徒会長から聞いたんです。風邪で倒れて……兄さんが家まで送り届けたって……」
「あぁ、千尋からか……ごめん、遅くなって……」
靴を脱いでスリッパに履き替えると、シアが俺の腕へ抱き付いてくる。
むむっ、どうした。可愛い妹よ。
「兄さん……朝霧先輩に……脅されてるんですか?」
……はい?
なんだそれ、どっからそんな話が……
「い、いえ……生徒会長が、兄さん宛てに朝霧先輩から果たし状が届いたって……」
アノヤロウ……いや、千尋に相談したのは俺なんだが。
というか完全に遊んでるな、生徒会長。
「シア、ちょっと話がある。立ち話もなんだから……」
「ぁ、ご飯なら出来てますけど……」
うっ!
昼にお父さんの豪華なラインナップ食いまくったから……全然腹減ってねえ……。
いや、だが可愛い妹が作ってくれた料理を残すワケにはいかん。
こ、ここは少しでも時間稼ぎして腹を減らさねば。
「そ、そうか、じゃあちょっと……その前に風呂入ってもいいか……?」
「勿論ですよ。私もまだなので……良かったら一緒に入りますか?」
ウィンクしながら誘惑してくる妹。
そんな子に育てた覚えは無い! ここはガツンと言ってやらねば。
そっとシアの前に膝を着き、両手を床に。
そのまま頭を下げる。俗にいう土下座という奴だ。
「ぜひ……お願いします」
「に、兄様のスケベ……っ!」
本日も可愛い反応を見せてくれる妹。
土下座する俺から逃げていくシアの後ろ姿を見ながら、俺はずっと麻耶の事を考えていた。
麻耶……麻耶……麻耶……
会いたい……会って抱きしめたい
君に会いに行きたい
「あぁ、ロミオ……お前も……こんな気持ちだったんだな……」