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大丈夫、と私は頷く


「・・・なんて、言っていたんだっけ」


耳に馴染みはじめた鳥の声が聞こえて、私は瞼を持ち上げる。

懐かしい夢を見ていた。

とは言ってもほんの三ヶ月ほど前のことではあるのだけれど、まるで半年も一年も経ったように錯覚する。

カレンダーどころか時計もない、朝夜の区切りさえ数えが違う異境の地において、文明の利器に甘やかされた私にはかつての生活がとても遠いことのように思えてしまうのだ。


「・・・多分、寝坊では、ない、はず」


窓にかけられた紗を避けると、相変わらず、目にいたいほどの綺麗な青が広がっているた。

...うん、昼にしては色が薄いし、風も軽いから、いつもとおんなじくらいの朝の時間、の、はず。

空の明るさで時間を図る真似事は上達してきているだろうか。

雲がかかっているとお手上げだけれど、最近は良い天気が続いているからここも夏季に入ったのかな。そもそも、季節はあるのだろうか。


夕草の民が住まう土地は基本的に快晴で、厚い雲と排気と雨に覆われた王国で育った私の敵はまずこの気候だった。

体は丈夫なはずだったのに、暑さで寝付けず、起きても気だるく、日焼けが辛くて日中は外にも出れず、夜になれば疲れて帰ってきた旦那様に果実水を作らせて眠るためだけに仰がせる日々を過ごして、やっと回復した頃には、私が家の外に出ようとすると見かけた誰かによって家に押し戻すようになってしまった。


この大失態がいけなかった。

もともと気味の悪い容姿なのだから極力外出はしないようにと思ってはいたけれど、今や私は旦那様の同伴と日焼け避けのヴェールを被った上で朝と夜にしか散歩も満足に出来ない。怪しすぎる。本当に悪魔になった気分だ。

けれど何故か旦那様はよく夜に外へ誘うし、すれ違う住人たちも私を避けずに果物や握手を交わしていく。

強ばる私に、避けようとする私に、触れた彼らが気づかない筈もないのに。


恋愛による結婚ではなく自国の為の契約で結ばれた私たちだから、寄り懸りすぎないようにと思っていたはずなのに。

ただでさえ式の当日に泣き顔を見られてしまったから、言葉もわからないから、名前なんて呼べるわけないから、親しくならない方がいいんだからって、思っていたのに。


盛大に迷惑を掛けても謝罪の言葉さえ上手く紡げない私を、旦那様はどう思っただろう。

俯いた私の言葉を回復の報告と思ったのか、徐に髪を撫でて(触れ合いには未だに肩が跳ねるけど、この仕草だけは看病されている間に少し慣れてしまった)、額に触れて、息を吐いて。

呆れられたのだとますます顔を上げられない私に降った「タッカヨ」という言葉は、きっと、そうではなかったのだ。

意味はわからなくても、その声色はとても暖かくて、ああ、彼はきっと、この場所はきっと、とても優しいのだって、だから私を押し付けられたんだって、気づいてしまった。



私はそんなことをしてもらえる働きはしていない。家事をして、手紙を書いて、シスターの真似事をする。

ただそれだけで、けれど、侯爵様との「話し合い」で何かをやり取りした彼は私を少なくともいまはまだ放ってはいられないんだろう。

体調のことだけじゃない。

料理だって、掃除だって、人付き合いだって。

私が失敗するたびに、旦那さまは過保護になる。

悪魔の娘のくせに手がかかると”失望”されているようで。

ただ微笑んでいるだけの”重荷”を背負わされたと思われているようで。

旦那様が優しいほど、歩み寄ろうとしてくれるほど、私はますます頑なに、自分を隠すようになった。

体調も、言葉も、秘密も、ぜんぶ。

今も昔も、やさしいものが、あたたかなひとが、わたしはこわくてたまらない。



「...青色、きれい」


朝から沈む気持ちを切り替える為に、わざと言葉を口に出しながら伸びをした。

朝の風が快く、寝汗を冷やしていく。

清浄装置も無いのに空気が美味しいと感じたのは初めてで、一食分浮くのではないかと考えた程だった。


羊毛を詰めた四角い枕ではなく、自分の腕でもなく、実の殻を揉んで詰めてがさがさする肌触りの織物で包んだ独特の枕は目にあまり優しくない色をしているけれど、端々に縫い付けられた花の刺繍が可愛らしい。

少し歪んでいるのは手縫いだからだろうか。


こちらでは風土の影響か、愛でるよりも種や葉を食用にしたり染料にする方が多いみたいで、その日、何度かこなしていた花のなかにある食用の種を取る内職?下拵え?を終えた後でとうとう花弁を散らさずにできた花を抱きしめて悦に入っていた私をぽかーんと見ていた旦那様の顔が脳裏に浮かぶ。

怪力のせいで絶望的だったはずの繊細な作業に成功して嬉しかったからそんなことをしてしまったのだけど、

「こいつまだ実も生ってないのに食おうとしてんの?」とでも思ったんだろうなあ。

ううん、いつも難しげなお顔の割り(失言)に穏やかで寛容な方のようなので「花を食べるくらいお腹が空いてたの?それは駄目だよ美味しくないよ」くらいかな。

・・・会話が出来ないから、彼がどんなしゃべり方なのかさえ解らない。あんまり言葉が長くないから、おしゃべりな方ではない、のだとは思うけれど。


我に返ったらしい旦那様に珍しく焦ったように花を取り上げられたのを覚えている。

そして唐突な外出。いつもならよくやったと言うように頷いてくれる仕事の終わりの合図もなし。

何かの地雷だったのか慌てるのと人の前で子供じみた喜びかたをしてしまったと落ち込むのも束の間、どーん!と猪まるごと一体を持ってこられたときにはその唐突さにどうしていいかわからなかった。

花→猪。

彼は何故か一緒に暮らし始めて1ヶ月くらいだった当時の私でも察せられる得意そうな・・・いや、いっそドヤ顔だったのだ。誇らしげですらあった。

花<猪。

そのドヤ顔たるや、いつも大人びている彼が孤児院のやんちゃ坊主にダブって、つい背伸びをして頭を撫でてしまいそうになったほどである。背伸びをした違和感で我に返ったのが幸いだった。

いや、実際にすごいけれども。

すごい、けれども。

まさかここでは花を抱き締めるのが「猪捕まえてこい」のサイン?


その時の私は、もちろんそんなことを考えてなんかいなかった。お腹が空いていたわけではもない。

家事は得意だと侯爵様から聞いていたのかもしれないが羊の毛を刈って牛の乳を搾れて魚の毒抜きは出来ても猪や熊の解体はしたことがないのだ。むしろ見たこともない。精肉屋で吊られている状態が精々である。お肉はごちそうだったし。


・・・え、するの?ここの奥さんたちは皆出来るの?私もしたほうがいいの?

此処じゃあ「血抜きおよび解体」が料理カテゴリに入ってるの?


①まずは猪を狩ります

②下ごしらえの前に血抜きと解体を済ませて腸は取って乾燥させておきましょう

とか習うのだろうか。


笑顔も忘れて呆然としてしまい、旦那様がしょんぼりとしてしまったのを覚えている。

どや顔が萎んでいく様を見て、私はそこでやっと動くことが出来た。

怪我をさせてしまわないかとても恐かったけれど、彼の手を取り、目を見つめながら、必死に首を横に振った。

かつて孤児院で私がシスターにされたことであり、いつか私が子供たちにしたことでもある。

空腹だと言いたかったのではない、気持ちは嬉しい、あなたの思う喜び方が出来なくてごめんなさい。

そのどれも、きっと伝わることはないのに、私はそれを止められなかった。


やがて罪悪感に駆られて口角を上げようとして失敗しつつ無謀なチャレンジ(解体)に挑もうとする私を制した旦那様はそれはもう鮮やかに部位ごとに切り分けて適切な保存方法を教えてくれたのだけど、それは余りに衝撃的な出来事だった。

ええと、解体方法だけではなくて、文化の違いのほうの意味も込みで。




推定3ヶ月も経てば上手な解体は出来ないものの(一度挑戦して見事返り血で庭と体を惨状にした私を見た旦那様は浅黒い肌をそれと解るほど青くして以降、解体済みしか寄越さなくなってしまった)、どこの部位をどう料理して保存すればいいのかはわかる様になっていた。

一度失敗するとなかなか次の機会が得られないのも会話が出来ないことによる弊害だ。

それが積もり積もって、今では彼の気遣いが苦しく感じるようになってしまった。

そんな自分が嫌いになっていく悪循環を吐き出すように枕に咲いた花をなぞる。


「・・・あっ、花・・・じゃなくて、庭のアレ摘もうと思ってたんだ・・・!」


そうだ、庭に植えてある樹木についた花が落ちてそろそろ果実の収穫時(の筈)だと思ったのだ。

ご近所さんの様子を見て、明日早起きして確認しようと決めていた。


「ああ、ごはん先に作っちゃったほうがいいのかな、急がないと」


私はそんな風に自分をせかしながらもたもたと着慣れた黒を基調としたワンピースに着替える。

(手配されていた礼拝服の丈を膝あたりで切ってリサイクルしたもの。襟ぐりと袖口が白いのが可愛らしく、私はひそかに憧れていた)

その上からこちらの普段着に使われているらしいベストと、同じ意匠の髪紐で髪を軽く結って、足首を紐でくくるサンダルに似た靴を履く。なんちゃって遊牧民族衣装だ。此方の服は編み込みが多くて風通しが物理的な意味で良すぎて、動きやすさを重視してか女性のスカートにあたるものの丈がとても、短い。あんなの太ももが見えてしまう。見えてる。から見てしまう。似合っているしそれが正装だと解っているのに、私のほうが恥ずかしくなってしまうくらいに此処の女性たちの服装は悩ましいのだ。

長いものがあったと思っても際どいスリットが入っているので、私には真似できそうになくて断念した。今の膝丈ですら心もとないのに。限界まで冒険しているつもりなのに。貴族のお嬢様のようにストッキングを身に着けて少しでも素足を隠したいくらいなのに、下着よりも刺激的な装束を着こなすなんて、とても無理な話である。

郷に従おうとしても入れないこともある。

形から入るほうが難儀なことだってある。

そう痛感させられた出来事だ。


服を都合してもらうことになったときも、真っ赤になって涙目になって多くの布を纏って訴える私の意志が伝わったのか、衣服屋のおばさんと娘さんは生暖かいものを見る目をくれた。

でもあわよくばそのまま着ようとしていた礼拝服は容赦なく膝丈にされた。

余りはリボンに生まれ変わり、着飾り甲斐のない私の黒髪をビーズと一緒に彩ってくれていたのだけど、この前洗濯物を干したときに風に飛ばされたのか無くしてしまった。

彼が私の装いを気にしているそぶりはないけれど、一応、似た様なリボンで代用している。


どの国でも絶対的な強者である仕立て屋親子の目を疑うつもりはないのだけれど、服を選ぶ最中、私はやたらと白いものを勧められた。

言われるがままそうしているが、正直、全く似合っていないので気が滅入る。

そういう理由で、私は着る筈だった元・お仕着せを好んで着続けていた。


その後、衣装が決まり着付けを教わりチェストも埋まったのは良かったが、それでも諦めきれず、こっそり旦那様の洗濯物をとってズボンを腰に当ててみただけでどこからかやってきた真顔の旦那様に首を横に振られた。その夜、大量の女性服が届いてしまう始末がついた。

一体なにを思ってそうされたのだろう。

それはわからなくても、私が何かいけないことをしてしまったらしいことだけはわかった。おねだりに思われたのかもしれない。

以降、服については極力触れないことにしている。


「・・・ん。大丈夫、かな」



仕上がりを水鏡で確認する。

陽の光の射す室内でぼんやりと浮いたこの虹彩を毎日見るのは苦痛でしかない。

それでも不気味なこの目の色は、此処では「悪魔の瞳」ではないらしい。


ヴェールで隠すことはできなかった。


ならばと前髪を伸ばし始めたら視界が隠れた頃に仕立て屋親子の娘さんが突然やってきて、さささっと整えて行ってしまった。旦那さまが何か話していたから、きっと彼が呼んだのだろう。



金属鏡と手で確認してから踵を叩いて靴を合わせる。

うん、大丈夫。


最近とみに思考が脱線し、過去を思い出すことが増えた。

いつも焦って失敗してばかりだったのに意外によく覚えているのが不思議だった。

少なからず思い出補正がかかっていることは間違いない。


独り言が増えて、ぼーっとする時間が増えて、彼を避けるようになってしまったことを、私はきっと、やり直したいと思っているんだろう。



完璧にやり直して、奇跡的に分かり合うことが出来たとしたら。

その先、私はどうしたいのか、どうなりたいのかは、わからないままだったけれど。


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