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ブウョジイダ、とあなたは言った




――ブウョジイダ

低く掠れた硬い声が耳朶を過ぎる。

彼もきっと緊張していただろう。不安だっただろう。

けれど思いやりに満ちた、恐らくは努めてゆっくりと掛けられたその言葉は、私のみっともなく強張った頬を壊すには充分だった。ああ、泣くなんていつ以来だろう。

髪を、化粧を、衣装を、香りを、こんなに綺麗に整えてもらったのは、はじめてだったのに。院の子供たちや侯爵様にシスターが時間も無いなか心を込めて準備してくれたのに。

悪戯ばかりでみんなを困らせたジョーイがお姫様みたいだって笑ってくれて、すまない、ありがとうと侯爵様に頭を下げられて、侯爵様のお嬢様が泣きながら花束を渡してくれて、しあわせになりなさいとシスターがキスをくれたのに。

まさか控え室で一人でいたところをこれから旦那様となる人に見舞われるとは思わなかった。


笑えたらよかったのに、喉は震えて引き攣れてしまう。


(ああ、だんな様になる人に今日初めて見せるのが笑顔ではなくて泣き顔なんて、なんてこと。

こんなことは平気だと、私にも出来ることがあるのだと、それは見に余る光栄だって。

昨日まで確かに、思っていたのに。)


式まですこし時間があると一人で部屋に残ったのが悪かった。

いつもならこの時間は昼食の準備や奉仕活動から帰る年長組の出迎えで慌ただしくて烏の鳴き声だって聞こえないくらいだったのに。

今日は嘘みたいに静かなものだ。


もう院の窓ふきをしながら夕日が沈むのを見られない。まだ小さいあの子達の誕生日や、シスターには新しいケープを編もうと思っていて、侯爵様には新しい杖の図案をお嬢様と考えていて、

ケイティの恋の相談はこれから誰がするんだろう、リースは私の次にお姉さんだから気負っていないかな、ああ、そうだ、次の休息日には南の柵を直そうと思っていたのに。


そんなことばかり考えてしまう。

毎週掃除しにきていたのに教会のステンドグラスまで、どこかよそよそしい。

本当は新しい生活に備えて準備しなくてはいけないのに、急なことで何も出来なかったことも私を酷く不安にさせた。


私は、今日、異国に嫁ぐ。


あまりに遠すぎるその国は鎖国を解いたばかりで、生活も言語も王国にはまだ伝わっていない。

ただひとつ、貿易条約締結の先駆けに流入した特徴的な柄の織物が貴族の方々をはじめ市井でも人気で、市場を冷やかしに行くと見るようになった、程度の認知度でしかなかった。

難しいことはいつも、私の近くにはないと思っていたのだ。



――メリーエル、すまない

そう言って頭を下げたのは私たちの住む孤児院とその隣にある救貧院に多額の援助を下さっている侯爵様。

一昨日に16になった私は電報でお祝いの言葉と”気が早いが、神に仕える私の天使に”というお茶目な文言と共にベールを頂いたばかりだった。

容姿に異国の血が見えることと、常人外れの怪力を持つために院を出る歳を過ぎても引き取り手のいなかった私は数日後に教会へ移りシスター見習いになる予定だったのだ。

そしてゆくゆくは孤児院に戻り、老シスターを支えられたらと、そう思っていた。


----かの国の花嫁を、務めてほしい


侯爵様を、尊敬していた。彼は貴族様だ。優しいだけではないお方だということは知っている。

化け物じみた私を、”何か”に使おうと思えばいくらでも出来たはずだ。

それでなくてもシスターだって、わたし一人を鉱山へでも出稼ぎに行かせれば暮らしは少し楽になったはず。

けれど彼らは私をあくまで”娘”と呼び、しばしば加減を間違えて備品を壊したところで恐れたり二度と触らせなくしたり、なんてことはしなかった。それどころか補修の方法を教えて、心の制御の仕方を考えてくれた。

失敗させてくれた。学ばせてくれた。

きっと、愛してくれていた。


----急な話だ、式をあげればすぐ出立で、暫くは通訳も手紙も叶わない


許されるのならお父様、お母様と呼びたいくらいに、彼らは私にいろんなことを教えてくれたのだ。

笑顔の作り方、効率的な掃除の仕方、喧嘩の勝ち方に値切りの作法、姿通りの悪魔らしく見える意味深そうで...実は全く意味のない所作や、異国の令嬢のような戸惑い方。


灰色まじりの黒髪と赤色に近い茶の瞳は瞳孔が細く、白より淡い肌に、体躯以上の怪力を持った私にも、「そんなことはなんでもない」といってくれる人がいた。

例え万人に、気味が悪い、悪魔のようだと恐れられても、気にすることは無く誇りを持って前を向くべきだと。

私は他のみなと同じように全てのことが出来て、他のみなより多くの許しを与えられるのだと。

私は悪魔などではないと。優しくて頑張り屋さんな、みんなのお姉さんで掛け替えのない宝だと。

そういって頭を撫でてくれた、そんな彼が、私に頭を下げている。

そばではシスターが目を伏せている。


商業も手がける侯爵様が、鎖国を解いたかの国と縁を深めたいと考えるのは当然だ。彼の躍進はそのまま孤児院を救うことにもつながる。例え、協会での見習い期間を終えたら養子に迎えたいとカードに書いて下さっていても、「彼」の「意思」は「侯爵」としての「意志」に、時に塗りつぶされるのだと、私はもう知っていた。


シスターは私の笑顔と髪がベールに隠されてしまうのは残念だといっていた。市井に下って恋をして、町娘のように過ごしていてほしいと願ってくれていたのだ。何も神に仕える道でなくともと、恩義に報いる義はないと。

この話はそんなシスターにとって複雑なものかもしれない。

それでも、私ひとりの進退と孤児院とでは、はかりにかけるまでもないだろう。


そして私は、ただこの不気味な赤目をヴェールで隠したいという理由ひとつで、神様にすがろうとした。

そのバチが当たったのだ。

けれどその代わりに、得るものがあるのなら。


----務めて、もらえるか


私はただその異国で”結婚した”という事実を作りさえすればいい。

私の容姿や力について先方は全てを受け入れると約束してくれた。

きっとすぐに国と国との橋を架ける。手紙を書いて生活を伝えてほしい。必ず迎えに行く。

いつか、簡単に王国と行き来できるようになれば院のみんなも喜ぼう。


挙げ連ねられた幾つかの事をぼんやりと聞きながら、私は、私の言うべきことを正しく理解した。

言うべきは、たったひとつ、だけだった。


「わかりました」

きっと、いつもの笑顔を作れたと思う。

本当ならそれ以外の返事をする権利など私には無いはずだった。

もしもの慰め、大人の考えなんて、ごまかしたって私にはどうすることも出来ないのだから。

それでも彼らは私に本当のことを伝えてくれたのだ。

いやだと泣きつくことを許してくれたのだ。

私を慮るように。普通の娘に問うように。


「....メリーベル」


生まれてすぐに実の親に捨てられた、不気味な色彩を持つ娘を。

備品をすぐに壊すし、愛想もない。町の貴族の子息とも大喧嘩して怪我をして帰ってくるような私を、見捨てないでいてくれた。

小さな弟妹たち。血の繋がらなくても、本当は恐かっただろうに慕ってくれた、何よりも大事な私の家族。

守れるのなら。役に立てるのなら。

恩返しが、出来るのならば。

望むところだ、と。

そう思って、この日を臨んだ筈。


なのに私は、今、みっともなく泣いている。


――ブウヨ ジイダ。ルモマ

声が聞こえる。私を隠すように抱きしめた彼が、何かを伝えようとしてくれている。

慶事の前に泣くなと怒っているのだろうか。化粧が取れて醜いからさっさと直せと呆れている?

優しくて穏やかな声だけれど、自信が無い。

涙が止まらない。もう止められない。白くて綺麗な手袋が濡れてしまうのに私は顔を隠すのに使ってしまう。恥ずかしい。どうしよう。目を見られたくない。ただでさえ赤い目が腫れてしまったら誰にも見せられないほどおぞましい色になるだろう。ああ、そうだ私、ヴェールをかぶっていないのだ。

彼は見てしまっただろうか、私の悍ましい悪魔の色の光彩を。彼は本当にいいのだろうか、私たち、名前もまだ知らないままで。


わからない。わからない。

彼のことがわからない。何も聞けない。訊かれても、私も返せない。

だって、言葉がわからないの。

私に触らない方がいい、私、力が強いんだよ。きっとあなたより強いんだよ。

早く離して。そう言って腕を掴んで、もしも怪我をさせちゃったら、故郷では戦士だって言うあなたはきっと困る。すごく困る。そうでしょう?

私だって、痛い思いをさせたり恐がられたりなんかしたくない。



そのどれもが伝えられないから、恐かった。

彼のせいじゃない。私のせいじゃない。

誰も、何も悪くない。

少し遠いところで生まれただけ。

少し違う生き方をしていただけ。

それでも、それは決定的だった。

私は頭が良くないし、不器用だし、取り柄といえば家事と、作り物の笑顔くらいのものだから。

なによりこの瞳と怪力だ。

どこでだって、生活がうまくいくとは思えなかった。

彼らにどんな理由があったのかは解らない。けれど、どんな理由があったとしても、親なしの悪魔の娘と呼ばれた私を娶らなくてはいけない彼が可哀想で、私は申し訳なくて仕方が無かった。


「    」


それなのに、どうして私はあの時、笑えたのだろう。

あの時、私はなんと言ったのだろう。

・・・私の言葉を彼はわからないはずなのに、何で、彼は、笑顔と、誓いのような口付けを、くれたのだろう。



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